甘苦な人生物語
まえだたけと
甘苦な人生物語
まさか会社が倒産するなんて夢にも思っていなかった。終身雇用が当たり前のあの時だったから、会社に骨を埋める覚悟で働いてきた。しかし50歳で営業部長にまで上り詰めたその3年後、金融危機の煽りを受けた会社は一気に傾いた。死に物狂いでその立て直しを図ったが、世界的な不況の前には全くの無力だった。どれだけの歴史があっても崩れる時は見事に音を立てて崩れる。しかも一瞬で。
当てにしていた退職金は一銭も支払われず、失業保険と貯金の切り崩しでやりくりする日々。2人の娘が大学に通う為の学費は残してあったが、専業主婦の妻も含めた4人での生活を同等の水準で維持することは難しく、持ち家と2台あった車を売りなんとか当面の生活費を工面した。しかし目に見えて減っていく通帳残高を前に安心することなどできない。
職を探す日々。不況とは言え、日雇いの仕事ならいくらでもあった。しかし営業部長に上り詰めたプライドが足枷となって次の1歩が踏み出せない。やがて妻は近所のスーパーのパートとして働き出した。娘たちも生活の為ならと割のいいバイトを始めたと言うが、情けないことにその内容を聴くまで踏み込むことは出来なかった。
いつの間にか、狭い賃貸でひとりになっていた。毎日会社に行き休日はゴルフという生活を送っていた男が、一転して何の稼ぎも得ずに毎日手狭な空間にいて同じ空気を吸うなんて、彼女たちから煙たがられるのも当然だろう。あの会社では優秀だったかもしれないが、夫としては、或いは父としては劣等。今やもう誰の夫でもなくなったし、父親としては認められるわけもない。何とも情けない人生である。
本当にひとりになって3か月ほど経ったある日の昼下がり。錆びた足枷を引きずりながらひとり公園のベンチに座っていると、ひとりの男が声を掛けてきた。かつてお世話になった取引先の社長だった。今は会長職に就いているらしく、悠々自適に昼間から散歩をしていたのだそうだ。こんな時間に何をしているのかと問われ、何をしているのか分からないと答えた。すると彼は隣のベンチに座り煙草に火をつけると、私にも1本どうかと促した。断る理由などなかった。賃貸に引っ越して以来初めての煙が心地よい。そんな私の表情をじっくり見つめながら、彼は人生最後に仕掛ける事業についてゆっくりと話し始めた。そして見せたいものがあるからついて来るように促した。
彼に連れられて辿り着いたのはオフィス街の路地裏にある空きテナント。彼の会社はこのオフィス街にある。彼は言う、ここで喫茶店を開きたいのだと。そしてそれは金儲けの為にやるのではないと。このオフィス街も一昔前と変わって情緒がなくなってきた。コーヒーの香りと紫煙にまみれた、古臭い人情と情緒が溢れる喫茶店を創りたい。加速度が増し過ぎて大切なことが失われているこの時代だからこそ、そういう店を創るのだと。
話によると彼は奥さんと死別したらしく、それをきっかけに会社は後進に譲ったのだそうだ。喪が明けたタイミングで何か動き出したいと思い立ち、今ここで喫茶店を開こうとしているのだ。彼の会社は先の金融危機でダメージは喰らったが、彼曰く運よく生き残り、今や過去最高益を叩き出すまでになった。しかしそれは運がいいのではなく、経営者としてよく利く彼の鼻が会社を救ったに違いない。その利益で次の仕事を仕掛けるというのもまさに彼らしい。嫉妬するまでもなく、素直に尊敬できる男だ。
しかしそんな彼でさえも後悔していた。会社を守るべく奮闘していたタイミングで体調を崩した奥さんの世話がまともにできなかったことを。別の会社で役員を務める息子さんが奥さんの世話をしていたが、その息子さんに「お父さんは仕事人間だから病院には来ないわよね」と語っていたことを聞かされた時は、何とも言えない気持ちになったのだそうだ。そんなこんなで時すでに遅しとは気づいていたが、せめてもの喪に服し仏壇に手を合わせる日々を送り、彼なりにけじめがついたところで、仕事人間よろしく動き出している。
