第二章 失われたカケラを求めて

第15話 スキルの活用法

 日本が崩壊し、1憶2千万人が異世界転生させられ、早一か月が経過しようとしていた。


 突如として人ならざる姿形に転生させられた日本国民にとって、それはまさに悪夢のような一か月だった。

 音鳴オトナリツムグのクラスは、まだ幸運な例だったに違いない。ツムグの介入がなければ、あのままクラスメイト同士で悲惨な殺し合いが続いていたことは想像に難くない。


 そして、転生させられたほとんどの集団でその凄惨な殺し合いが起こったのだ。


 結果として、多くの転生者が傷つけあい、あるいは理不尽なスキルの暴走に巻き込まれたりした。

 当然のことながら、ツムグのクラスは稀有な例だったのだ。


 やがて、転生直後の大混乱期を経て、転生者達は一つの重要な事実に気づくことになる。


 それは、同族同士であれば意思疎通が可能であるということだった。

 逆に言えば、異種族間での意思疎通は一切不可能であった。文字も、言語も、共通点を見出すことは叶わなかった。


 しかも、多様性に富んだ種族に転生させられたせいで、同族に遭遇することは稀であった。


 結果として、転生者達はかろうじて見つけられた見知らぬ同族達と、ぎこちないコミュニティを形成しながら、新天地に緩やかに順応していくことになったのだった。

 





 新緑の森の中を、無言の殺意が駆け抜ける。


 濃密な緑の香りが立ち込める中、ツムグは突如として現れた殺意の主に真剣な視線を送り続けた。

 自分を落ち着かせるため、そして相手の殺意に飲み込まれないよう、大きく息を吸う。


 光合成によって生成された、新鮮な酸素を胸いっぱいに吸い込む。

 呼吸はとても重要だ。とくに、ツムグのスキルは声が生命線である。

 どんな時でも、息を絶やすことはあってはならない。


 声を張り上げ、殺意の主に語り掛ける。


「初めまして!僕は音鳴オトナリツムグ!一か月前にこの世界に転生させられた日本人です!」


 意味があるのか良く分からない身振りを交えて、必死に語り掛ける。

 とにかく、こちらに敵意がないことを示すために両手を挙げ、ひきつった顔に無理やり笑みを浮かべた。


 しかし、殺意の主はその様子にかえって警戒感を強めたようだ。

 短く筋肉質な腕に力を籠め、きつく棍棒を握りしめる。小柄な全身をさらに縮め、いつでも襲い掛かれるように前傾姿勢をとる。


「と、とにかく落ち着いてください!僕はあなたに対してこれっぽっちも敵意はありません!」


 真上に挙げた手を使ってどうにか無害感をアピールしたかったのだろう。

 胸元まで両手を下ろし、掌を自分に向ける。あたかも手術前の医者がとるようなポーズである。


 しかし、何かしらの儀式を連想させる怪しげな動きと取られたらしく、殺意の主──小緑人ゴブリン──は警戒の唸り声を上げ始めた。

 その様子を見てツムグは、


(僕のこの姿を見てもここまで反応がないってことは、おそらく転生者じゃないってことだろう)


 相手の正体に何となくあたりをつけ始める。

 しかし、重要なのはここからだった。


(さっきから、あの小緑人ゴブリンは一言も。見慣れない格好をしているボクの姿に、警戒の唸り声をあげているだけだ……)


 ツムグのスキル”通訳”にはいくつかの制約が設けられている。

 その中の一つが、「相手の声を聴かなければ発動しない」である。うなり声ではなく、明確な意思を伝えるために発せられた言葉でなければ、スキルが発動しない。

 簡単に言えば、喋らない相手には何もできないのだ。

 先ほどの自己紹介も、相手には意味不明な雄叫びにでも聞こえていたに違いない。


「グアアッ!」


 逡巡するツムグに、小緑人ゴブリンは容赦なく襲い掛かる。

 小柄な体躯に似合わぬ俊敏さで、一気に彼我の距離を詰める。振り上げた棍棒は、正確にツムグの頭蓋を狙っていた。


「ツムグ!」

「うわわわっ!?」


 森の奥から聞こえてきた悲鳴に背中を押されるように、咄嗟に身を逸らして攻撃をかわす。

 耳のすぐ横を巨大な砲弾がかすめたような、鈍い風切り音に背筋が泡立つ。


 転がるようにして強引に距離を空け、再び相手と正対する。


「大丈夫、ツムグ!」

「平気だよ。シオンは危ないから出てこないでね……!」


 視線を小緑人ゴブリンから切ることなく、森の奥の声にそう答える。

 「でも、あなただって今死にそうだったでしょ!」という追い打ちは、とりあえず無視して当面の脅威に備える。


 危うく死にかけたわけだが、代わりに重要なことも分かった。


(相手は、。つまり、ちゃんと意味のある言葉を発声さえすれば、意思疎通が可能なんだ)


 当たり前のようだが、重要な事実だ。

 ただ、問題はこの切羽詰まった状況でそんな声を相手が発してくれるのか、ということだ。

 生きるか死ぬかの瀬戸際において、「死ねやオラア!」などと悠長に叫ぶことはまずない。

 必死であればあるほど、肺に溜め込んだ空気は、呼吸と自らを奮い立たせるための叫びに使われるものだ。


(そうだ。相手も恐れてるんだ。こんな身なりだけど、身長はボクの方が大きい。それに、いったいどんなスキルを隠し持っているか分かったものじゃない。見た目がひょろくても、一瞬で自分が殺されることだってあり得る……。そう思ってるに違いない)


