閑話 台風の目な2人その2

「ではそちらの装飾品とドレスを」


「ありがとうございます。では後ほど、宿泊されている宿に届けさせていただきます」


 レオネルがルティーナ・ヴァンデルハートを夜会から連れ出して逃げた日から10日ほど経った日のこと。王国西部のイヒリラ帝国との境目にあるソチカの街に彼らの姿はあった。


「ありがとう。レオ」


「これぐらい大したことじゃないよ。ルティが笑ってくれるなら」


 訪れた貴族向けの店で今日もレオネルはルティーナにせがまれるまま服や装飾品を買い与えていた。無論支払いは彼の従卒が行っており、彼らの表情が買い物をする毎に段々と険しいものになっていっていることに気付いていない。


「じゃあ次はどうしようか。このまま食事でも」


「そうね。昨日言ってた表通りのあのお店、行ってみたいわ」


 この日もまたレオネルはルティーナという女に溺れており、彼女と自由に、やりたかったように一日を過ごすつもりである――セリナに婚約破棄をした時以来、彼はずっと王族らしからぬ振る舞いを続けていた。



 ミカス王国の第二王子であるレオネル・ミカス・アルカディアは幼少の頃より気弱な性格であり、人の上に立つことに適した性分ではなかった。


 過去にレオネルに仕えていた使用人もどこかおっかなびっくりな様子で彼が命じていたということは覚えていたし、従卒の人間も彼が普段は背を丸めて「どうしようどうしよう」と考えてはうろたえる質だということを知っている。


 昔から小動物的な気質ゆえにレオネルを慕う者はいずれも彼の行く末が心配になった世話焼きの性分のものばかりである。そんな彼であったが、それが一層ひどくなったのは彼が婚約したある少女、セリナ・ヴァンデルハートと付き合いだした頃からであった。


『レオネルさま、私のこんやく者なんですからもっとしゃんとしてください!』


『ご、ごめんなさい!』


 セリナ・ヴァンデルハートは幼少より貴族たらんとしていた少女であった。それが母親の不名誉なウワサの払しょくのために努力していたという点や、元々そういう性格であったということもレオネルは自分の使用人のする口さがない話からも察している。だがそれはそれとして彼はそんな少女が昔から苦手であったのだ。


『レオネルさま! 話すときはちゃんと私をみてください! そんな風に見るのはレディにたいしてよりシツレイですわ!』


『は、はいっ! ごめんなさい!』


 彼にとってセリナは『婚約者』というよりは『マナー講師』という存在であり、年を経ていくらか言葉遣いが柔らかくなっていってもずっと苦手だと思っていたのは言うまでもない。


『もう……私はしょう来、あなたのつまになるんですからそんな風に見ないでください』


『う、うぅ……』


『レオネルさまがそんなのじゃ、王さまも私のお父さまもふあんになってしまいます――だいじょうぶ。私がレオネルさまをりっぱな王子にしてさしあげますわ!』


 たとえ彼女が厳しく接しているのが自分のためであったと知っていてもだ。むしろそのおせっかいが彼にとっては重荷になっていたのである。


 王様なんて自分以外の兄妹がやればいい。自分は好きな人とただ静かに幸せに暮らしたい。そんな王族らしからぬ考えをするようになっていったのはある種自然なことであった。


『レオネル様、ご機嫌麗しゅうございます』


『あ、ルティーナ様……ご機嫌うるわしゅう』


 ――そんな彼に転機が訪れたのは11歳の頃。ずっと苦手感情を持ち続けていたセリナの母であるルティーナが、彼とよく接触するようになっていった頃からだ。


『ごめんなさい。あの子ったら、今日もあなたを振り回してしまったようで……』


『い、いえ、その……ぼ、僕……じゃなかった。私が至らなかったせいです』


 顔立ちさえ整っていれば子供から老人までまんべんなく愛でるルティーナにとって、紅顔の美少年であったレオネルもまたその対象の範囲にあった。所帯を持ったことで少し落ち着きを見せたこの女であったが、歳を経る毎に段々とあどけなさが抜けて美しくなっていくこの少年に粉をかけずにはいられなかった。無駄に尻軽な女である。


『いいえ。それでもレオネル様はセリナの婚約者としてふさわしくあるよう振舞っておいでですもの。その努力を私は見ております』


『あ……はい』


『それと――今は私しか見ておりません。もっと気を抜いて、自分のことを僕と言っても構いませんよ?』


『うぇっ? ぁ、その……』


 そしてレオネルも事あるごとに自分の努力を褒め、素の自分であっても構わないと言ってくるこの女に段々と心を開くようになっていった。


 まさか娘から自分を奪おうとしているなんて考えもつかなかったし、彼女と話をしていた時は気弱で王族らしくない自分でいることを受け入れてくれた。それ故に彼はルティーナという女に夢中になっていったのである。


『ふしだらな女でごめんささい……レオネル様、私はあなたを愛しております。娘のセリナでなく、私をあなたの最愛にしてくださいませんか?』


『そ、そんな……わ、私は……』


 だから彼が15歳の頃に思いを打ち明けられた時にはレオネルも驚きはしたものの、心の中は喜びでいっぱいであった。


『で、ですが、私はセリナの……』


 だがそれを彼の倫理観は許しはしない。自分は王家の人間としてたとえ婚約者の母に手を出す訳にはいかないと自制しようとしたのだ。何せ夫がいるのだし、それに婚約者であるセリナを裏切るような真似など彼には出来ない。だから首を横に振ったのだが、ルティーナはそんな彼の頬に手を添えて止める。


『レオネル様。ここは私しかいません。そんな堅苦しい言葉なんて使わないで、いつものように素敵なあなたを出して? 気弱で、誠実であらんとしているあなたを私は愛しています』


『う、うぅ……ルティ、僕は、僕は……』


 そしていつものように自分の素を出してほしいと情欲のこもった瞳で見つめられればそれに抗う術を彼は持っていない。何度となく男をその気にさせ、手玉に取った女にまだまだ青い子供でしかなかったレオネルはより深く心を絡めとられていく。


『僕も……僕もルティが好きだ。好きなんだ! 愛している! 君と一緒がいいんだ!』


『レオ!!』


 そうしてこの日もレオネルはまだ純潔を守っているセリナを裏切り、ルティーナと愛欲に溺れる。そんな日を幾度となく続け、彼はルティーナにそそのかされるままに城を出て行った。これが婚約破棄騒動の真実である。


 ――だが他人を裏切った末の我欲に満ちた日がそう長く続くことなどない。そのことを2人はすぐに思い知ることになる。

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