第30話 ある夏休みの日

「ふぁあー」


 僕は情けない声を喉から出してベッドから起き上がった。

 カーテンの隙間から漏れている太陽光が眩しい。昨日は雨だったから少し空気が湿っぽい。


 夏休みに入ってから一週間が経った。

 

 僕は水瓶の中に入ってる水をコップに移して飲んだ。

 この国は内陸国で、川も殆どないので純粋な水が手に入りにくい。なのでほとんどの人間が度数の薄いビールを飲む。

 だから、こういった普通の水が飲めるのはとても贅沢なものだ。


 それだけではない。

 魔法学校は夏休み期間になると、金の支給も少し多くなる。

 いつもはフリル金貨3枚のところを、夏休み期間だけは6枚支給してくれる。

 そのため、夏休み期間中の市場では魔法学校の生徒の数がいつにも増して増える。


 魔法学校はこういった面で良いところなのだ。一部の教師はやばいけど……。



「おはよう」


 僕は共用スペースのソファに座っていたロントくんにそう挨拶した。

 彼は何かの本を読んでいる。異世界言語の活字だらけの本で、日本語に慣れ親しんできた僕にとっては、読む気が失せる本だ。


「おはよう」


 ロントくんはいつも通り僕に挨拶を返す。


 

 さて、今日は何をしようか。

 とりあえずハーミルくんと話し合って決め……あぁ、そういえばハーミルくんは帰省してたんだっけ……。


 ロントくんは本を読み始めるとそこからしばらくは動かなくなるからな、一緒に遊んではくれないだろう。


「近場のおすすめ場所」


 僕はネット検索をするときのようにそう言った。


「ここらには市場ぐらいしか無いだろう?」

 

 ロントくんはそう答える。

 やはり市場か……。確かにあそこは良いところなんだけれど、最近は行き過ぎて新鮮味がないんだよなぁ。


「市場に行くんだけど……ロントくんも行k……」

「僕は本を読んでるから行けないよ」


 即答された。

 まぁ大方こうなることは分かってたんだけれども。


 仕方がない。一人寂しく市場に出掛けるとしますか。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて、市場についた訳だが。

 何を買うかすら決めてなかったな。

 そういえば、朝ごはんを食べてなかったな、小腹がすいた。


「おじさん、このパンどれくらいするの?」


 僕は適当にパン屋を見つけたので、何の変哲もないコッペパンを指さしそう言った。


「フリル銅貨1枚だ」


 フリル銅貨1枚……日本円で250円ぐらいか。

 ふむ、まあコッペパンだからな。この世界では安いのは安いが、安すぎるという程ではない。

 僕はおじさんにフリル銅貨1枚を渡して、コッペパンを買った。


「まいどあり」


 パン屋のおじさんはそう言って僕にコッペパンを渡した。


 微妙にぱさついてる。

 まあいいや、次は何を買おうか。


 残り残金はフリル金貨5枚と銀貨11枚、銅貨3枚か……まだ全然余ってるな。


 貯金でもすれば? とルラーシアちゃんに言われたが、僕の辞書には貯金という二文字は載っていない。

 

「ついでに、ロントくんへのお土産になんか買おうかな」


 ロントくんは何が好きだったかなぁ。

 花……はフィモラーちゃんの方が好きだし、食べ物は一回買って帰ったけどそこまで喜ばなかったしなあ。

 魔法道具? は金貨5枚程度じゃ買えないし……。


 適当に魔石でも買っておくか、質の低い魔石ならフリル銀貨5枚程度でも買えるしな。


「おねえさん、この土の魔石ってどれくらいお金が必要?」


 僕は魔石を売る店、魔石屋の30代後半の女性にそう話しかけた、猫撫で声で。


「あらやだ、お世辞が上手い子ねえ。フリル銀貨9枚よ」


 ふむ、1、2枚は値切れるかな。


「おねえさん綺麗ですねー、この魔石をプレゼントしたいぐらいです」


 ああ懐かしいな。前世では会社のお局さんによくこんな対応をしてたっけ。


「まぁ! もうほんっとに〜! フリル銀貨6枚におまけしちゃおうかしら!」


 お! 思ったよりも安くなったな。

 もうちょっと値切るのに時間が掛かると思ってたのに、案外すぐに堕ちて拍子抜けに感じるな。 


「ありがとうございます! おねえさん!」


 僕はその魔石屋からお得な値段で土の魔石を買った。

 常連になっちゃおうかしら?


 とりあえず、これはロントくんも喜ぶなぁ!


「──あ!」


 僕がそう思いながら歩いていると、目の前で獣人の女性が買い物袋を落としてそう叫んだ。

 女性の落とした紙袋からはローズマリーやリンゴが袋の外へと出てしまっている。


 僕は紙袋から出た5個のリンゴを全て拾いあげる。

 

「どうぞ」


 僕は拾い上げたリンゴをその獣人の女性に渡した。


「あ、ありがとう」


 よくよく考えてみると、獣人を間近で見るのは始めてだな。


 僕が見ている眼の前のの女性は、足先から顔までが体毛で覆われていて、鼻は本当のうさぎのように少しだけ出っ張っている。

 黒と白のコントラストが特徴的で、ピンと立っている耳がピクピク跳ねている。

 

 ……いけない、見惚れていた。

 

「そうだ! このリンゴ、貰ってくれませんか?」


 獣人の女性はそう言って、僕が拾い上げたリンゴの中で一番水々しそうな物を手渡してきた。


「そんなそんな、いいですよ」


「お優しいですね、でも貰ってください。何かの運命だと思って……」


 運命って……。なんかこの人大げさだな。


 しかし、あげると言われたものを貰わないのも失礼だろう。

 僕はそう考えて、「じゃあ一つだけ……」と女性からリンゴを受け取った。


「それじゃあ、また〜!」


 獣人の女性はそう言い残して手を振りながら僕と別れた。

 

 いやあ、人助けもいいもんですなあー!


 僕は調子に乗って、女性から貰ったリンゴを齧る。

 そのリンゴが地面に落ちた物だと思い出した頃には、そのリンゴは僕の喉元を通り過ぎていた。

 ばっちいことしちゃったな……。

 

 僕はそう思いながら、一歩前へと足を進める。





 なぜだろうか? 胸が異様にムカムカする。

 胸焼け……? ではないな、胸焼けのそれとは微妙に違う。

 あれ? 手が震えてきた……。身体が熱くて、寒い。


 身体の中心部から何かが滾ってきて、目がギンギンだ。

 何かがおかしいなんてレベルじゃない。異常だ、こんなの前世を含めた人生で初めてだぞ……!


「うっぷ……。おぇっ、ぇう」


 身体が胃の中の物を出そうとして、えずく。

 気持ち悪い……鼓動がどんどんと早まってる……呼吸も荒い。


「おい! 君! 大丈夫か!? おい!」


 僕の意識が朦朧としている中、一人の男性が僕に話しかけてきた。


 あぁ、この人どこかで見覚えがあるな……。

 確か……魔法学校に入学する前に出会った商人だったか……?

 またこの男性に助けられるのか……申し訳ないな……。


 僕の意識はそこで途切れた。

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