閑話 台風の目な2人その4

「うっ……臭い」


「我慢、だ……我慢しよう、ルティ」


 そしてレオネル一行は悪臭がただよう下水道の通路を進んでいた。通路はせまく、大の大人2人がどうにかすれ違える程度のものしかない。その上すさまじい悪臭が彼らの鼻腔を刺激し、顔をしかめるのも無理は無かった。


「申し訳ありません。今しばらくの辛抱を」


「ここを抜けさえすればまた旅を続けられますから」


 レオネルの従卒らも卵が腐ったような臭いに涙目になりつつも主とルティーナを先導しつつ進んでいく。いち貴族として生活していた頃には想像すらしなかったこの臭いを受け、自分達は何をやっているのだろうと我に返りそうになるのを我慢しながら。


「ここを曲がれば出口にたどり着くかと――」


「はいはいご苦労さん……こんなところをよくまぁ進んだぜ」


 鼻がもげてしまいそうな臭いに誰もが気分をなえさせる中、従卒のひとりが声をかけると同時に聞きなれない男の声が前方から響く。レオネル達がそちらに意識を向ければ、軽装備に身を包んだ荒くれ者のような男たちがそこに立っていた。


「なっ!? ぼ、冒険者か!?」


「おう、その通りよ」


「朝イチで招集かけられた時は何事かと思ったけれど、まぁお貴族様相手じゃ仕方ねぇってことだな」


「諦めてくれよ……でなきゃ痛い目見るぜ。そこのべっぴんさん連れた男以外はな」


 前方には10人近くの冒険者が道を塞ぎ、後ろからも何人もの歴戦の戦士だと感じさせる風貌の男達が立ちはだかる。退路を断たれ、どうすればいいかと迷っているレオネルらに更なる追撃の言葉が浴びせられる。


「もう辺境伯サマの私兵もこっちに向かってるはずだ。ま、流石にこの臭い通路を進めるのはそういねぇだろうがな」


「後詰も万全、その上カクニイハの旦那は金払いがいいからな。ご褒美ぐらい用意してくれるだろうさ」


「違いねぇ」


 冒険者達の方でどっと笑いが起きるが、そんなものはレオネル達にとって面白くも何ともない。じりじりと距離を詰められ、せめてルティーナだけは守ろうとレオネルは彼女の前に立って盾になろうとする。


「ルティは……せめてルティだけでも僕が守ってみせる……!」


 この距離では詠唱をしようとしてもまず距離を詰められて組み伏せられる。かといって間に合う程度の長さで魔法を発動しても大した破壊力にはならない。だからこそ彼は彼女を守らんと己の意地を見せようとした。そして彼女を少しでも安心させようと手を掴もうとする。


「おっと、そっちの女は別に死のうが死ぬまいが何でもいいと仰せだ。ま、諦めてくれや兄ちゃん」


「お、お待ちになって!」


 ――が、その手はルティーナが冒険者達に声をかけると同時に前に出たことで空振りとなり、悪い想像が彼の脳裏に浮かんでしまう。


「私が……私が身を差し出せば助けてくださいますか?」


「駄目だ! 駄目だルティ!!」


 想像通り、彼女は自分の身を犠牲にしてでも自分達を助けようとしていた。それでは逃げ出した意味が無い。こんな結末を求めていたのではないとレオネルは必死に手を伸ばす。


「せめて、せめてレオ……レオネル様だけでもどうか」


「レオネル……オイ、マジか。たしか第二王子の名前がそうじゃなかったか?」


「とんだ大捕り物じゃねぇか……オレら王子様相手にしてたのかよ」


 ルティーナがレオネルの名前を挙げればすぐに冒険者達の間でざわめきが起きる。『やんごとなきお方を保護する』という名目で集められた彼らだったが、流石に国の王子とまでは思っていなかったようで動揺が広がっていった。


