第9話「帰宅と日和のライバルと」
「お兄ちゃん! 一緒に帰りましょう!」
「お前今日一で生き生きしてるな?」
登校したというのに帰宅時が一番元気というのはどうなんだ?
「私も一緒していいかな?」
朝霧がそう尋ねてきたので『俺は別にいいぞ』と答えた。
「いや、日和ちゃんに聞いてるんだけど……」
日和は深刻そうな顔をして考え込んでから言った。
「いいですよ、既成事実の目撃者も欲しいところですしね」
「動機が不純だ!?」
俺は今さらなことなので突っ込まなかった。こんな事で慌てていたらキリがない。ただまあ既成事実を他人に見せるのは悪趣味だと思うのでどうかとは思わざるを得ないんだがな。
「日和、帰るぞ」
「はい!」
「先生に勉強の質問とかは無いの?」
そう割り込んできた朝霧に俺は言った。
「機械に質問するだけなら家でも出来るだろう?」
「……それもそうね」
というわけで俺たちは三人で帰宅することにした。家路を歩きながら日和に問いかける。
「なあ日和、物資も少ないし夕食は無理しなくても……」
「なーにを言いますか! お兄ちゃんのためなら完璧なものを提供するに決まっているでしょう! 私だってやりくりはきちんと出来ているんですよ?」
「ならいいけどさ」
日和ならだいじょぶだろうというどこか得体の知れない説得力があった。朝霧はなんだかこちらをチラチラ見ていた。
「いいなぁ……」
朝霧の放ったその言葉は誰に対してのものだったのだろうか?それを知るよしはまるで無い。
「お兄ちゃん、はい」
日和が手をさしだしてきたのでそれを握った。このくらいのスキンシップはセーフだろう。少なくとも家族間では一般的だ。まあコイツがどう考えているのかは知ったこっちゃないがな。
「二人とも中が良いわね」
呆れ顔の朝霧に俺は言う。
「なんであれ仲が悪いよりはずっと良いよ」
朝霧はその言葉にふっと笑って俺たちと別れた。通学路の共通部分はここまでだ。もう少し妹以外の人と関わりたいなとも思ったが、朝霧にとって迷惑かもしれないと思うとそれを言い出すことは出来なかった。
「なーんか寂しそうですね? いいですか、お兄ちゃんには私というパーフェクトに可愛い妹がいるんですよ? 他の女にうつつを抜かしている場合ではないんですよ」
「はいはい、日和は可愛いなあ!」
「そ……そんなホントのことを……」
チョロい、我が妹ながら圧倒的チョロさ! コイツなら簡単に騙されるのではないかと不安になってしまうくらいのチョロさだ。
夕焼けの中を家に向かって歩いて行く。そういえば人類はこれから夜の時代になるのだろうが、その後に朝焼けはやってくるのだろうか。なんにせよそれは俺の時代に起きる話でもないしせいぜい未来の人類に頑張っていただくことにしよう。
「お兄ちゃんは私と二人きりの生活に不満ですか?」
「なんだよ急に?」
妹の突然の問いかけに少しだけ驚いた。
「なんだか朝霧さんとも仲良くなりたそうにしていたので」
なんだそんなことか。
「人間が貴重な時代だからな。せっかくのご近所さんと仲良くしようとするのがおかしいか? それと日和との生活には満足してるよ。一人じゃないってだけでも御の字だしな」
人類の夕暮れなのだから僅かな同志と仲良くするのが悪いとは思わない。俺には一緒に暮らす人がいるだけ幸せだと思っている。それに一人暮らしの朝霧の仲間になりたいと思うのは悪いことなのだろうか?