 握っている棍棒は小刻みに震えていた。それは、激しい運動による動悸だけが原因ではないと、ツムグの眼は見抜いていた。

 

「きっと、相手だって戦いたくないんだ。だけど、こんな世界じゃ他に方法はない。なぜなら、意思疎通ができない他者なんてものは、基本的に未知の怪物でしかないんだから……!」


 自分自身に言い聞かせるようにそう呟く。

 すると、悲哀に歪んでいたツムグの両目に決意の光が宿る。


「ゴオオッ!」


 その視線の変化を攻撃の意志とみなしたのか、小緑人ゴブリンが己の恐怖を振り払うように再び棍棒を構える。

 大砲のような威力の攻撃。肩、足、そして腹部、あらゆる箇所を狙った、ある意味でたらめな攻撃を紙一重でかわしていく。

 

 ツムグの体術が優れているわけではない。自身の観察眼もあるが、なにより相手の攻撃が雑なのだ。


(……これは……!)


 数合まみえた後、ツムグは不意に体内の変化に気づく。

 なんということだ。どうして……。


「……グッ!?」


 たまらずその場で膝をつき、腹部を抑える。

 激痛に耐えるように身をよじり、顔に脂汗が浮かぶ。


「ツムグ!どうしたの!?まさか、さっきの攻撃がお腹を掠ったの!?」

「……!?」


 森の奥から悲鳴が上がる。同時に、小緑人ゴブリンは不可解そうに首をかしげる。

 棍棒に、それほど手ごたえがなかったらしい。


「……ぐぐぐ……!」


 二人の視線の中で、必死に何かをこらえるようにお腹を押さえ続ける。

 身をかがめ、顔面は蒼白だ。


 やがて──


 ……ぷううううううっ!


 引き絞った沈黙を台無しにするような、豪快で下品な音がツムグの尻から放射される!

 今度は、暗闇よりも深い沈黙と、独特の臭気が、新緑の瑞々しい空気を埋め尽くした。


 そして──


「「いや、そっち(オナラ)かーーーーい!」」


 たまらずシンクロする二人のツッコミ。シオンと小緑人ゴブリンの声が図らずも重なる。

 その声を聞き逃すツムグではない。


 究極のパッシブスキル”通訳”が発動する。


『──ボクの声が聞こえますよね』

「なん……じゃと……」

 

 何の前触れもなく自分と同じ言語を操り始めたツムグに、小緑人ゴブリンは驚きの声を上げた。


『これが僕のスキルです。どうか落ち着いてください。僕は、あなたの敵ではありません』

「急にそんなことを言われて、どうやって信じろというんじゃ!」


 ようやく言葉が通じるようになったが、それで相手が急に落ち着きを取り戻し、敵意が消えるかといえばそうはならなかった。

 むしろ、混乱は加速していくばかりだった。


「言葉が通じるからなんじゃ!そんなもの、何の頼りにもならんわ!そうやって油断させて、隙あらばワシを殺そうという魂胆なんじゃろ!」

「そんなことありません!」


 断固として否定するツムグ。しかし、言葉だけでは頑なな相手の心を解きほぐせはしない。

 残念ながら、この一か月で嫌というほど経験してきた。


 しかし、だからといって対話を諦める選択肢はない。


「信じてください!」

「ええい、うるさい!」


 急転する状況に思考がついていかなくなったのだろう。

 考えることを放棄するように、小緑人ゴブリンは三度ツムグに襲い掛かる。


 今度は逃げられる間合いではない。相手に信用してもらうため、不用意に近づいたのが仇となった。


「危ない……ツムグ!」


 森の奥から悲鳴が木霊する。

 そんな中、ツムグは何かを諦めたように深く嘆息した。


 悲鳴の聞こえた方向に一度だけ視線を送り、素早く相手に戻す。

 

 目前に迫る小緑人ゴブリンに、こんなふうに話しかける。


『さっきから森の奥で声を上げているあの娘。冷や汗をかくとバラみたいな良い臭いがするんだ』


 「そんな情報が今更なんだというんだ!」という小緑人ゴブリンの叫びは聞こえなかった。

 代わりに、先ほどのツムグと同じように、痛みをこらえるようにその場で体をうずくまらせる。

 ただし、こちらが押さえているのはお腹ではなく心臓だ。むろん、放屁を我慢しているのではない。心臓を鷲掴みにされるような感覚に戦慄しているのだ。


 シオンが持つ、究極のアクティブスキル”異種族殺し”が発動したのだ。


 ただし、極限にまで威力を抑えられた形で。


 シオンと意思疎通した異種族は、心臓を握りつぶされて死ぬ。

 しかし、やり取りする情報量が少なければ、先ほどの小緑人ゴブリンのように僅かに心臓を締め付けられる程度で済む。

 この一か月で、ツムグはその情報量を加減するコツを掴みつつあった。


 冷や汗を拭う仕草をしながら、森の奥から出てきた、白髪の美しい少女に笑いかける。


「大丈夫だよ、シオン。もう安全だ。でも、今日はちょっと危なかったね」

「……」


 顔を真っ赤にしてシオンはツムグに詰め寄り、


「あなた、ちょっとデリカシーがなさすぎ!」


 かなり強めのビンタをお見舞いしたのだった。

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