「えぇ。ですからどうか、私の身ひとつでお許しを――」


「あ、でも確か王子ってヴァンデルハートの人間にかどかわされたって聞いたぞ」


「そうそう。なんかもう死体でもいいから確保しろって指示があったな。ソイツが諸悪の根源だから――」


「実は私、レオネル様に買われた娼婦なのです。名をルチアと申します」


「ルティーーーーー!?」


 なお自分の名前と扱いについての話が出た途端、ルティーナはすぐに身分と名前を偽って彼らの前にひざまずく。すがすがしいまでに逃げる気満々であった。


「こ、この女ぁ……!」


「……本当か? そのカッコからしてどう考えても貴族の類だろ、アンタ」


「おい。そっちの王子様がルティって呼んでたじゃねぇか。大ボラ吹いてんじゃねぇぞ」


「そ、そうだ! 彼女は、ルティは僕が愛した女性で――」


「レオネル様は私を溺愛してくださり、こうして貴族と見紛うような恰好までさせてくださったのです。ルティと呼んで親しくしていた方と名前が近いのでよく呼び間違えてしまって……ですがレオネル様にそのような不躾なことは申し上げられませんから」


 そして嘘をついてでも全力で逃げ切る気であった。従卒どもは殺意をたぎらせ、冒険者は心底呆れた様子でルティーナを見つめ、レオネルだけが信じられないとばかりに口をパクパクと動かしている。


 ……実はさっき自分の身を挺するような発言も『たとえ自分が奴隷に堕ちたとしてもレオネルならば自分を買い戻して傍に置いてくれるはず』という打算が働いていたものであり、もうこの場で殺されかねないとわかった以上は彼よりも冒険者達に媚びた方がいいと考えたのだ。やはりとんだクズであった。


「る、ルティ……ぼ、僕を捨てるの? ルティは僕のそばをずっと離れないと思ってたのに……」


「レオネル様、私はルチアですよ――ですのでレオネル様の寵愛は受けましたが、ただの卑しい女です。どうか、私のことはお目こぼしいただければ……」


 こと自分の命がかかっている。ならば手段など選ばず全てをなげうつ覚悟であったルティーナは次から次へと嘘を並べ立て、男すら切り捨てる。その様にレオネルは思わずその場に崩れ落ち、冒険者達も信じられないものを見るような目つきでこの女を見ていた。


「もしよろしかったら夜の相手も務めますが、どうされますか?」


 しかも体を売ることすら辞さない。というか元々男漁りをしていた人間だったため、楽しむのも込みで体を差し出そうとしていた。その様を見て冒険者達は一層引き、彼女を愛していたはずの青年も深い絶望の淵に立たされてただただ涙を流すばかりだった。


「ぼく、は……なんのためににげてきたの? なんで……」


「レオネル様! レオネル様、お気を確かに!!」


「だから申し上げたじゃないですか!! あの女は相手になんかしてはいけませんって!!」


「いや……マジどうするよ? 王子様が見てて気の毒になってきたぞ」


「とりあえず王子様は確保でいいだろ。護衛の奴らは……まぁ抵抗する気もねぇみたいだし、テキトーに声かければいいんじゃね?」


 両手でスカートの端を持ちながら誘い受けをする女を他所に、冒険者達はお互いひそひそと声を潜めながらレオネルらの扱いをどうするかと相談を始めた。この世の全てに絶望して目から雫を垂れ流している青年を、そんな彼を必死に見て心底不憫に思えて仕方なくなってきたのだ。


「臭い……なんでこんなところに逃げ込んで……おい待った。一体何があった」


「頼むから聞くな。とりあえず王子様とおつきの奴らを保護してやってくれ」


「そちらの冒険者の言った通り、私達はもう抵抗する気は無い。レオネル様だけはどうか丁重に扱ってくれれば何も言わない」


「わ、わかった……」


 そうしてレオネルは従者のひとりに支えられながら辺境伯の私兵の後をついていき、他の従卒も冒険者達に囲まれながら歩いていった。


「あの……私は?」


「……とりあえず確保か」


「おう。コイツの血で武器汚したくねぇ」


 なおお預けを食らっていたルティーナであったが、とりあえずそのまま囲まれて連行されることに。愛を誓った一組の男女の脱走劇は尻切れトンボもかくやの様相で終わりを告げたのであった……。

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