第7話「初めての高校」
「おーい! 日和! 遅れるぞー」
初日から遅刻とか勘弁してくれよ。
「ん……お兄ちゃん? おはようございます」
何を呑気に朝の挨拶をしているんだ? もう時間がロクに無いんだぞ。
「今日は登校日だろう、時間がないから早く着替えろ」
「お兄ちゃんはせっかちですねえ……もう少し私との関係にもせっかちになって欲しいものですね」
「言葉をあげつらっている暇があったら準備をしろ」
日和の登校準備は遅々として始まらなかった。着替えてはいるものの参考書をようやく鞄に突っ込んだところで俺に時間割を訊いてきた。
「国語と数学だけだよ、だから教科書突っ込んでさっさと行くぞ」
化学などの実験のような多少なりにでも人体に危険を及ぼす可能性のある教科は消え、芸術系などの趣味で遊ぶようなものは学校で教えてくれない、そういうのを教わりたければカルチャースクールにでも行けということになっている。ということで教科書で考えることは少ないはずなのだがバタバタと準備をしている日和を見て、物事はいくら単純にしても全人類をカバーすることは出来ないのかなと思う。
「よし! 準備完了! それじゃお兄ちゃん、行きましょう!」
「なんとか歩いても間に合いそうだな……」
玄関を開けて人通りのまばらな道へ出た。
「お兄ちゃん、朝ご飯が……」
「これでも食べとけ」
俺は日和に栄養ゼリーのパウチを渡した。あれ一つ飲めば一食分の栄養がとれるという優れものだ。欠点を上げるとすれば……
「うぅ……美味しくない」
美食の追求はとうに忘れ去られてしまい、こういう美味しくないけれど健康には良いものを大量生産したのが現代だ。
「飲み終わりましたー……美味しくないですね……」
「食の平等のためだ、諦めろ」
甘いものにすることも辛いものにすることも出来る。しかし甘いものが好きな人と辛いものが好きな人を同時に満足させることは出来ない。おかげで味のない食感の悪いゼリードリンクとなってしまった。もう少し食べ応えのあるものにも出来るのだろうが、あれを食べるメインの層が喉を詰まらせないようにと配慮されてゼリーになった。要するに老人食ということである。
「おはよう、小町兄妹」
「朝霧さんですか……おはようございます」
「おはよ」
朝霧に出会ったので挨拶をして一緒に登校する、これで一学年全員が揃って登校することになったな。
「なんで浅葱はそんなげっそりやつれているの? ちゃんと朝ご飯食べた?」
「食べたよ、朝から心労の多い生活をしてりゃ多少はやつれるもんだよ」
「あー……そういうことね」
大体朝に何があったかは察してくれたようで朝霧が細かく詮索することはなかった。もちろんどこか不満げな日和だったが目立って文句をつけることも無い。
「空が綺麗ねえ……」
「そうだな、気候操作ご苦労様だよ」
「お兄ちゃん、ロマンが無いですよ」
「日和ちゃん、登校日は配慮されていて天候が操作されているのよ、知らなかった?」
朝霧がバッサリ切り捨てる。ロマン云々ではなく現実を突きつけるやつだ。しかしまたそれも事実なので仕方がない。なんなら雨など降らなくても飲み水を生成する技術は完成しているので人間以外のために雨を適宜降らせているのが現実だ。
「ししし知ってますし! 私がそんな基礎知識を知らないわけないじゃないですか!?」
慌てすぎだろう。知らないことは恥ではないぞ。そもそも現代では機械が出来るだけ人間に関わらないように動いているんだからな。知らないのも無理のないことだ、世界を安定させるために機械は日夜動いているがそれを知らせる必要は無いのだ。
「お兄ちゃん、手を繋いでください!」
「なんだよ、登校が怖いのか? 全校生徒十人だぜ?」
「いえ、そうではなくお兄ちゃんが私のものであるアピールのためです」
くだらないアピールが好きなやつだ。
「ほら」
手を差し出すとぎゅうと強く握られた。絶対に離さないぞという強い意志が感じられる。別に離したりはしないがもう少し優しく握ってくれると助かるのだがな。
繋いだ手からぬくもりが伝わってくる。気温が適温になっているので繋いだ手から少しだけ汗が伝う。隣の日和を見ると顔を真っ赤にしていた、恥ずかしいならやめときゃいいのにな。
「あなたたちねえ……健全アピールをしていると逆に怪しいわよ?」
朝霧が辛辣な意見をとばしてくる。確かに現代で健全とされている行為を露骨にしていると逆に怪しいと思われるのかもしれない。もっとも、日和の行動は本能のままにやっているのではあるだろうが。
「私には裏も表もないですよ! ただ純粋にお兄ちゃんのことを愛しているだけです!」
「まあそう言いきるならそうなんでしょうね……」
ほのぼのに僅かな火種を加えた状態で学校までの道を歩く。今頃起きてきている人が僅かにいるくらいで、多くの人はまだ寝ているような時間だ。
「それにしてもこの時代に学校に行こうなんて物好きは本当にいないんだな……」
俺がそう愚痴ると朝霧がなんでもないことのように反応した。
「当たり前じゃない、寝てても三食食べられて生きていけるのにわざわざ基礎教育で習ったことから少しだけしか進んでいないことを学ぼうなんて人はそうそういないわよ」
「私も手を繋いでいいかな?」
「私の手を取るのは自由ですがお兄ちゃんの手は絶対に渡しませんよ」
「ざーんねん」
まったく残念さを感じさせない顔でそう言う朝霧、日和をからかって遊ぶ楽しさを知ってしまったようだな。もしかしたら日和にはもう少し煽り耐性というものをつけさせた方がいいのだろうか?
「お兄ちゃんの手を握っていいのは私だけですよね? お兄ちゃん!」
「勝手に専用にするなよ……まあ手を繋ぐような相手もいないがな」
あるいは両親が分かれば手を繋ぐ経験はあったのかもしれない。平等に育てるためにすぐに親から引き離された俺たちの世代にそれを求めるのは無茶というものだ。
「微笑ましいわね」
朝霧はそう言うが、俺は兄妹なんだぞといいたいのをぐっとこらえている。少なくとも今はそれでも何の問題も無いのだから異端者扱いされるよりは黙っておいた方がずっと良い。
陽光が降り注いでくるのは心地よいが、時代が時代なら日陰を歩くような関係であることに少しの不安を覚える。ただし人口が増えてくればこういった関係が再びタブーになるのかもしれないが、少なくとも俺と日和が死ぬまでに人類が再び栄華を極めることは無いのだろう。そう考えると少し気が楽になる。
「今日の数学は複素平面だったかしら?」
「微分だろ、基礎教育からのやり直しをまずやるんだからな」
朝霧の問いに答えると俺と手を繋いでいた日和が手を引いて耳打ちしてきた。
「お兄ちゃん……微分ってなんでしたっけ?」
基礎教育の範囲だろう、そこをもう既に忘れているのによく高校に行こうと思ったな?
「それをやり直すところから始めるんだから安心していいぞ」
日和にそう言うとホッと一息ついて俺の手を引いた。
「じゃあ早いところ学校に行きましょうか! 予鈴が鳴っちゃいますよ!」
「誰のせいで遅れそうだと思ってるんだか……」
俺も足を速めて通学路を進んでいった。朝霧は後をついてきたが、よく考えてみると何の理由も無いはずなのにどうして朝霧は俺たちと同じ時間に登校していたのだろう? 寝坊でもしたのだろうか?
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