第44話 少女がいた理由

「それで、何があったのか聞かせてもらうわ」


 ルラーシアちゃんが黒い革の椅子に腰掛けて、アディメさんの方を向きながらそう言った。

 アディメさんは5人から見つめられて気まずそうな顔をしている。


「それは……」


 5人から見られて緊張しているのだろう。アディメさんは小さな声で話し始めた。


「じゃれ合いって言うのでしょうか……それに耐えきれなくて」


 発された言葉に僕は、いくらなんでも無理がある、と思った。

 じゃれ合いであの路地裏にあのような異臭を漂わせる事ができるものだろうか。

 最初から臭気のある路地裏のものの中でも、彼女から発せられた臭いは常軌を逸していた。


 もしじゃれ合いだとしても、すすり泣くほど酷いものならそれは喧嘩やイジメと同義ではないのだろうか。

 僕はそう思って口を出そうとするが、ルラーシアちゃんがそれを止める。もう少し待っていろといわんばかりに。


「どんな風なじゃれ合いだったのかしら?」


「普通です……本当に普通のじゃれ合いです……」

 

 アディメさんは地面の木の板を見つめた。

 下を向いた彼女の顔が、重力によって垂れ下がった深緑色の長い髪に隠れる。


「程度の話じゃなくて、例の話をしているのよ。例を挙げなきゃ私達はどんな対処をすればいいかわからないじゃない」


 ルラーシアちゃんはきつい口調でそう言った。


「まあまあルラーシアちゃん、そんな怒らないd……」

「ちょっと黙ってて」


 ルラーシアちゃんを宥めようとしたロントくんがお叱りを受けて、ショックを受けた顔をした。

 その2人の様子は、まるで年季のはいった夫婦のようである。


「で? どうなの」


「……」


 アディメさんはなにかやましいことがあるのか、黙り込んでしまった。これがある意味、じゃれ合いなのかどうかの答え合わせのようなものだろう。


「なにか喋ってはくれないかしら?」


 ルラーシアちゃんはアディメさんにそう言って、圧をかける。

 これからはルラーシアちゃんを怒らせるのは控えようか。


「私も独り言を話してるみたいで厭になってくるの。何か喋ったらどう?」


「…………仲間の、灰色の髪の子……から眠りの邪魔をされました……」


 アディメさんはルラーシアちゃんの責めに耐えきれなくなり、ぽつりぽつり話し始めた。

 灰色の髪の子というと、勇者の近くにいた得意げな顔をしながら街道を歩いていた魔術師の少女のことだろう。


「お腹の、おへその辺りを思いっきり殴られました。痛かったです。

 手と足を拘束されて、顔の上に布を乗せられたあとそのまま水をかけられました。溺れ死ぬかと思いました。

 極寒の街の夜に宿の外に締め出されました。勇者様は別の部屋で寝ていて気づかれませんでした、寒かったです。

 娼婦よりも下等だと罵られました。私の母も侮辱されました。唇を噛み締めて涙をこらえていました。血の味がしたのを覚えています。

 戦闘の最中に故意に基礎魔法を当てられました。火属性の魔法で、しばらく火傷が引きませんでした。

 毒虫を口に入れられました。モゾモゾと口の中で虫の節足が蠢いていたのが気持ち悪かったです。

 一ヶ月程腐らせた生肉を、頭にかけられました。臭くて嘔吐して……うずくまってすすり泣くしかありませんでした」


 この場にいる全員が、顔をしかめている。

 アディメさんはその後も数々のじゃれ合い・・・・・の例を挙げた。

 凄惨、その2文字がピッタリそのまま当てはまるその所業に、ハーミルくんが叫ぶ。


「そんなのじゃれ合いじゃないよ! ただのイジメだよ!!」


 ハーミルくんは立ち上がってそう叫ぶ。ロントくんは眉を潜め、フィモラーちゃんは、ひどい、と口を両手で覆っている。ルラーシアちゃんは顔に数粒の汗を浮かべ、何かを深く思慮しているようだ。


 すると、アディメさんが俯いていた顔を上げて話し始めた。


「で、でも! 私も悪いんです……。私も反撃で彼女を強く叩いたりしましたし……。

 それに彼女も普段は優しいんです……。私が足の骨を骨折した時は優しい言葉を掛けてくれましたし……」


 果たしてそれは本当に優しかったのだろうかと、僕は思った。

 アディメさんの話している『彼女』とは、アディメさんの話した所業の内容からおそらく魔術師である事がわかる。

 アディメさんが骨折をしたのであれば、そこらへんにいる生き物でも使って治癒魔法を使えばいいというのに、ただ優しい言葉をかけるだけというのは、優しさではなく非情ではないだろうか。


「なんでその人は怪我した貴方に治癒魔法を使わなかったのかしら?」


 ルラーシアちゃんがそう質問をぶつけた。

 ルラーシアちゃんも僕と全く同じことを思ったらしい。


「それは……ちょうどいい生物がそこにいなかっただけで……」

「貴方達はその時どこにいたの?」


「…………街、です」


 街で生き物がいないなんてことはあるのだろうか? それに、今ではどこの街にも治癒魔法に使う生贄用の生物を売っている店がある。

 生贄用の生物はものにもよるが、骨折の治癒程度だったら、フリル銀貨5枚で買えるだろう。アディメさんの仲間はそれすらも買えない金欠なのだろうか? それとも動物が可愛くて仕方がない動物愛好家なのだろうか?


 僕は、イジメということを認めたくないのか、必死に『彼女』を擁護し続けるアディメさんの姿に、胸が苦しくなった。


「だけど……!」

「もういいわ。喋らなくてもいいのよ」


 アディメさんの目が見開いた。

「ちがっ……そうじゃなくて……」という声が静寂なこの部屋を厭に駆け回る。


「本当に、彼女は優しくて……」


 アディメさんがそう言った瞬間、ルラーシアちゃんが僕の方に、救いようがない、といったような目で見つめてきた。


「その人が優しかったとしても、貴方にしたその行為の数々は鬼畜としか言わざるを得ないわ」


 ルラーシアちゃんがそう言うと、アディメさんの目元からポロポロと水滴が地面に向かって滴り落ちていく。


「認めたくないのは分かるわ。自分が虐められてるなんて思いたくないものね。

 だけれど、どんなに貴方が逃避しようとも、貴方がその場に居続けるならば、貴方に待っているのは崩壊のみよ」


 ルラーシアちゃんが淡々とそう言い告げると、アディメさんは顔を両手で覆い、籠もらせた声で泣き始めた。

 フィモラーちゃんが、湯気だっているホットミルクを彼女の目の前に置いた。

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