第4話 想定外はどこでも起こる

 ダンジョン。それは人間や家畜などをターゲットに襲う生命体である魔物を算出する場所であり、またそれら魔物を資源として見るならばどこにでも現れる鉱山のような場所である――かつて私が通っていたルミナスライト学院において教わった内容を簡単にまとめるとこういったものでした。


 今私はそのダンジョンの一つ、低レベルの人間に向けて解放されているゴブリンなどが住まうダンジョンへと赴いており、ギルドから斡旋された荷物持ちの少年と共に迫ってきているゴブリンの群れに向けて魔法を詠唱しているところです。


「魔力よ集いて形を成せ、汝の名は風の刃、く鋭利となれ 我が敵を切り捨てよ、ウィンドカッター!」


 石造りの床がゴブリンの群れの血にまみれ、何者かの手によって造られたとしか思えない壁にもいくらか血が飛び散っていく。私が操った風の刃は何の苦も無く魔物を両断した。


 ――ここに来る数十分ほど前のこと。あの怖い女性に追い出された私達はギルド近くの安宿……ベティ曰く、これでも普通の人間からすれば贅沢の範疇らしかったのですが、そこで部屋を借りて今後の相談を軽くしました。目的は当然賠償金の支払いのためのお金稼ぎ。これはすぐに決まりました。


(特に問題はありませんわね。この程度なら余裕で倒せます。二人を巻き込まなくて良かった)


 その際お父様とベティも共に戦いたいと申し出て来たのですが私はそれを拒否しました。何分なにぶんお父様は2小節までの詠唱がせいぜいですし、ベティも一応の訓練はしてますがあまり強いとは言えません。


 そうなると最悪二人を守りながらの戦いとなるため私は断りました。守りながらの戦いが難しいというのは学院の訓練でわかってはいたからこそ、私は二人の頼みを蹴ったのです。


 その後私は学院の戦闘訓練用に仕立てたブラウスとプリーツスカート、ジャケットを身に着け、再度ギルドに赴きました。ダンジョンに入るためには申請が必要だったのが理由です。


 ダンジョンを選んだのはお金を稼ぐことが外の魔物を倒すよりも容易であったことです。街の周辺でいつ現れるかわからない魔物を相手にするより、常時魔物が徘徊しているダンジョンに入った方が遥かに稼げますから。早くまとまったお金を手に入れたいと思いつつ私は周囲の索敵を続けました。


「うわー……貴族様すげぇ。10匹のゴブリンが真っ二つじゃん」


「当然でしょう?」


 魔法はあくまで最低限学んだ程度ではありましたが、ちゃんと真面目に取り組んでいた甲斐があったと私は確信しました。守る相手が私自身とギルドで雇った荷物運びの子供に無駄な力を入れずに済みますから。敵が周囲にいないことを確認してから私は荷物持ちの少年に指示を出しました。


「では私が耳を切り落とします。貴方はそれを回収なさい。切り裂け、ウィンドカッター」


「へーい……」


 血の汚れと臭いが気になるようでしたし、それを気にするのもわかります。しかしそれも込みで仕事でしょうと問いたくなりました……後で火を起こしてから服を洗ってあげた方がいいかもしれませんわね。


 目の前のアーニーという名前だったと記憶している少年に私はそんなことを思いつつ、討伐証明となる部位を拾っている様をながめていました。もしかするとこれからつき合いが長くなるかもしれません。ここで印象を良くしておいた方がいいかもと頭の中で計算していると、不意に彼の方から声を掛けられました。


「終わりました」


「ありがとうアーニー。じゃあ早速奥へと向かいましょう」


 灰色の髪の少年に礼を述べつつ、私は彼と共にイリリーク周辺に現れたダンジョンの一つを進んでいきました。


「撃ち放て、エアロブラスト」


「グギャッ!?」


「……マジでおっかねぇな貴族様」


 時折現れる魔物を魔法で倒し、それを荷物持ちの子が討伐証明となる部位と魔石を収集して進む。1階はひたすらそれの繰り返しでした。


「ちょ、アンタ! ヤバ――」


「――砕け、アクアハンマー!」


「ゴブッ!?」


 しかし時折死角に潜んで不意打ちを仕掛けてくる知恵の回るモノもいたため、簡単ではありませんでしたが。結局気を抜けないという点では外で魔物を狩るのと大差ありませんでした。


「えぇー……いや普通に撃退するなよ」


「私とて無駄に傷つきたくはありませんから。クライアントにかける言葉ではありませんよ?」


 今回も魔物と戦って傷を負わずに済んだものの、彼から向けられる視線が段々と強い魔物か何かを見るようなものに変質してきているのを見て私は少し苛立った。しかし怒りをそのまま露わにするのは品が無いからとたしなめるように言ったものの、結局その態度は変わらぬまま。


 とはいえ彼はしっかり仕事を果たしてくれてはいたため、私としても文句は言えない。彼とはあくまで雇用関係なのだからと割り切り、魔物を撃破して進んでいく。


(稼ぎはともかくとして、ここなら安全に稼げそうです)


 出てくる魔物の強さからして一方的に倒せる相手。それらを倒して少しずつお金を稼いではレベルアップを繰り返し、一歩ずつ進んでいく。それが頭の中に最適解として浮かびました。これで賠償金の支払いもいける、そう吞気に考えていたのです。


