11──何度逃げ出した? その3
その夜のことだった。
「私、しばらく、この宿に宿泊するので──」
オペラが眠った後、同じ階のエメリーの部屋に呼び出されて向かい合う。顔は突き合わさないで、二人とも窓を見て佇む。
「キャニーさんは、これからどうするんですか?」
「さぁ」
「話してくれませんか?」
「話すことがないからね」
「うーん、お酒でも用意すればよかったですかねぇ。あ、いや、キャニーさんはお酒飲めないんでしたっけ?」
「お酒は飲まないし、たとえ酔ったとしても、回答は変わらないよ。本当に話すことがないんだ。何も、ないんだ」
「そうはいっても、ずっとここにいるわけじゃないんでしょう?」
「そう、だ」
「何も考えてないんですか?」
「……考えられる状況じゃなかった」
「心配ですね」
「でも、エメリーが来たから大丈夫だと思う」
「もしかして、私にお金をたかるきですか? 流石にそれは……」
「大丈夫。今までは日中オペラを置いたまま出かけられなかったから……だから、なんとかなる」
「そうですか。信じます」
遠くで酔っ払いの声が聞こえる。この町に来てから初めて聞いたかも知れない。この町の音を、今日初めて聞いたかもしれない。
「それで、話ってのはそれだけ?」
「あともう一つ。ハックさんに挨拶をさせてください。キャニーさんの中にいるらしいですね」
「ああ」
そうだ、僕はすっかり忘れてしまっていた。いつから話していないのか、いつから? あのときハックがいれば、僕はこの手を……。
ハック、いるか?
ふぁーあ。なんじゃ?
代われるか。
まったく、起き抜けに……魔導書使いが荒いのう。
「ハックさん、ですか?」
「いかにも。わしがハックじゃ」
「初めまして、私はエメリー。エメリー・ポールセンです」
「そうか。こやつの記憶越しに知っておるぞ」
「どういう風に記憶されているか気になるところではありますが……今日は挨拶だけ。ハックさん、キャニーをよろしくおねがいします」
「ふむ。任された」
ほれ、体を返すぞ。
「キャニーさんに戻りましたか」
「うん。僕に戻ったよ」
「なんだか、同じ見た目なのに別人になるって不思議ですね」
「僕も妙な感覚だよ」
「それでは、キャニーさん、また明日」
僕はそれに答えないままに、エメリーの目を見ないままに、後ろ手に手を振って、その部屋を後にした。
それから、さらに月が回った頃。酒飲みの大人たちも家に帰る頃。
飲み屋の灯すらなくなった暗闇を歩く。
お主、本当によいのか?
ああ、いいさ。僕はヒーローじゃないんだ。
お主、本当にやるのか?
やるさ、村を取り戻す。
お主、当てはあるのか?
当てなんかない。けど、ここで腐っててもしょうがないだろ。
灯りも持たず、月明かりだけを頼りに町の端を目指す。周りの様子に気を配っていないと、すぐに道を外れて壁にぶつかりそうな夜の道。
なぁハック。どうして今までいなかったんだ。
お主の心に余裕がなかったからかの。所詮、わしはお主の脳に間借りしてるだけじゃからの。
そうか、じゃあ、これからは無理やりにでも動いてくれ。それが最善だったら、僕の体も脳も好きに使ってくれ。
それは……。
僕が許可を出す。だから、力を貸してくれ。
もうすぐ町を抜ける。木でできた頼りない柵の間を抜ければ、そこは林道だ。
「マッて、くだぁさい。キャニーさん! お久しぶりですっ。先日はいきなり襲いかかって申し訳ありませんでした」
一面真っ暗。こんな時間に人が、まして、町の外を歩いているわけがない。しかも、その人は……その人も、灯りすら持たずに。僕を待ち伏せするように、道のど真ん中に佇んでいた。
声は枯れていた。姿は輪郭くらいしか見えない。表情も顔色も服の感じも見えない。それでもはっきり、僕は見た。
「また、忘れてしまったのですか? 私ですよ。アイロンです! やっぱり正々堂々しないといけないなと思ったので、今回は堂々と待ち伏せさせていただきました。あの、詳しい事情は話せなくて、申し訳ないのですが、前にキャニーさんが連れていた金髪の女の子に用があるんです。こんな時間ですし、道を、開けていただけないでしょうか」
彼女の輪郭は微動だにしない。
頭の中がぐちゃぐちゃになりそうなのを締め上げて、僕は言う。
「僕は確かに殺したはずだ」
「そうですね。とても痛かったです。でも、あれはちゃんとキャニーさんに、事情を説明できなかったために起こった事故です」
「そうじゃない。そうじゃないだろ! お前はなんで生きてるんだ!」
「うっ……うぅ、うっ……」
アイロンは泣き出す。それでも、僕の視界の輪郭は動かない。でも、確かに彼女は泣いている。
「神様が……助けてくれました。だから、大丈夫、なんです」
声が震えている。
「死んだ人は蘇らない」
それは本当だろうか。
「神様はなんでもできるんですよ。キャニーさん、あなたも」
