第4話 転生者の苦悩

「ゴメン、実は僕、文字が読み書きできないんだ……」


 ディスレクシア──識字障害ともいわれる──。生まれつき文字を認識する機能が僕には備わっていなかった。

 どれだけ勉強しても、平仮名と呼ばれる文字ですら一文字たりとも覚えることはできなかったんだ。

 脳の機能に欠陥があるらしく、視覚から得られる情報に極端に偏りがあるってお医者さんに言われたのを覚えてる。


 スキルがあれば文字も読めるようになるかも、と期待してみたけど、やっぱりだめだった。

 通用するのは、あくまで言葉だけみたいだ。


「ねえ、シオン。さっき、この国は滅んだって言ってたけど、一体何があったの?」


 僕は、さっきから聞きたくて仕方なかった疑問をついに口にした。

 すると、シオンの表情が見る見る暗くなっていく。聞かれたくないことを聞かれた時の表情だ。

 同時に、僕のことを心配するような目をしていた。


「ツムグ。あなた、本当にどこから来たの?あの惨劇を知らない人間がいるなんて……」


 今度は彼女が「質問を質問で返して」きた。もちろんお互い様だから文句を言えた義理ではない。

 「実は、異世界から来ました」なんてことを言っても、どうせ信じてもらえないんだろうけど……


 それにしても、女神が言ってた『旧文明の崩壊』っていうのは、割と最近起こったことみたいだ。

 彼女の口ぶりからして、まるでそれを見てきたかのようだったし。しかも、かなり大規模に、一斉に起こったことみたいだ。

 ちょうど、僕らがここに来るきっかけになった、日本地没みたいな感じなのだろうか。


 ……まさか、女神様。あちこちの世界でポカミスをやらかして、しょっちゅう国を滅ぼしてるんじゃないだろうな……


 僕が、あらぬ疑いを思い浮かべていた時だった。


「……っ!爆音?」


 森の中で、何やら激しい音が聞こえてくる。同時に、天に上るほどの激しい炎も。

 僕は直感した。きっと、誰かが戦っているんだ。


「どうして?この辺りには、もう誰も……!」


 シオンの台詞を受けて、僕の脳裏にとある人物の姿がフラッシュバックした。

 


 ──スキル"火の爪"だってよ。格好よくね!?──



「……恭也君!」


 さっきはぐれたクラスメイトが、すぐ近くにいる。そして、何かと戦っているんだ。

 幸い、というべきか。激しい炎と荒れ狂う風で、森の中に立ち込めていた霧は吹き飛んでいる。さっきみたいに方角を間違えることはない。


「シオン、ちょっとここで待ってて。すぐにを連れてきてあげるよ!」


 そう言うと、森の中に向けて走り出す。

 そうだ、シオンはもう独りぼっちじゃない。


 一人っきりで孤独に歌う彼女の姿を思い出す。


 人の住んでいる気配すらない、こんな場所でたった一人過ごしていた彼女の寂しさは、僕なんかには想像もできない。

 初対面の僕なんかにあんなに嬉しそうに話しかけてくれたことが、逆にこれまでの彼女が置かれていた環境の過酷さを物語っている。


 でも、大丈夫だ。これからは、僕たちがいる。


 なにしろ、1億2千万人も転生してきたんだ。寂しいなんて、絶対に思わせない。

 僕なんかじゃなくたって、きっと気の合う友達は絶対に見つかる。委員長──森谷さんだったら、絶対に放っておかないだろう。

 すぐに打ち解けて、友達になれる。そうしたら、異世界の先住民として、この世界のことをいろいろと教えてもらえばいい。


 言葉の壁があるかもしれないけど、そんなときのために僕のスキルがあるんだ。

 何の役にも立たないかと思ったけど、逆に考えればこんなに重要なスキルはないかもしれない。


 意思疎通できなかったら、下手したら意味もなく殺し合うことになるかもしれないんだから……!


 ここに来て初めて、僕はこのスキル"通訳"を授けてくれた女神様に感謝する気になってきた。


「でも、よく考えたら、正直に転生してきたって言ってもよかったんだよな。さすがにこれだけ大勢の人間がいきなり現れたら、他に説明がつかないもん」


 ていうか、1億2千万人規模の異世界転生って言われたとしても、正気を疑われるレベルだよな。

 でも、こればっかりは事実なんだから他に言いようがない。


 3度目の爆音が鳴り響く。もう、すぐそこだ。

 そして、同時に聞き覚えのある声が木々の隙間から漏れ出てきた。


「クソ!一体どうしてこんなことになっちまったんだよ!」


 この声は、間違いない!


「恭也君!」

「その声、まさかツムグか!」


 よかった。何と戦ってるかは知らないけど、まだ無事みたいだ。

 声の感じからして、目の前の大木を回り込んだ先にいる。


「待ってて、すぐに行くから!」


 僕なんかが言っても何の役にも立てないだろう──結局、僕にできるのは誰かと会話することだけなんだから──けど、一人よりも二人でいた方が良いに違いない。

 決意を固めて、恭也君の戦いに加勢しようとした時だった。


「よせ!!俺を……!」


「え……?どういう……こ……と……?」



 恭也君の拒絶の言葉の意味を理解するよりも早く、僕は『それ』を見てしまった。



 戦いの余波で、森の中に出現した広場の中に立っていたのは、長身の異形。


 身長は2メートルほどだろう。硬質の緑色の鱗で全身を覆った、二足歩行の生物がそこにいた。

 鋭利な鉤爪かぎづめで顔──縦長の瞳孔。細長い舌が無数の牙の隙間から飛び出している──を見られまいと隠している。



 ──蜥蜴人間リザードマン──



 ラノベで読んだことのある、異世界人の名が脳裏をよぎった。

 そして、憎らしいことに……小賢しい僕の頭は、一瞬で周囲の状況を把握して、結論を導き出してしまった。


 時折顔を覗かせるボクの悪癖の一つ──相手の気持ちよりも先に理屈や事実を優先してしまう──が、僕の口を動かした。


「……恭也君、なの……?」

「その姿、なのかよ、ツムグ……」


 人間の唇とは全然違う、大雑把な動きしかできない爬虫類の口から出てくる言葉を、僕は完全に理解していた。それも、かつての恭也君と同じ声で。


 スキル""──あらゆると意思疎通ができる──


 まさか……。


 僕の脳裏に、三度、女神の言葉がよぎった。



 ──転生先の環境で生きて行けるようにしてあるわ──



 スキルと、それに適応した種族への転生。

 つまり、あの女神の言葉に感じた不吉な予感は、見事に的中していたのだ。


「って、今はそれよりも直近の問題があるんだった。恭也君、さっきの爆発音は一体なに!?」


 性悪女神の悪戯には心底むかつくが、今はそれよりも大事なことがある。

 下手したら、このまま二人とも死んでしまうかもしれないのだ。


「そ、そうだよ!森を歩いてたら、いきなりあの化け物と遭遇しちまって……」


 恭也君はそういうけど、この広場には他に誰も見つけられなかった。

 その化け物とやらと戦っていたのだろうけど、一体どこに……?


「っ!アブねえ!」


 困惑している僕を庇うように、恭也君が僕を抱き上げて跳躍した。

 ゴツゴツして、そしてザラザラした皮膚の感覚に背中が粟立つ。


「化け物はあそこだよ!」


 指し示したのは、頭上だった。

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