第17話 旅の目的 前編

 しばらく森を進むと、ゼーファの言った通り、開けた渓谷にでた。

 何者かが生活しているのだろう。遠くの川沿いから焚火らしき煙がいくつか上っているのが見えた。


「どうやら、目的地が見えてきたみたいね」

「──ウン」


 緊張感で声がこわばる、ツムグとシオン。

 対照的に、小柄な老人の声は恐怖に歪んでいた。


「のう、儂はこの辺でもういいじゃろう?約束通り、集落のある所まで案内したんじゃし」

『ええ……。確かにそうですね。でも、どうしたんですか、急に?』


 不思議そうに問うツムグに、ゼーファ老は体を僅かにゆする。

 分厚く、硬い緑色の皮膚が、小刻みに震えているのが分かった。


「儂も、随分と長いこと生きとる。その間、この世界では色んなことがあった。奇跡とも呼べる融和の時代を経て、”大災厄”によって大勢が死んだ。何があったかは、儂にはわからんがね──」


 そういう老人の声音には、日本でいう「君子、危うきに近寄らず」といったニュアンスが感じられた。

 もはや本能なのだろう。あるいは、”大災厄”のことを調べようとして、死んでしまった知人でもいたのかもしれない。

 いずれにせよ、過去に起こった未曽有の惨劇に触れまいとする明確な意思を感じさせた。


 ゼーファの言葉は続く。


「あの集落には、何かとてつもなく恐ろしいものが潜んどるよ。かつての融和の時代を──あの「超言語文字エクシード グラフ」の時代を知る儂には分かる。あの集落の奴らの結束は、なんじゃ」

『歪──って、どういうことですか?』


「儂にもよくは分からん。あれ以来、恐ろしいものには近づかんようにしとるからの。だが、あの集落を見て、儂の直感がそう告げたんじゃ。だってそうじゃろ……?」


 小緑人ゴブリンの老人は、節くれだった手をゆっくりと握りながら続ける。


「何一つ意思疎通がかなわないはずの連中が、どうして一緒に生活ができる?逆に、とは、いったい何だというんじゃ」

『……』


 あまりに率直な疑問に、ツムグは沈黙を保つしかなかった。

 老人には、自身のスキルについてはほとんど伝えていない。だから、ゼーファにはその集落にもスキル”通訳”の使い手がいる、という想像を巡らせる余地はない。


 だからといって、彼の真に迫った声音を無視することはできなかった。

 それは、おそらく無意識のうちに発動したスキル”通訳”の真価──読心術サトリのせいだったかもしれない。

 ゼーファの感じている不安や、恐ろしさをダイレクトに受け取ってしまったのだ。


『……分かりました。おじいさん、ここまでありがとうございました』

「これだけ言うても、おぬし等は行くんじゃな」


 恐怖ですくんでいた肩が、スッと落ちる。

 ゼーファは、どうやら本心でツムグたちの身を案じていたらしい。

 あんなに恐ろしいところに、行く必要などはない。そう言いたかったのだろう。


 見ず知らずの他人への親身な思いやりに感謝しながら、


『どうしても、会わなければいけない人がいるんです』


 「この、どうしようもない呪われた時代を終わらせるために」と、心の中でそう付け足す。

 来た道を指さし、


『おじいさんと出会ったところから、まっすぐ北に向かってしばらく行くと、小さな村があります。昔の集落を改良して、少数ですけど小緑人ゴブリン達が生活していました』

「──おお……!」


 ツムグの言葉に、感極まったようにゼーファが顔を覆う。

 おそらく、”大災厄”以来、同族と会ったことなどなかったに違いない。それはすなわち、他者との会話すら皆無であったことに他ならない。

 長い孤独と戦ってきた老人の背中を優しくさすり、


『その村にいる小緑人ゴブリン達、かなり若いせいもあってかもしれません。不思議に思うかもしれませんが、優しくしてあげてくださいね』

「もちろんじゃとも。ようやく巡り合えた同族。大事にせんわけがあるまい……!」


 枯れた声に力を取り戻したようで、ゼーファは駆け足で元来た道を帰っていった。

 小柄な緑の魔物の姿が見えなくなるまで手を振って見送ると、ツムグはシオンに向き直る。


 振り向いた先には、すでに緊張でこわばっているシオンの姿があった。

 そんな彼女を落ち着かせる意味も込めて、ツムグはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「いよいよ、出会えるかもしれないんだね。君の呪いを解く「不完全性クリブ」を持つ種族に……」

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