第6話 隠された敵


「あ~その……。ツムグ……」


 ふいに、恭也君が何かを言いにくそうにそっぽを向きながら頬を掻く。

 ん?どうしたんだ、急に。


「どうかしたの?恭也君」

「いや~。その……、一応俺も……そのよお……」


「ん?」


 いつもの恭也君らしくない、よそよそしい態度に僕が困惑していると、意を決したように恭也君が声を張り上げた。


「悪かったよ、おまえのこと馬鹿にして。そして、助かったよ。お前がいなけりゃ、ひょっとしたら俺は悟と殺し合ってたかもしれねえんだからな」

「……恭也君」


 恥ずかしそうな彼の言葉に、僕も素直な気持ちを返すことにした。


「恭也君、僕は初めて君にあった日のことを今でも覚えてるよ。入学式の日、クラス割を貼りだした紙の前で呆然としている僕に、さっきみたいに声をかけてくれたんだ。『どうしたんだよ、蛇に睨まれた蛙みてえにぼうっと突っ立ってよ。まさか、文字が読めねえとか言うじゃねえだろな?』ってね。初めての学校で不安だった僕にとって、あんなに嬉しかったことはないよ」


 さっき、転生直前の女神の説明会の時だってそうだ。

 ステータスウィンドウを読めない僕のもとに真っ先に──親友の風切君のもとに向かうよりも先に──やってきて、そしてみんなに聞こえるように大声で読み上げてくれた。


 今みたいに恥ずかしがってばかりだから誤解されがちだけど、本当は誰よりも優しくて細かな気配りができる人なんだ。


「けっ、そんな昔のことをいちいち覚えてんじゃねえよ。物覚えばっかり良いからって、調子に乗んなよな!」


 そう言って、いつもみたいにワシャワシャと僕の頭を掻きまわしてくる。

 でも、鋭い爪を立てないように気を付けてくれていた。こんな姿になっても、恭也君は恭也君のままだ。


 そっぽを向いた爬虫類の無機質な顔だけど、この時僕には、恥ずかしさと照れで頬を赤らめている表情が手に取るようにわかった。

 

「ところで音鳴。この世界っていったいどんな世界なんだ?あの女神の言葉を真に受ける気もないけど、今のところ地球とそう変わらない環境みたいだけど」

「どうやら、どこかの国の国境付近らしいよ。あの女神が言った通り、この世界の国々ってちょっと昔に一斉に滅んだみたいなんだ」


 ついさっきシオンから聞いたことを伝えておく。

 すると、その途端に風切君の様子が変わった。


「……あれ……なんか……変だな……」

「だ、大丈夫?風切君!」


 さっきの恭也君と打って変わって、翼竜の顔が見る見る青ざめていくのが分かった。

 何かよくないことが、彼に身に起こっているのだ。


「なんか、胸のあたりが苦しくって……。急にどうしたんだろ……?」

「胸のあたりって……どの辺?」


 さすがに翼竜の体の構造までは分からない。

 僕があたふたとしていると──



「きゃああああああ!」



 森の、さらに奥の方から悲鳴が聞こえてきた。

 この声は──


「森谷さんの悲鳴だ!」

「なに、委員長!?」


 さっきはぐれてから、そう遠くに行ってはいないと思ったけど、こんなに近くにいたなんて……!


「何かに襲われてるみたいなんだ!助けに行かないと……!」

「声が聞こえたから、あっち側か!」


 走り出す恭也君を追いかけようとするけど、やっぱり風切君が心配だ。

 僕の通訳が間に合わず、恭也君には彼の容態を伝えきれなかった。


 くそ──いちいち自分の愚鈍さに腹が立つ。この状況で、みんなの情報をシェアできるのは僕の唯一の役割のはずなのに……!

 苛立ちを隠せない僕に、風切君が声をかけてくれた。


「先に行ってくれ。俺なら大丈夫。さっきから徐々に状態が回復してるのが分かる。俺の翼なら、すぐに追いつける」

「……ゴメン、風切君!」


 ものすごい勢いで飛び出していった恭也君の後を、全力で追いかける。

 どうか……間に合ってくれ!






