第4話「帰宅」
「お兄ちゃん、初登校の気分はどうでしたか?」
「二人きりの教室じゃ無くて安心したよ」
いくら日和が可愛いことを認めるにしてもラインというものがあると思う。少なくとも俺が読んだ昔の本で、そういった愛情を持ってしまった話はたいていの場合、ロクな終わり方をしていなかった。バッドエンドが好きな人向けじゃあないだろうか?
「朝霧さんも暇ですよねえ……今時物理的な高校に通うなんて何か理由があるんでしょうか?」
「お前がそれを言うのかよ……」
「私はお兄ちゃんの側に居るという使命がありますからね!」
指名とまで言うか、ものすごい自信だな。暗示か催眠の類いではないかと思えてしまう。というか俺の側に居ようがいまいが、この人類の減った世界で選択肢などと言うものはほぼ存在しないだろうに。
夕日が沈みつつある頃に日和とおしゃべりをする、なんとなく二人で作った習慣のようなものだった。兄妹なのでいつも顔をつきあわせているのだが、言葉にしないと分からないことはあるからな。
「お兄ちゃん……いよいよ私たちも大人になりましたね」
「そうだな」
昔はまだまだ親や社会の庇護下にいられた年齢だったようだが今ではすっかり成人年齢が下げられてしまった。働こうと思えば働けるが、機会が労働を請け負っている世界でそんなことをするような物好きはほとんどいない。かろうじて学校に通おうとする人がいくらかいるだけだ、その中に俺と日和と朝霧ももちろん入っている。
「まあそれでも私はお兄ちゃんの寵愛を受けられるので幸せですよ、例え両親が分からなくてもね」
「そうか……まあほんの少ししか判明していない家族なんだから仲良くしようか」
子育てが専門家に任された結果、両親というものは知らない方が良いものになってしまった。親の格差を感じさせないためとかそれっぽい理由をつけていたが本当のところは分からない。分かっていることは俺と日和が兄妹であると言うことだけだ。
人間がもっとたくさんいればいいのではないだろうかと悔やんだことは一度や二度ではない。それでも無い物ねだりはやめて数少ない家族と仲良くしていこうと割り切るまでには時間がかかったが、それでも割り切ることができたのだから人間が環境に順応する能力というのは優れているのだろう。
テレビをつけると通り一遍の何事もありませんでしたという情報料ゼロのニュースを流したあとで、本日のお悔やみが始まった。俺は辛気くさいのは嫌いだし、何より死んでいたも同然の連中が完全に死んでしまっただけなので感慨は特に湧かない。
「仲良く(意味深)しましょうね!」
「なーんかお前の発言は一々不穏なんだよなぁ……」
しかしまあ遠回しに言っていると言うことは言葉を意味通りにとれば不穏でもなんでもない家族での会話ということだ。ということで何も起きなかったということにしておこう。
「お兄ちゃん、お風呂はお先にどうぞ、私は残り湯を楽しみますので」
「お前のそういうところ、直した方がいいと思うな」
それだけ言って風呂に行った。夕食はなんだろうか? 発がん性ゼロの健康食にもいい加減飽き飽きしているんだがな……まあこんな事を言おうものなら異端者扱いされて弾圧されるのは目に見えているわけだが。
湯船に浸かると一日の疲れが洗い流されるような感じがした。人類が少ないからと言って必死に人口を維持しようとしている連中の考えは分からないな。減るなら減るに任せればいいじゃないか、それで主として消滅しようものなら人間とはそこまでの生き物だったと言うだけの話だ。
湯船から出て身体を拭きながらドアの前に立っている日和に声を掛ける。
「着替え終わるくらいまで待ってくれ……」
「ひゃ!? お兄ちゃん! なんで私がここにいると!?」
バレてないとでも思ったのか。
「わかりやすいんだよ、お前さ」
俺はさっさと着込んで脱衣所を出た。『風呂は空いたぞ』とドアの前で待っていた日和に声を掛けると『ひゃ……ひゃい』と答えが返ってきた。初心な感じを漂わせているがやっていることは熟練の変態のそれである。
リビングで人体に無害な合成甘味料を大量に使ったコーラを飲むと昔の時代に使われていた砂糖たっぷりのコーラを飲んでみたいと思ってしまう。無論身体に良くはないのだろうがそういったものが飲みたくなる時だってある、身体に悪いものは大抵美味しいらしいからな。
味気ないコーラを飲んで空いたペットボトルをダストシュートに放り込んでソファに寝転ぶ。その姿勢でテレビを見ようとしたら『ソファでの睡眠は健康を害する恐れがあります』と表示されてから番組が始まった。テレビ上のカメラで視聴者の姿勢を自動認識したのだろう、お節介なことだ。
『緊急速報です! お悔やみが入りました! 本日百二十八歳の……」
プツリとテレビの電源を切った。百二十八歳とか昔なら大往生の年齢だと知っている。正直そこまで生きたなら人生に満足して死んだのでは無いだろうか? そしてそれを重大なニュースのように放映するテレビにもあきれる。政府からお悔やみは盛大にと言うお達しが来ているにしてもひどい放送だった。
時計が三十分くらい経ったところで日和が髪を拭きながら裸ワイシャツで出てきた。無防備な格好だが今さら驚きもしない。アイツとしてはドキドキさせたい様子を漂わせているが、そういうのは普段しないことをするからドキドキするのであって日常的にしていることで一々心を動かされたりはしないのだ。そんな基本的な人間の機微も分からないのだろうか?