彼はひとりになってから本当に自分がやりたいことは何だったのだろうかと考えるようになった。会社を大きくし、他人に自慢できるぐらいに稼ぎ、前代未聞の金融危機まで乗り越えたが、それは何の為だったのかと自問した時、はっきりと答えることができなかったからだ。そしてそれは奥さんや息子さんを放ったらかしにしてまでやることだったのだろうかと、全くの疑問しかなかった。
この問題は現代に生きる全ての者への問いかけでもある。「今だけ、金だけ、自分だけ」とは上手く言ったものだ。スマホひとつで誰とでも繋がれるこの時代の恩恵は確かに大きい。しかし一番大切なはずの物理的に一番近しい人との繋がりが蔑ろにされてはいないだろうか。街は便利になったが、それは近所に住む人の名前を知れなくなるほど必要な便利さなのだろうか。
洒落たカフェは増えたが、皆パソコンを広げてイヤホンで耳を塞ぎ、声を発したかと思えばそれは画面越しの誰かへの声。対面で喋っていると思えばやれ金儲けだのやれ効率的な働き方だの、およそ人間的な会話ではなく味気ない。彼が夢見るのはカチャカチャと食器の音がする味のある喫茶店。マスターが客に目を配りながらコーヒーを淹れ、大したことのない軽食を手際よく心を込めて準備するのだ。
だが彼はもう自分がカウンターに立つほど若くはないし、しかもそれは自分に向いている仕事ではないという。誰かを探していたのだ。だからかつて営業部長として培ったトーク力を武器にカウンターに立たないかと、これも何かの縁だからと私に打診したのだ。
もう私の錆びた足枷は切れていた。愛妻との死別に後悔した男が開く喫茶店に、夫失格のレッテルを貼られて妻に逃げられた男が立つ。なんだか味のある喫茶店になりそうではないか。今日以降給料を支払うからと言われ、私はその日のうちにマスターを拝命した。それには営業部長に成り上がった時を遥かに凌ぐ喜びがあった。
この打診がなければ私は本当にひとりのまま、錆びた足枷と共に朽ちていたことだろう。失ったものは大きいが、得たものはそれ以上に大きい。人生は捨てたものではないと言えば月並みだが、本当にそう感じている。
店は歳を食った独り者の男たちが創ったせいで、どうも集団で入るには手狭で独り者に優しい佇まいとなり、ひっそり開業した。その名もカタカナで「ビタースイート」。濃い茶色のテーブル。2人掛けのソファ席が5対。ハイチェアのカウンター席は7つだがそのうち3つは荷物置きになっていてもう客席としては使えない。陶器の灰皿にはオリジナルロゴが描かれたマッチを添えた。照明は昔ながらの裸電球のなんとも古臭い佇まい。それでよいのだ。
会長は客のフリをして毎朝店に顔を出す。もちろんコーヒーチケットは自腹。ミルクは要らないがシュガーは匙に山盛り3杯。飲み終えたカップの底に残る黒ずんだシュガーを舐めるまでがルーティン。新聞の社説にケチをつけたかと思えばランチタイムになると満席になるからと気を利かせて帰っていく。私はふらっと入ってくる客も、毎日のように来る客も、だいたいの客のことは記憶する。これは営業部長時代に培った人たらしの能力ゆえだろう。お喋りな客とはお喋りをし、静かにしたい客はそっとしておく。ひとりひとりが心地よく過ごせるような雰囲気作りに精を出している。
怪しげなビジネスの勧誘をしている客には私から注意する。そんなに甘く稼げる仕事はない。それは歳を食った私がよく知っている。ちなみにこの店にネット環境はない。ただし煙草は吸えるし新聞は読める。私はいつからか新聞が嫌いだが、客との会話のきっかけになる。新聞に書いてあることを鵜呑みにしてはいけないという話や、その社説はあまりにも酷いとか、たまにはいい記事があるじゃないかとか、そういう話をする。これだけでこちらも客が選べるというものだ。客と政治や宗教の話はするなというのは嘘だ。普段そういう話をしていないから、ある時急に不和が生まれる。最初から喋っておけばお互いが選別できるではないか。