 本気を出した恭也君の身体能力は想像以上だった。ほんのわずかに出遅れたと思っていたのに、気が付けばとんでもない距離が開いていた。

 元々運動神経が良かった上に、長身のリザードマンに生まれ変わったことがプラスされたのだろう。


 逆に、なんの変化もない、とろ臭い自分の身体が呪わしい。


 それでもどうにか現場に追いついた時、困ったようにその場に立ち尽くす恭也君の姿が見えた。


「恭也君!どうしたの!?」

ツムグ!よかった、おまえを待ってたんだよ!」


 遠目でよく分からないが、僕の視界には何か小さなものを背中にかばいっている恭也君の姿が見えた。

 近づいていくと、恭也君が背中にかばっている者の正体がわかるようになった。


 小妖精ピクシー


 手の平ほどの大きさで、背中の羽で宙に浮いている。今は、怯え切った様子で恭也君の背中に隠れていた。


「ツムグ!早く教えてくれ!俺は、か!?」


 叫びながら、正面から飛んでくる硬質の飛び道具を打ち落としている。

 おそらく、さっきからずっと背中の小妖精を庇ってそうやっていたに違いない。


 でも、どうして?


 僕の疑問を察していたのか、恭也君が先回りして答えをくれた。


「俺の背後にいるちっちぇえのは、本当に委員長なのか!?そして、それを襲おうとしている"あれ"は、俺のクラスメイトじゃねえんだよな!?」


 そうか!さすが恭也君。こういう時の彼の頭の回転の速さと、危機管理能力には頭が下がる。


 万が一にでも、小妖精を襲っている方が森谷さんだったとしたら、取り返しがつかないことになる。

 そして、小妖精が森谷さんだったとして、それを襲っている相手が敵だとは限らない。

 つい先ほど、親友同士で殺し合っていた自分たちのことを思い出していたんだろう。


 大丈夫だ恭也君。そのために、僕のスキルはある。

 この世で最も恐ろしいこと──"誤解"──を解くことこそが、僕に与えられた役割に違いないのだ。


「森谷さん!聞こえたら返事してくれ!」

「その声……音鳴くん!?」


 予想通り、小妖精は森谷さんの声で僕に返事をくれた。

 後は──


「聞いてくれ!僕たちは敵じゃない。地球から転生してきた、人間なんだ!もし君も同じだというなら、今すぐ攻撃を止めて僕の声に返事をくれ!」


 木々に隠れて、まだ姿の見えない誰かに向かって声をかける。

 しかし、森谷さんや風切君の時と違い、僕の呼びかけに応じる様子はなかった。代わりに、無慈悲な攻撃──どうやら長く伸びた毛針を投射しているらしい──を続けてきた。


 ……言葉が通じない、ということは……間違いない!


「恭也君!それはだ。僕たち転生者とは違う、きっとこの世界に元々いたモンスターなんだ!」

「そういうことなら、話は早えぜ……!」


 戸惑いに揺れていた蜥蜴人間の姿勢から迷いが消えた。

 鋭い爪が見る間に真紅に染まる。大気を揺らすほどの熱を瞬時に生み出し、易々と敵の攻撃を斬り捌いていく。


 そして、僕の視界から恭也君の姿が消えたと思った次の瞬間。


「……グオオオオオ!」


 敵の断末魔の声が木々の中に朗々と響き渡った。


「また、助けられちまったな。ツムグ


 どうやら、無事に敵を倒せたらしい。恭也君の元気な声に、僕は胸をなでおろした。

 

「森谷さん、とりあえずはこれで安心だよ。色々あって混乱してるだろうけど、まずはクラスメイトと合流しよう」


 恐怖で震えている森谷さんをそっと手に乗せる。


 事情が変わった。しかも、より悪い方に。


 恭也君が仕留めた敵──人狼ワーウルフの死体を横目に、僕は、僕らが想定以上に最悪な状況に晒されていることを認識したのだった。


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