「お兄ちゃんは時々よく分からないことをいいますね。まあでも私が居ればいいというのは本当でしょうね」
そんな話をしながら帰宅をした。くだらない話だって虚空にするよりは人間愛手にした方がいい。メンタルケアのAIはあるが、やはり人間と話せるのは幸せなことだ。
「日和、今日の夕食は任せていいのか? 卵サンドなんて滅多に食べられないから楽しみだよ」
「まっかせてくださいな! 例えお兄ちゃんが美食家であっても満足いくものを作ってあげますよ!」
「頼もしいな」
自信満々に宣言する日和に俺は夕食は美味しくなりそうだなと楽しみに思った。
帰宅したので携帯端末を開いて情報をチェックする。相変わらずどこそこの誰それが死んだと悔やんでいたり、どこかで一人が生まれたと大々的にお祝いしていたりの決まりきったニュースしかなかった。
平和なニュースを一通り眺めてから、人口増加にクローン人間を活用しようと書いてあるゴシップ記事を見て、まだこちらの方がファンタジー感があって面白いなと思った。
そしてキッチンの方からフツフツとお湯の沸く音が聞こえてきた。多分ゆで卵を作っているのだろう。日和の料理の腕に期待しながら俺はコーヒーの在庫を確認する。いつもそこに置いている部屋の引き出しを覗いてみるがインスタントのものしかなかった。今の時代に焙煎済みの豆を期待するというのは贅沢が過ぎるか。
出来上がりそうな頃を見計らってコーヒーの瓶を持ってキッチンに行った。そこには二人分、黄金色に焼けたトーストで卵を潰してマヨネーズを混ぜたものが挟んであった。匂いだけでも食欲をそそるのだが、すぐに食べるのを我慢して日和に訊く。
「コーヒーがあるんだが、日和も飲むか?」
「そうですね……では一杯。薄めでお願いしますね」
砂糖とミルクがないからだろう、日和は薄めと注文してきた。俺はマグカップに自分の分にはスプーン二杯のコーヒーを、日和の方には一杯を入れてお湯を注いだ。それを俺と日和の席の前に置いて夕食となった。
俺は卵サンドを少しかじってコーヒーを飲む、贅沢の極みのような味がした。日和の方も卵サンドを食べて美味しく出来ていることに安心しているようだ。そしてコーヒーを飲んで渋い顔をしていた。
「悪いな、ミルクも砂糖もないんだ」
俺は一応謝っておいた。日和は卵サンドを完璧に作ったのに俺のコーヒーは足りないものだらけだ。
「構いませんよ、お兄ちゃんと同じものを飲むのもまた一興です」
「ごめ……いや、ありがとう」
俺の妹は兄の事情をよくご存じらしい。俺のようにロクに食料品を持っていなくても自分がいるから大丈夫だと思っているのだろう。実際それが非情にありがたい。別に味のしない食料ならいくらでも工場で生産されているのだが、あれを毎日三食食べながら生きていきたいとは思わない。だから妹の配慮がとても有り難かった。
「ところで卵サンドの味はどうですか? 私としてはそちらの方が気になるのですが……」
俺は軽くかじってそれを味わってから答えた。
「文句なく美味しいよ。滅多に食べられないだけのことはある」
「お兄ちゃんがそう言ってくださるなら私も嬉しいですよ」
そう言って笑い合った。楽しい食事を進めていく。卵サンドは一人一つ、それをじっくり味わってからコーヒーを飲んで心地よい気分になった。やはりインスタントとはいえカフェインの入ったコーヒーは違うな。デカフェばかりになってしまった中で規制ギリギリのカフェイン入りコーヒーを出した甲斐があった。
「ふぅ……お兄ちゃんがとっておきを出してくれただけのことはありますね、このコーヒー、とっても美味しいです」
「それは何よりだな」
秘蔵の品を引っ張り出してよかった。日和の笑顔はとても魅力的であり可愛いことこの上ない。家族でくらせると言うことはとんでもなく貴重なことなのかもな。
「ふぅ……お兄ちゃん、コーヒーのおかわりとか……ダメ?」
「しょうがないな、一杯だけだぞ」
俺は日和のマグカップを手に取り、コーヒー粉をスプーン一杯入れてお湯を注ぐ。フワッと香ばしい香りが漂った。
「ほら」
コトリと日和の前にマグカップを置くと、砂糖もミルクもないのに平気な顔をして飲み始めた。慣れたのかな? 砂糖やミルクは貴重品なので正直助かる。一応合成甘味料ならいくらでも手に入るが、天然物の砂糖には到底勝てない味になっている。
「そんなにコーヒーが美味しかったか?」
日和に問いかけるとコクコクと頷いた。
「お兄ちゃんが私のために大事なものを使ってくれたんですから美味しいに決まってるじゃないですか!」
味覚は感情に左右されるということだろうか? 確かに一人で焼き肉を食べるより日和と二人で固形食料をかじった方が美味しいかもしれない。人間の味覚なんてそのくらいにはあやふやなものだ。
そして飲食が終わり、気分よく食後の怠惰な感覚に身を任せる。ぼんやりした気分が心地よい。
「お兄ちゃん? コーヒーを飲んで目が冴えないんですか?」
「デカフェじゃないからって必ず目が冴えるって訳じゃないよ」
カフェインに強いのだろうか? 昔の人類ほどカフェイン耐性を持つ人が多いわけではないが人類から消えてしまったというわけでもないだろう。コーヒーは手に入ったら飲んでいるが目が冴えて眠れないなどということは今までもなかった。
「お兄ちゃんと一緒に飲むコーヒーは素晴らしいですねぇ」
「それは何より、と言いたいところだがあまりたくさんは無いから今日はここまでな。次はもっと美味しいやつを手に入れておくよ」
俺はそう言ってマグカップを手に取り片付けた。食器洗浄機に放り込んで日和とのおしゃべりはこれで終了だ。
「ねえお兄ちゃん……私はお兄ちゃんのこと好きですよ? 愛していますよ!」
日和の方を見るととろけるような目で俺を見ていた。あー……カフェイン酔いしたかな? まあいつもならデカフェを飲んでいるからおかわりしても平気だったけど、天然物はマズかったかなあ……
「はいはい、日和は可愛いからもう寝ろ。そんな状態で外に出たら治安維持のために捕まるぞ」
「はぁい……」
そうして日和を部屋へ連れて行った。肩を貸して連れて行くとベッドに寝かしつけて部屋を出ようとした。そこで袖を引っ張られた。
「お兄ちゃん、眠くないのでおはなししませんか?」
「仕方ないやつだな」
そうして俺と日和の会話が始まった。
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