現代的なマーケティングだとか経営コンサルだとかの自称専門家からすれば、こんな店はやっていけるはずがない。しかしそんな理論武装で店舗経営が出来ないことを私たちは知っている。理論は実践の中にのみ存在するのだ。コーヒーを淹れる技術だって実践を重ねた結果、ようやく客に褒めてもらえるようになってきた。正直に言ってしまえばコンビニコーヒーの方が安定して美味いし安いが、日々変わるこの味を楽しんで頂ければと思っている。
そんなこんなで私はしばらくひとりで店を切り盛りしていたが、そろそろ誰かに手伝ってもらってもいいぐらいには売り上げが立ってきた。利益はほぼ全部私の手取りにして良いと会長は言ってくれたが、それでは世間様に申し訳ない。私がこうしてやって来られたのは決して私ひとりの力ではない。この世の中の構造が私というひとりの人間を活かしてくれているのだから、せめてもの世の中に貢献したいものだ。
そんなことを想うようになってからしばらくしたある日、見慣れぬ俯き加減の若い男がひとり店に入ってきた。見慣れぬ客というのはほぼ間違いなく初めての客だ。これは元営業部長の誇りにかけて言っておく。上長と口論になって会社を辞めて来たというその男は、いつかの私によく似た空気を纏っていた。余計なプライドが足枷となって素直になれないその男に、私はコーヒーを差し出しながら提案する。よかったら次の仕事が見つかるまでうちで働かないかと。
その男の名は高橋。高橋は私の提案に目を丸くした。私としては高橋がこの店で働こうが働かまいがどうでもよかったが、選択肢の一つぐらいは与えられればと思った。不可抗力で会社を辞めることになることの辛さは理解しているつもりだったし、見ず知らずの私に自らの現状を語れるほどの余裕があるなら救いようはある。傷は浅いうちに処置したいのだ。
高橋はその翌日から店員として働いている。まだ毎朝コーヒーチケットを切る老人がこの店の出資者だとは知らないし、私がなぜこの店に立つようになったかも知らない。だが高橋は、ひとりに見える誰だって絶対にひとりでは生きていけないことを悟り始めているようだ。かつての私が気付かされたよりも圧倒的に早く、そして財産でもあるその若さで。
営業部長だった私とは対照的な事務職に就いていた高橋の接客は、当然私とは対照的で物静かである。同じような属性の人間がふたりいるより、何だか違った人間がひとりずついた方が店としては面白い。画一的な社員研修で皆似た様な対応をする味気ないカフェよりはよっぽどいいだろう。そして迷惑を掛けなければ客と恋に落ちたっていい。高橋はまだ若いのだから、それも経験だろう。どうも最近はライチタイムによく来てくれる近所のオフィスで働く黒髪の若い女の客が気になっているようだ。バレンタインにはその女からチョコレートをもらっていた。私にもそれを渡しておくようにと言われたらしいが、私は甘ったるいものは苦手だから頂いたふりをして高橋にくれてやった。ラッキーストライクを苦めに淹れたコーヒーと合わせるこだわりは捨てるつもりがない。
高橋は高橋の、私には私の、会長には会長の、黒髪の女には黒髪の女の、また他の客には他の客のそれぞれの人生があるのだから、それぞれ邪魔をしなければそれでいい。ひとりひとりが何かしら影響しあってこの世界は成り立つのだから。
こんな具合で人間観察して日々を暮らしながら、会社員時代にはなかった幸せをひとり噛みしめている。ひとつだけやり残していることがあるとすれば前妻と娘たちへの謝罪だ。余計なプライドという足枷はもうどこかへ置いてきた。ひとりの男として彼女たちに感謝の気持ちを持って謝りに行こうと思う。
甘苦な人生物語 まえだたけと @maetake88
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