第6話「兄妹の買い物」

「さて、買い物に行くか」


 俺がそう言うと不機嫌そうに日和が反応した。


「お兄ちゃんは私のお説教から逃げるために買い物に逃げていませんか?」


「何の事だろうな? それとも俺は部屋に戻ろうか?」


「いいえ! 是非買い物に行きましょう! 私の統計によると男女が買い物に行くといい感じになると出ています」


 統計というのは嘘の一種であるとものの本に書いてあったことを思いだした。都合のいいところだけを取り上げていないだろうか? 嘘には敏感になるべきだと思えて仕方がない。


「はいはい個人研究の成果を披露している暇があるなら行くぞ」


「まったくもう……お兄ちゃんは私に素直じゃないですねえ!」


 素直になったらどうなるというのか? 仲の良い兄妹で不満なのか、それを問いかけることに意味はないので黙って日和の手を引いて家を出た。手を引くときに温かな感触が伝わったので、この妹もしっかりと血の通った人間なのだななどとくだらないことを考えてしまう。


「お、お兄ちゃん! いきなり大胆になりすぎです……」


「猫を被るのも今さら感があるとは思わなかったのか?」


「ちっ……行きましょう!」


 舌打ちはしっかりと聞こえたぞ。本人は無意識にやっているのかもしれないが態度が悪いなあ……自分に正直にも程があるだろう。まあわかりやすいのは嫌いではない、ある意味で誰よりも素直なのかもしれないな。


「さて……日和に質問なのだが、そもそも何を買う気だ? 知ってるよな、今時抗がん剤から純金まで自動販売機で買える時代だぞ? そんな時に一体何を買えば満足するんだ?」


 一体何を求めているのだろう? 金で買えないものはまず無いぞ。人間が作る必要のあるものなんて書籍などの情報か賞賛などの名声くらいのものだ。そして人間が減ってしまったので、賞賛されるようなことがあっても、まったく近所で褒められるようなことなど無い。


 こんな時代に一体何を求めるのか? もちろん何か買いたいものがあっての発言なのだろう。金の価値は安くなったが時間の価値は高騰の一途を続けている。その時間を割いてでも手に入れたいものがあるのだろう。


「特にこれといっては決めてないですね。お兄ちゃんと一緒にうろつくだけで私は満足ですから!」


 断言する日和、何の迷いも無い瞳でそう答えるその目は瞳孔が拡大して眼球に穴が開いているかのような深くて暗い目をしていた。


「分かったよ、適当にうろつくか」


 その目力があまりにも迫力を持っていたのでつい頷いてしまった。俺は一体なんのために外出をするのだろうか?


 そんな根本的な疑問さえ浮かんでくる。日和の目的は俺の好感度を上げることのようだが世界は人類が在りし日のギャルゲとは違うんだぞ? 出会い続けていれば対応がなんであれ好感度が上がると思うなよ?


 もっとも旧世代の本にしか書かれていないギャルゲの知識を日和が持っているはずは無いのでただの偶然だろう。それにしても安直な発想をする奴だな、俺は日和を見捨てたりはしないが一線を越えるかどうかは別の話だ。少なくとも現代基準に生きていない俺のような人間には兄妹というものは絆が強力であってもそこに一線を引かれていると思っている。越えてはならない一線があるのだ。遙か昔の偉人であるカエサルがルビコン川を渡ったように、物理的に越えることは簡単だとしても、越えることが意味することに対する覚悟が必要だと思っている。


「ではお兄ちゃん、休憩所に行きましょうか?」


「まず家を出てまだ家が見えているのにやたら豪華なホテルに勧誘するのはやめようか……お前のやることは意味がありすぎるんだよ」


 ただ単にその辺に座って休憩するならまだいいが、そういった専用の用途のあるところでの『ご休憩』をいきなり提案してきやがった。しかも施設側も人口を増やすためと無料で快適な環境を提供しているのだから始末に負えない。人口増加が絶対的な善であると信じて疑わない連中が建てた施設だ。


「わがままですね……じゃあ食事でもしましょうか?」


「ああ、そうだな」


 そうして俺たちは喫茶店に入った。カロリーから栄養成分までびっしりとメニュー名より遙かに面積を取っている情報を流し見してから俺はコーヒーとケーキを頼んだ。


「私はアイスティとケーキで」


 そうして二人でメニューを決めたらタッチパネルで項目を押して発注した。ケーキか……昔のケーキはカロリーが大層高かったそうだが、今の『健康的な』人工甘味料飲みが使われたケーキをもし昔の人が食べたらどんな反応をするだろうか? カロリーがほぼ無く甘さは確かにあり、食べても健康を害することの決してない食品、それがどんな評価をされるのかは気になる思考実験だ。


 しばし待つとロボットが飲み物とケーキを運んできた。しっかりとしたイタズラ防止の保護ガラスが開いて料理を取るようにスピーカーが鳴る。俺たちが料理を取ると円柱状のロボットはバックヤードに引っ込んだ。


「ではお兄ちゃん、食べるとしましょうか!」


「そうだな……」


 目の前の妹が何故この美味しくない料理を食べたがっているのだろうか? そんなにこのケーキが好きなのだろうか? あるいは紅茶に思い入れがあるとかか? 料理なんて自販機で出てくるものを皿に盛り直しただけだぞ。