死者は蘇らない。それは当たり前のことだ。しかし、その反例を僕は知っているんじゃないだろうか。ハックは、あの第一のウィザードの妻を名乗るあいつは……既に死んだ人間だ。ハック。
「アナタも、神様を信じませんか?」
「あぁ」
「信じてくれるのですか!」
「もういいや」
おいハック。
あい分かった。
刀は僕が使う。
ハックが僕の口を借りて、呪文を、人には理解できないそれを発音する。そうして発せられた音が、順に、炎へと姿を変えていく。
鬼火が浮いて、刀の間合いを照らし出す。
も一つ炎がはじけて、アイロンの髪を燃やす。
「どう、して」
「僕は、お前を、殺す」
一回殺すのも二回殺すのも変わらないだろ。
うなじのあたりから、頭の中にあった熱がどんどん逃げ出して、心が底冷えしていく。
一歩踏み込んで刀を横一閃。
「きゃぁ!」
燃えた頭に回していた手が突き出され防がれる。
動物の硬い皮と人間の柔らかい皮膚を裂いた感覚。
浅い。
流れのままに、下げた刀を突きの姿勢で前へと繰り出す。
相手の胸に当たる。
突き飛ばされたそれは、姿勢を崩す。
まだ浅い。
突きの勢いをそのままに、踏み込む。踏み込む。
刀を伴ったままのただの体当たり。
まだ倒れない。
踏ん張って蹴り出す。
今度は倒れた。
「ヤめっ」
馬乗りになって、刃を上に脇の下から肩を切り落とすみたいに、刀を突き刺す。右腕に突き刺す。左腕に突き刺す。
抵抗がなくなったから。
「たすけっ」
肋骨の間を通すように、刃を横にして、突き立てる。
何度も突いて体重をかけると、皮の鎧を貫通する。
そして、そして?
堅い。
「ぅぅぅぅ」
もう一度刺し直す。それでも通らない。
「ああ、ああ、あ、あああ、あ」
「うるさいな。お前の、お前らのせいなんだから」
しょうがないので、首に刀を押し当てて殺した。
今度こそ殺した……はずだ。
「あぁ」
血に塗れた刀を放り出す。
石とぶつかって無機質な音を立てる。
「くそがっ」
僕の股の下には、ああなんて顔だ、悲しいのか苦しいのか、それとも何も思ってないのか、そんな表情のまま固まったアイロンの死体がある。
どうして、どうして。
なぁ、殺人って同じ人を二回殺したら、二人殺したことになるのかな?
ならんじゃろう。一回目は殺せてないんじゃからな。って馬鹿なことを言ってないで、さっさと立てよ。
「ああ」
立ち上がって刀を拾い上げて、軽く血を拭って納刀する。
「どうすっかなこれ」
お主!
「は」
今さっき殺したはずの……両腕を斬りつけて、喉も斬ったはずの、アイロンが……立ち上がる。
「ぁぁ、ヒューヒュー」
目の前の亡者の口から声にならない風が通り抜ける。
血をべっとりと流しながら、流したまま、こちらに、来る。
「なんでなんだよ」
体は勝手に動く。否、ハックが動かしているのか。
体内時計は加速し、目に映る光景は減速する。
アイロンから染み出している血が沸き立って、小さなコウモリに変貌する。
こんなちんけな術式なんぞ。
僕の口が呪文を紡ぐ。呪文はすぐに消え、炎に変わっていく。赤黒いコウモリが燃える。
まだまだ、わしの魔術はこんなものではないぞ。
炎は燃える。
ハックが紡ぐ。
炎は燃え広がる。
この真っ暗な林道の中で、ここだけが明るい。ここだけが暖かい。
人の焼ける臭いを知った。
なぁハック、やったのか?
さあな。蘇りの魔術なんぞ知らんわ。流石に芯まで燃やせればいいんじゃろうが……。
表面が黒くなったそれは、その場で膝から崩れ落ちる。その衝撃で両腕が外れて、体液が少し飛び散る。
「ふむ、木が媒体かの」
刀の先で顎をつついて、頭を転がす。さっき半分ほどまで斬った首の中に、植物の蔦が入っていた。その蔦を刀の先で辿って、胸のあたり、さっき刃が通らなかったところの表面を削ってやると──。
「心臓があるはずの部分が木になっておる。それも随分と緻密にコードが書き込まれてるみたいじゃな。ならば」
炙られ脆くなったそれに、何度も刀の先をぶつけて割る。
「これで、さすがにもう大丈夫じゃろう」
「結局、なにかの魔術で蘇ったってことなのか」
「そうじゃな。だが、そんなこと本当にできるのかどうか……」
「ハックだって魔術で蘇ってるようなもんじゃないか」
「そうなるのかの? まぁこの際真相はどうでもいいじゃろ。本人に聞きに行けばいいだけの話じゃ」
「本人って?」
「そりゃあれじゃろ、この女が神様とか呼んでおったやつじゃ。どうせそやつが黒幕なんじゃろうし」
「そうか、そうだな……絶対に、こんなことをした報いを受けさせてやる」
オペラの分と、アイロンを、死者をおもちゃにした分。全部だ。
ああそうだ。僕にはまだまだやることがあるじゃないか。
やってやる。やってやるやってやるやってやる。
殺ってやる。
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