第8話 叫び

「おい、ツムグ……。どうすんだよ……これ……」

「……」


 カラっカラに乾ききった恭也君の声に、僕は無言で応えることしかできなかった。


「みんな!やめて!」


 そう叫ぶ森谷さんの声は、もちろん誰の耳にも届かない。

 言語の壁のせいじゃない。もっと、根本的な理由からだ。


 を駆け巡る騒音のせいで、か細い森谷さんの声は数メートル先にも届かない。

 そして、おそらくそれは僕も同じだろう。


 これだけ激しい戦闘の最中で、僕の声がみんなに届くとは、とても思えなかった。


「見てきたけど、ざっと40人くらい。みんな、思い思いの方法で戦ってるよ」

「……ありがと……」


 空から偵察してくれた風切君にお礼を言い、視線を正面に戻した。


 そこでは、見たこともない異形の生物たちが、見たこともないスキルを駆使して、互いに傷つけあっていた。

 空から雷を降らせる蛇。降ってきた雷を地面にいなすスライム。地中から襲いかかる蜂。巨大なゴーレムまでいた。


 ゲームのモンスターコロシアムでも、ここまで凄惨なことにはならないだろう。

 みんな、一斉にあらゆる敵に対して攻撃を仕掛け、同時に攻撃されていた。


 叫ぶ彼らの声が、僕の耳に届く。


 文字が読めないハンデを補うためか、僕の耳は特別製だ。

 同時に複数人に話しかけられても、そのすべてを聞き分けることができた。担当してくれた先生には『聖徳太子も真っ青だ』と驚かれたくらいだった。


 その僕の聴覚に、聞き慣れたクラスメイト達の悲鳴が次々と飛び込んでくる。


「なんなんだよ!どうして急にこんな大勢のモンスターに囲まれてんだよ!?」


「助けて……怖い!いや、こっちに来ないで!」


「こうなったら、やられる前にやるしかないじゃねえかよぉ……!」


 きっと、みんなの耳には恐ろしい魔物の咆哮にしか聞こえていないのだろう。その声に怯え、さらに反応することで、負の連鎖が加速していく。

 自己防衛のためのスキルは、知らない相手からすれば完全未知の恐ろしい攻撃にしか見えず。それから逃れるためには、自分のスキルを駆使するしかない。


 世界一恐ろしい光景が、そこには広がっていた。


 僕の両足は震えている。

 そして、激しい怒りが、僕を突き動かしていた。


 一つだけ確かなことがある。


 この場にいる誰も、自ら好んで戦っているわけではない、ということだ。

 僕の耳に飛び込んでくる声は、どれもこれも嘆きの叫びばかり。好戦的な雄たけびは、一つとしてなかった。


 そして、もう一つ大事なことがある。


 ここで戦っているのは、僕のクラスメイト達──かけがえのない、僕の友達だということだ。

 聞こえてくるのは、毎日のように聞き慣れた声ばかり。


 その声が、嘆き、悲しみ、そして互いに傷つけあっていた。


「……誰だ……?」


 怒りに震える声を絞り出しながら、戦場を必死に俯瞰する。

 僕は探していた。この深刻な"誤解"を解決するための、唯一の道を。


「誰だ……いや、どいつだ!?どこにいる……!?」


 このクラスのみんなは、僕の人生で初めてできた友達なんだ。

 厄介極まりない僕の特性を知ったうえで、受け入れてくれた。輪に入れて、一緒に笑ってくれたんだ。


 そのみんなが、今は互いに殺し合っている。望んでもいないのに、互いを知らないという、たわいもない理由で。


「どこにいる……!きっと、どこかにいるはずなんだ。が……!」


 森谷さんを襲っていた人狼を思い出す。あんな風に、転生者たちに紛れて、互いに争わせるように仕向けている魔物がいるに違いないんだ。

 そうでなければ、あの優しくて仲の良かったみんなが、こんな凄惨なことをする訳がない!


 ……なんて卑怯な……!自分は手を下さずに、仲間同士で殺し合いをさせるなんて……!


「やめろ……!」


 気が付けば、僕は幽鬼のように戦場へと足を踏み出していた。

 慌てて恭也君が僕を引き留める。


「よせ!お前みたいなのがあの中に飛び込んだら、ひとたまりもねえぞ!」

「はなしてよ!きっと、みんなも僕の姿を見れば戦いを止めてくれる!」


「よく考えろって!みんな戦いに必死で、おまえの顔なんか見る余裕がないって言ってんだよ!」

「それでも……!」


「なんだか知らないけど。音鳴、落ち着くんだ」

「音鳴君。あなたならきっと止められる。だから、冷静になって」


 それぞれの言葉で、風切君と森谷さんが僕を引き留める。

 でも、今の僕には、自分の身を危険に晒す以外の策は思い浮かばなかった。


「きゃあっ!?」


 どこか遠くで、聞き覚えのある悲鳴。

 担任の佐川先生の声だ。


 文字が読めない僕のため、教科書や板書を全部音読してくれた優しい先生だ。宿題も家でできる様にって、録音ファイルを毎日僕だけのために用意してくれたんだ。

 複雑な数学の問題も、分かりやすく順序だてて読み上げてくれた。とんでもなく大変だったろうに、そんなことをおくびにも出さなかった。


 僕がクラスに溶け込めるきっかけを作ってくれたのが恭也君なら、その輪を広げて、支えてくれたのは佐川先生だ。


「先生!」


 僕は叫ぶ。でも、返事がない。

 生身の、しかも小柄な高校生の声が通る様な場所じゃない。でも、叫ばずにはいられなかった。


 次々と聞こえてくるみんなの悲鳴に、胸が裂けそうになる。


 今、すぐ近くにいる数人を無理やり抑え込むことなら、恭也君たちの力を借りればあるいはできるかもしれない。

 ひょっとしたら、それこそが今の僕にできる最善なのかもしれない。たとえ数人であっても、大事なクラスメイトを守ることができるのだから。


 ──そんなの、駄目だ!


 心の奥底で妥協しかけていた自分を叱咤する。

 僕は今すぐにみんなの戦いを止めなくちゃいけないんだ。そうでなければ、きっとどこかで誰かが死んでしまう。


 そのためならば、もう二度と声が出なくなってもいい。一生分の大声を、今、この瞬間に絞り出すことができれば……!

 そんな、ありもしない妄想が僕の中に芽生える。


 刹那。胸の奥が、グルグルと渦巻くように熱を帯びるのが分かった。


 同時に、呼んでもいないのに視界の脇にステータスウィンドウが開く。

 ただでさえ長ったらしいスキルの説明文に、さらに数行の説明書きが追加されている様子が見えた。


 その文字は相変わらず読めないままだったけど、胸の奥に渦巻いている熱を、ありったけの声に乗せて僕は叫んだ。

 不思議と、その声は、みんなに届くという確信があった。




 ──止まれ!──




 叫んだ僕ですら聞き取れないほどの大声が、戦場を駆け巡った。


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