「で、出たぞー! ゴブリンナイトとチャンピオンだー!」


「に、逃げろー!! 下層の魔物が出たー!!」


 ――本来下の階層に生息するはずの魔物がなんらかの原因で上にやってくるという現象が起きるまでは。


 世界には多種多様な魔物が存在し、その一種であっても様々なものがいる。かつて学院に通った時にそう聞いたことがありました。先程聞こえた悲鳴の中にあった『ゴブリンナイト』と『チャンピオン』もその中の一つでしょう。3体の魔物が下卑た笑みを浮かべながらこちらにゆっくりと迫ってきているのが見えました。


「――っ」


 しかもゴブリンの倍はある大きさのがっしりとした体の魔物は左手に肉塊を持っている。その肉塊の一部に髪の毛のようなものがあるのを見て私は気づく――あれはおそらく死体であると。おそらくあの魔物が右手で握っていた大きなこん棒で滅多打ちにされ、原形を留めなくなってしまったということでしょう。このダンジョンの浅い階層で稼いでいる冒険者からすればアレらは強敵どころの問題ではない。それを一瞬で理解しました。


「あ、アンタも逃げろ! アイツらに敵うもんか!」


 1階は普通のゴブリンばかりで他にはいない。しかも下層の魔物だとこちらに逃げて来た方が仰ってましたし、荷物持ちの彼の怯えようを見れば間違いなく格上だと私は理解できた。こちらとしても2種類の知らない魔物を相手にしようとは思えず、すぐに逃げようと考えました。


「えぇ。流石に命は惜しいです――っ!」


 しかしその時、目が合ってしまった。腰を抜かした冒険者と思しき女性と。その彼女は今、3体の魔物に迫られている。敗残兵のように見える装備を身に着けた2体のゴブリンと、手に持っていた肉塊を投げ捨てたオーガに近い体躯をした魔物に。


 このままでは彼女はまず間違いなく死ぬけれどもそれも私には関係ない。お父様とベティのためにも逃げなければ。今すぐにでも助けたい衝動に駆られるながらも、奥歯を噛みしめてその思いを殺す。すぐに私は踵を返そうとした。


「た、助けて……」


 でもそれも彼女の口から漏れたつぶやきを聞くまでの話。その瞬間、自分の中で血が沸騰したかのように錯覚する。


「――魔力よ集いて形を成せ」


 気づいた時には既に私は駆け抜けてしまっていた。そしてあの女性を風で入り口近くまで飛ばすのにどれだけの詠唱の長さが必要なのかを考えてしまっていた。


「お、おいアンタ!」


「汝は荒れ狂う風であり世界を駆け抜けるもの」


 ちまちま稼いで危険なことには首を突っ込まない。そんなことをすればあの3人に復讐する前に死んでしまうかもしれない。宿屋でそう話したはずなのに今となってはそれが心底馬鹿馬鹿しく思えてしまって、アーニーの声も頭に残らなかった。


「駆けよ、サイクロン!」


 ただ救う。それが力ある人間の使命である。そう確信して私は魔法を発動する。


「っ!? きゃ、きゃぁー!!」


 読み通り2小節。それだけで彼女の体は簡単に浮く。そのまま入り口に向けて風に乗せて運ぶ。けれども途中でやめないとこの魔物どもと戦えない。3体の魔物に囲まれて手足を武器で潰されそうになっていた女性に心の中でわびつつ、私は前を向いて身構える。


「あんた馬鹿か!? レベルだって足りてないだろ! いくら貴族様だからって――」


「えぇ。愚かでしょうね」


 愚弄されるのはわかっていましたが、やはり口にされると苛立ちます――でも、仕方ありません。だって、そうですもの。


「貴族たるもの、与えられた力は弱者のために振るうものです――それに、人を助けるのに理由など必要でして?」


 与えられた名分というのもありますが、そもそも私はどうしようもならないぐらいにお人好しですから。


 そんな時、ベティがヴァンデルハート家に訪れた本当の理由を思い出して私は思わず苦笑してしまった。


「さ、お行きなさい。私が退却するまで守ってさしあげます」


 だってあの時、今にも死にそうになっていた貧民街の女の子を助けたい、と私の母だった人間にお願いした時と似ていたのですもの。なら動かない理由はありません。それが私、セリナ・ヴァンデルハートという人間ですから。


「いえ、折角です……ここで倒して賠償金の足しにするとしましょう」


 荷物持ちの坊やと助けた方に一度視線を向けてから迫ってくる3つの影に杖を向ける……大丈夫。流石にもう戦うしかなくなりましたが、どれだけ強くても相手はゴブリンでしかない。私なら勝てる、私ならやれると自信を鼓舞して。


(魔物の討伐など学院で何度もやっています。この程度、私ならやれる。このセリナ・ヴァンデルハートならば!)


 前から迫ってくる敵意を受けて嫌な汗が流れたものの、絶対に勝つのだとそう心の中でつぶやいた。まだあの浮気者2人と死に損ないの執事の頬を張ってもいないし、腹黒宰相の鼻を明かしてもいない。その思いが未知の相手に立ち向かう力を与えてくれた。


 まだ死ねない。まだ死ぬ場所じゃない。心を奮い立たせ、私は杖を構えた。

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