「ん、ケーキを見ながらお兄ちゃんを食べるのは最高ですね」


「逆だろ、ナチュラルにカニバリズムを始めるんじゃない」


「いえ、ただし性的な意味でという言葉を省略しただけです」


「だったら俺は食べられていないだろうが……」


 その発想だけは賞賛してやろう、あきれるほどに欲望に忠実だ。俺は食べられる気なんてないがな。なんであれ目的を持ってそのために行動するのは人間らしいことでありいいことだと思う。兄としては出来れば健全な……いや至って健全なのだろうが……とにかく健やかに成長して欲しいと思う。俺は日和の一生を保証出来ないからな。


 まぁ……人生の保証は政府がしてくれるのでそこにおんぶ抱っこでいいだろう。死人が出ることを何より嫌う偉い人たちが精一杯に生かしてくれるだろうさ。そして辞職するときに『私の力によって死者が減りました』とアピールするためにな。


「お兄ちゃん、私の分食べますか?」


「なんとなくお前のやりたいことは理解しているがメニューにあるケーキは一種類だぞ?」


 俺の方にフォークをさしだしてくる日和にそう言う。健康的で誰かを不快にしないケーキということで甘み以外の味は無い仕様になっている、甘いだけの真っ白な塊を口に入れていくのはなんとも奇妙な感じがする。


「分かっているんだったら乗ってくださいよ! そういうシチュに憧れているからこの大して美味しくもないケーキを食べているんですよ、お兄ちゃんも妹のこういう努力を考慮してください。というわけでどうぞ」


 変わらずフォークをさしだしてくる日和の今季に負けてフォークの先に乗っているケーキを食べた。甘みだけの物体が俺の舌の上でとろける、まるで砂糖を食べているようであるのだが、現代において砂糖は贅沢でありこういう嗜好品に使われるのは合成甘味料だ。


「美味しいですか?」


「美味しいわけないだろ、贅沢品に使われるものがまず削減されているんだからケーキが美味しかったらむしろ怖いよ」


「むー……そこは『日和のケーキだと思うと一層美味しいな』と言うところですよ?」


 美味しいか不味いかにそんな判断基準は存在しない。そもそも健康に悪いからと大半の嗜好品が規制された中で美味しい料理を作るのは至難の業だろう。


「そもそもの話、日和はそのケーキが美味しいと思ってるのか?」


「まさか! クソマズだと思ってますよ」


「だったら人に高評価を求めないでくれないかなあ!」


 自分でも不味いことは分かってるんじゃないか……だったら美味しいと答えろというのは無理があるだろう。


「さてお兄ちゃんはケーキがお気に召さないようなので次のお店に行きましょうか」


 次の店に行くというので俺たちは一気にケーキを食べて店を出た。栄養バランスは支給品でバランスを取っているのでカロリーもほぼ存在しない。カロリーがないのに何故甘いのだろうかという疑問もあるのだが、そこは人工甘味料を作った前人の知恵の賜物だろう。


「ではお兄ちゃんにはランジェリーショップに付き合ってもらいましょうかね」


「いやだよ! そんなとこに俺が行ったら針のむしろだろうが!」


 カフェからランジェリーショップって繋がりがまったく分からんぞ。正気を疑いたくなるような発想だ。兄に妹の下着を選ばせるというのはなかなかの変態趣味ではないだろうか?


「じゃあアパレルショップでいいです」


「妥協してくれて心底安心したよ……」


 世話が焼けるな。よくもまあそんなに色々思いつくものだ。アパレルは機械で全自動で服の縫製が出来るようになってからデザインに拘っていた時代もあったらしい。人口減少によっていくら着飾ろうとロクに見る人がいないという現実的な理由によってすっかり全盛期の勢いはなりを潜めている。


『服』


 ただそれだけ書かれている看板の店に入って日和の服を選ぶ。この店は人がいるはずもない。それだけファッションに気をつかわなくなったということだろう。それがいいことなのかは人によるのだろうが、少なくとも可愛い服を着て歩いても可愛いといわれることは皆無だ、学校は制服だしな。


「お兄ちゃん、右と左とどちらがいいと思いますか?」


 そうお声がかかった。妹の着る服を選べということだろう。部屋着にしかならんのだからどっちでもいいんちゃう? というのが正直な感想だが正直にそう言うと機嫌を損ねるだろうから少し考えたふりをしてモノクロのゴシックドレスを持っている右だと答えた。


「なるほど、こういうのがお兄ちゃんの好みなんですね!」


 適当に選んだのだが、日和の中では俺の好みが決められていく。さすがに適当に選んだとは言えないので「そ、そうだな」と答えた。


「さて、そろそろ帰りますかね」


「そうだな、食料品店にいってもしょうがないしな」


 食料品店で売っているものはカロリーゼロの人工物ばかりだ。天然物が欲しければ支給を待てということだろう。そんな所に行くほど日和も物好きではないようだ。


「ねえお兄ちゃん?」


「なんだ?」


「今日は有意義な休日でしたね!」


 まったく……日和ってやつは……


「そうだな」


 それだけ答えて家路についた。本人は満足しているようなので俺が水を差すことはないだろう。何より不毛な時間を家で過ごすことよりは少々楽しかったことは事実だ。それは否定しないし否定出来ない。


 俺は出かけるときとは違い、妹に手を引かれるままに帰宅をしたのだった。

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