第18話 旅の目的 後編

 ゼーファに示された集落はもう目前だった。

 鬱蒼とした森を、シオンと二人黙々と進む。


 かつて、猟師などに使われていたのだろう。未舗装の獣道は、いまは使う者もなく荒れ果てていた。

 足元を撫でていく雑草を多少くすぐったく思いながら、ツムグはすぐ隣を歩くシオンに視線をやる。


 まるで先端に重りでもぶら下げているかのように真っすぐな白い髪は、新緑の放つ湿気の中でもピンと張りつめていた。

 宝玉のように赤い瞳は、覗き見るようなツムグの視線に気づくことなくまっすぐに前を見据えている。

 とりたてて表情が硬いわけではない。いつものシオンの表情だ。


 ──しかし、


 不意に、ツムグはスンと鼻を鳴らす。


(やっぱり、緊張してるんだな)


 本人には絶対に悟られないように、静かに大きく息を吸い込む。

 濃密な緑のにおいの中に、一筋の清涼な香りが鼻をかすめる。


 シオンが緊張で身をすくませるとき、ミントのような爽やかな匂いがするのだ。

 もちろん、本人には内緒である。もう一度ビンタされるのはごめんだった。


 この一か月間共に過ごしてきたが、ツムグはシオンのことをほとんどといっていいほど知らないままだ。

 あまりにも彼女のことを理解してしまえば、それはツムグ自身の身を脅かすことになる。


 シオンにかけられた呪い──"異種族殺し"は、彼女と深い交流を持つほどに強く作用する。

 姿形はほぼ同族であるシオンとツムグだが、実はわずかに種族が異なるらしい。

 ゆえに、ほかの異種族と比べればはるかに弱いが、シオンと話すほどにツムグの心臓は何かに掴まれたように苦しくなる。


 そのため、一か月も同じ時を過ごしてきたにしては、二人は驚くほど互いに対して無知だった。

 そのことを、ツムグはもどかしく思っていた。


(……もっと、自分のことを僕に話してくれてもいいのに)


 例えば、今がまさにそうだ。

 一か月間探し回り、ようやく彼女の呪いを解くヒント──"不完全性クリブ"を持つ種族に会えるというのに、いつもと同じようにふるまっている。


 本当は不安と期待で緊張しているのに、だ。

 

 はあ……。と、内心ため息をつきながら、視線を再び前方に戻す。

 すると、前方に何かが見えてきた。


「……看板、かな?」


 彼らが歩いている獣道同様、使われなくなって久しい朽ちた木の板が道の脇に転がっていた。

 明らかに人工物とわかるそれには、黒いインクで何かしらの文字が書いてある。


「どう、シオン。読める?」


 ダメもとで聞いてみるが、予想通りシオンは黙ってかぶりを振った。

 無論、識字障害ディスレクシアツムグにも読めるはずがない。


「ひょっとしたら、彼らが生活している場所のヒントになったかもしれないけど……ゴメンね」

「シオンが謝る必要はないよ。きっと、この辺で狩りをしていた猟師が何かの警告文でも書いてたんだろうさ。それにしても……」


 自責の傾向が強いシオンの気をそらすように、ツムグは看板の文字をそっと撫でた。


「もともと文字が読めない僕には信じがたいことだけど、かつてが存在してたなんてね……」

「……あたしも、今となっては信じられない気持ちよ」


「そして、それが今となってはに変化してるっていうんだから……」

「正確には、異種族には絶対に読めない、単一種族専用の文字なんだけどね」


 どっちみち、大多数の人に読めなければ一緒のことさ。

 そう言いかけ、口をつぐむ。


 もう一度、看板の文字に視線を落とす。

 ツムグの目には、何の規則性もない、ミミズがのたうち回った跡にしか見えない黒い線。

 しかしどうやら、それは識字障害ディスレクシアツムグに限った話ではないというのだ。


 この文字を読むことができるのは、限られたごく一部の種族のみ。

 言い換えると、種族の数だけ異なる文字形態が存在することになる。

 ツムグは転生直後の1年E組のことを思い出していた。

 彼らのステータスウィンドウの文字は、彼ら以外のだれにも読むことができなかったのだ。



 この文字こそが、今の世界を苛む呪いの根源だった。



 シオンの言う通り、異種族には絶対に読むことができない、単一種族専用文字。



 その名を"超暗号文字エニグマ"。



 ツムグたちは、"超暗号文字エニグマ"を解く"解呪呪文パスワード"を探すための旅をしている。

 そして、そのヒントを持つという種族に、ようやくたどり着いたのだ。


「読めないなら仕方ないよ。さ、急ごう」

「──ウン」


 隠しようのない緊張が、今度こそシオンから伝わってくる。

 

(リラックスしてもらうつもりだったのに、却って緊張させちゃったみたいだな……)


 強くなったミントの香りに、内心自嘲する。

 昔からこういうことが多い子供だった。気遣う相手から、逆に気を使われることが多かったのだ。


 打ち捨てられた看板を後に、二人は目的の集落に進む。


 

 "超暗号文字エニグマ"となった看板の文字を読める者はごくわずかだ。

 文字に選ばれた種族だけが、その文字を読むことができる。


 もしもその文字を読める種族がこの道を通りかかり、そして看板を呼んだとしたら

 その者はすぐにその道を引き返したに違いない。

 ツムグの推測は正しかった。看板は、この道を行く人々への警告だった。


 その看板にはこう書かれていた。



 ──危険、異種族喰いの獰猛モンスターの巣──


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