「おにーちゃん! お行儀が悪いですよ!」
ソファに寝転がっている俺に対してそう声がかかった。
「裸ワイシャツで過ごす方がよほどお行儀が悪そうだがな」
ぐぬぬと日和は言っているが、口喧嘩なんてわざわざしたくないんだよなあ。
俺に突っ込まれたせいか日和は自室に帰っていった。俺はテレビを再びつけてみたが、葬儀の映像と、いかに人の死が悲しいことなのかを延々とお説教していたので嫌気がさして電源を切った。
携帯端末でニュースを見てみるが、お悔やみ情報がやはり一番目につくところに表示されている。その次に目に付くのは誕生祝いだ。お悔やみ情報と同じページに載っており、そちらでは人生賛歌を歌っているようなご様子でいかに人が生まれるということが奇跡なのかを延々と書き連ねていた。死と生が同じページに乗っている様はシュールと言ってもいいだろう。
「相変わらず変わってますね、そのニュースって見てて楽しいですか? 妹の裸体を見ている方が健康的だと思うんですけど?」
「明らかに比較対象がどうかしているレベルでおかしいからな?」
とはいえ、今の時代では健全なことなのだろう、理不尽にも程がある比較ですらなり立ってしまうという時代だ。前時代の連中はどうして人間を全滅させなかったのだろうか、僅かに残したばかりに歪みきった生物として将来にわたって地球に存在してしまっているぞ。
ちらと日和の声の方を見るときちんと服を着て俺の方を見ていた。そのくらいは分別がつくようで全裸で出てくるようなことはしないようだ。この時代に成人済み年齢に達したからと言ってそこまで奔放で居てもらっては困るのだよ。
「何か面白いニュースやってましたか? もちろんお悔やみと誕生祝い以外で」
「無いなあ……最近は新しいゲームも出て無いしな」
「まあエロゲが二次元に倒錯する人間を増やすので良くないと規制されましたしねえ……」
「何故エロゲ限定なんだよ……」
妹の知識は偏りすぎだと思います。まあ日和の方が正しくはあるのだがな。俺は携帯端末で旧世代のアニメを見ることにした。まだ番組が人海戦術で作ることができていた頃の時代のものだ。女子高生がよく分からない部活に入れられ日常を送るというものだ。日常系と言うらしいが、人間が多かった時代の片鱗を感じさせてくれる作品でなかなか面白い。
寝転がったままアニメを再生していると、俺の端末に日和がメッセージを送ってきた。
『お兄ちゃん! 妹を無視するのは良くないと思います!」
俺はぞんざいに『いつも一緒にいるだろうが』と返信しておいた。反出生主義的なメッセージは検閲されているので御法度だ。おかげで妹のきわどいメッセージにもなかなか気をつかった返信をしなければならない。
端末では日常のあれこれを姦しく喋っている姿が放送されている。熱心に見続けなくても話が通じるのがいいところだ。この前睡魔に襲われて再生をしたまま寝てしまったことがあったが目を覚まして続きを見てもなんら話が分からなくなるようなことは無かった。なんとなく全体を把握しておけば理解出来るというのは強いメリットだろう。
再生が終わったところで日和の相手をしてやることにした。話を聞かないとすねるからな、機械と人間の大きな違いだろう、機械の方は使われなくなっても不平など言わないのだからな。
「で、なんの話だっけ?」
「お兄ちゃんが私を無視しているという話です!」
「知らんよ、そもそも日和のことは嫌いじゃないがそれでも兄妹だろ?」
「だからなんです? この時代に兄妹であることが恋愛の障害にでもなると思ったんですか?」
コイツは……現代の価値観に染まりきっているな。俺みたいに懐古的な考え方をしていないので平気でこういうことを言う。理屈では無くルールで認められているからセーフという考え方だ。感情とルールのどちらを優先するべきだろうか? 俺だってそりゃあ日和のことは嫌いじゃないさ、しかし兄妹だろう? そんな安直な関係ですませていいのか?
「お兄ちゃんは退屈なニュースを見るより妹と楽しいおしゃべりをするべきだと思うのですよ! どうせ流れてくるのはお悔やみと誕生祝いだけでしょう?」
残念だがその通りだった。聞き飽きたニュースを俺はそっと閉じて音楽でも聴こうかとミュージックを開いてみた。どれも満足いくまで聞いたような曲の並びしかない。著作権切れの音楽が大量に並んでいるが、多くの曲が散逸したり、検閲によって消滅したりしたせいで退屈なものだけが残っていた。
仕方が無いので諦めて日和の方を向いた。
「相変わらず退屈だよなあ……」
「私とエキサイティングなことでもしますか?」
「お前は俺の妹だろうが、身体を押しつけてくるんじゃない」
むにむにした感触が日和の身体から伝わってくる。裸ワイシャツのせいで布一枚越しに体温まで感じられる。どう考えても俺たちは兄妹のはずなのだがなんだか不思議な気持ちになってしまう。
「お兄ちゃん……これをどうぞ」
俺から離れた日和はイヤホンを渡してきた。それを受け取ると端末に『ファイルを受信しますか?』と表示されていた。
「受信してくださいね?」
俺はファイルを受け取ると、非圧縮の音声ファイルであると分かった。これをどうしろというのやら……
「じゃあ私は部屋で待っていますからイヤホンをつけて聞いてくださいね!」
そう言ってあっさり部屋に帰っていった日和を見送って、送られてきた謎の『ASMR』というファイル名の音声ファイルを開いた。
『ん……くちゅ……お兄ちゃん……しゅきぃ……』
俺はさっさとイヤホンを外してそのファイルを暗号化してそっと聞かなかったことにした。アーカイブからASMRの意味を検索してみると、まあそういう用途で使われていたものでかつて一時期はやったことがあったと表示された。どこでこんな情報を知ったのか知らないが、妹の携帯端末の使い方は斬新だなと思いながら部屋に帰った。
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