第16話 もう一人の繋ぎ手

「……そんなに怒ることだったかなあ?」

「そんな質問が出てくる時点で、すでにおかしいわよ」


「全然嫌な匂いじゃないんだよ?むしろ、とってもいい匂いなんだから」

「きゃッ……//」


 そう言って、シオンの首筋の匂いをスンスンと嗅ぐ。

 瞬間、シオンの顔はゆでだこのように真っ赤に染まる。


「ほら、やっぱりいい匂い──痛っ!?」

「この……エッチ!」


 再び強烈なビンタを浴び、地に伏す。


「最近分かったんだけど、あなたってどこか変よ。最初に会ったときは、こんなデリカシーのない人だとは思わなかったもの」

「よ、よく考えたら……。今までこんなに誰かと一緒にいたことなかったから気づかなかっただけで、僕って変な奴なのかな……」


 自信を無くしたようにうつむくツムグに、さらに隣を歩く小柄な魔物──小緑人ゴブリンが声をかける。


「なにやら揉めとったようじゃが、喧嘩かの?」

『あはは……。まあ、そんなものですよ』


「しかしそれにしては随分と豪快な仕打ちじゃったようじゃが……。おぬしら、本当に──」


 怪訝そうな表情の(とはいっても、深く硬いしわで覆われた彼らの顔色を読み解くのは難しいのだが)問いに、ツムグは機先を制するように答えをかぶせる。


『まあ、に十年ぶりに再会できたんですから、些細な行き違いがあっても仕方ないですよね』


 シオンのことを正直に教える訳にはいかないため、適当な嘘をつくことにしたのだが、それでも小緑人ゴブリンの疑念は晴れなかったようだ。


「姉弟というには、前々似とらんのお」

『異母兄弟なんですよ。姉は母親似でして』


「さっきのあれ、姉の匂いをああも露骨に嗅ぐものかの?」

なんです。家族への信愛を、ああいう形で表現するんですよ。もちろん、お返しのビンタの強さは愛情の深さに比例します』


 真顔でこうもはっきり言われてしまうと、そんなものかと納得するしかないようだった。

 釈然としないながらも、続く言葉もなく新緑の森を進み始める。


『それよりも、ゼーファさん。さっきのお話は本当なんですか?』

「やれやれ、今度は儂が疑われる番か」


 軽く嘆息し、ゼーファ──小緑人ゴブリンの老人は頬に刻まれた深い皺を軽くなぞる。


「ま、疑うのも無理もないかの。儂も、自分の眼で見るまでは、そんなものがあるなどと思いもしなかったからな」

『……本当なんですね?』


「ああ、この森を抜けた先にある渓谷に、”そいつら”は生活しとった。その中に、アンタの探しとる種族も確かにおったよ」

『本当に、その集落にはしていたんですか?』


 ツムグの問いに、ゼーファはかつての自分の記憶を掘り起こすように目を閉じる。

 やがて目を開けると、静かに頷いた。


 その様子を見て、


「シオン。やっぱりこの人が言ってるのは本当みたいだ」

「だとしたら、それは凄いことよ。”あの日”以来、異種族同士での交流が成立したなんて話、聞いたことがないんだから」


 ツムグの眼が希望に輝く。

 彼は、異種族同士で共生している集団に一つだけ心当たりがあった。かつてのクラスメイト達、1年E組のみんなである。

 彼らは、ツムグによって互いがクラスメイト同士であることを認識しているため、無用な殺し合いに及ぶリスクがない。


 加えて、言葉を使わずとも意思疎通できるような手がかりもある。ツムグが去った後も、どうにか集団として生活していけるはずだった。

 だが、今回向かっている先にいるのは1年E組ではない。ゼーファから伝え聞いた種族構成がまるで違うのだ。


「ひょっとして、彼らの中にもの持ち主が……!」

「そう考えるのは早計よ。それに、大事なのはそこじゃないでしょ。あたしたちが探している種族──その一人がそこにいるかもしれないってことなんだからね」


「わかってるさ。君にかけられた呪いを解く、それ以上に重要なことなんてないよ。君と、約束したからね」


 確認しあうように目線を合わせる。

 ただし、先ほどよりもシオンの距離が遠く感じるが、


「どうしたのさ、シオン。そんなに離れて。また僕に匂いを嗅がれないかって思ってるの?」

「正直……ちょっと恥ずかしいの」


 「なんだ、そんなことか」と笑い飛ばす。


「安心してよ、シオン。君からバラの匂いがするのは、冷や汗をかくような時だけだよ。そうじゃないときはもっと別の匂い、そう、例えるなら──ブベッ」

「そういうのを止めなさいって言ってるの!」


 三度強烈なビンタを浴びるツムグを見て、「妙な風習もあったもんじゃな」と一人感慨にふけるゼーファ老であった。


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