承──英雄病の鎮魂

11──何度逃げ出した? その1

 僕なんかよりも辛いはずのオペラが、心配そうな顔で見つめてくる。

 顔をそむけて、財布から残り少なくなったお札を抜き出して渡す。この動作はベッドに寝たまま行われる。最後に日の下に出たのは三日前だったか……二日前だったか……。ついまた過去を考えてしまう。失敗だ。

 青空と草原がフラッシュバックする。自然の営みがかつてあった惨劇を覆い隠しつつあったあの村。

 僕は人殺しだ。

 アイロンという善良な女性の胸に刀を突き立てた。

 そもそも、なんでこんな場所にいるのだったか。

 あの安アパートに戻りたい。戻れない。

 第一、僕は犯罪者だ。だから、あの街から逃げていて、オペラを故郷に送り届けないと。そのはずだったけれども。

 村があるはずの場所には、何もない方がマシなくらいの、残骸だけが。なんでなんだ、僕は何のためにここにいる。なぜ、ここに来た。

 そもそもここが、どこの街かもさだかではない。いや、そんなはずはない。方角と距離的に、該当するような街は一つしかない。どうやって来たのか。そんなことは覚えていないけれど、近場の街はここだけだ。大丈夫。迷子じゃない。

 何回目かも分からない確認を終えて一息。またしばらく天井を眺める作業に戻る。これも変わらないな。変わらないのはいいことだ。

 ああ、これからどうするかな。どうしよう。どうすればいい。一つ分かるのは、このままここで腐っている場合じゃないということ。でも、オペラはどうしよう。旅の当初の目的は失敗した。僕にオペラを助ける資格などないのだ。この手を血で汚してしまった。しょうがなかった。

 もうどうしようもない。オペラには悪いが、警察機関にオペラを任せて、僕は……僕はどうする? 思えばあのときすぐに出頭していればよかったんだ。それを、こんなに逃げ回り引き伸ばし後回しにして。挙句の果てに、人殺しまで重ねてしまった。

 いい加減決断しなければ。路銀ももうすぐ尽きる。

 僕は天井の染みを数える作業で忙しいのに。

「キャ、キャニー? ねぇ、大丈夫?」

「なんだいオペラ。もしかして、お金が足りなかったかな」

 視線は天井のままで、手だけ動かして財布を取り出す。

「そ、そうじゃなくって! 今日のお金はもうもらったから!」

「うん? そうか。じゃあよかった。よかった」

 ゆっくり、まばたきをする。

「そうじゃなくって! お客さんが来てるの!」

 シーツを頭から被る。

 僕に客なんて来るわけない。来たとしたらそれは……追っ手。

 安宿の部屋の扉が軋み、甲高い笑い声を上げる。

 逃げないと。そういえばハックはどこに行ったんだ。

 頭に鉛が詰まったみたいにボーっとして何も分からない。

 逃げないと。

「やっ。お久しぶりです」

 その柔らかい声は──元同僚の学芸員その1こと、エメリーのものだった。

「久しぶりの再会だというのに、挨拶もないんですか。キャニーさん。挨拶は大事ですよ。RFC にも書いてます」



 あっ、あの道は見覚えがある。あそこの山も。

 ここが?

「ついた、の? おうち、ない? うわあぁあぁああぁああぁぁああぁん。ああああ。あー。あー。あー。うあぁあああああああん」

 いっぱい泣いた。だって家がないから。だってお母さんがいないから。だってみんながいないから。

 いっぱい遊んだ広場も。いつもご飯を食べていたお部屋も。毎日いっしょだった友達も。

 みんないない。

「あぁああ。あー。あぁあああ!」

 体が持ち上げられる。

 とっても揺れる。

 涙と鼻水がぐしゃぐしゃってなる。

 落っことされそうで、必死に服にしがみつく。

 口の中に涙が入ってくる。口の中に葉っぱが入ってくる。

 しょっぱい、まずい、チクチクする。

 泣いた。

 けど、ずっとは泣けなかった。

「キャニー?」

 キャニーにしがみついていた。キャニーに抱っこされていた。

「キャニー! もどってぇ! おうちが! おうちがぁあああああああああ」

 泣いた。

 キャニーは無口だった。わたしのこと見ないで、いっぱい走ってた。

 泣き疲れた。

「キャニー?」

 涙がどっかいって、やっとキャニーの顔が見れた。すごくすごく悲しそうだった。なんだかキャニーの方が辛そうだった。

 なんでなの? どうしてなの?

 わたしの代わりにキャニーが苦しんでるみたい。

 どうしたらいいか分からなくって、キャニーにしがみついたままでいたら、宿屋に来ていた。

「いらっしゃい……。あー。こんな辺鄙なとこまで、よく来たね」

「どこでもいい、一部屋、しばらく泊まれれば」

「はぁ。じゃあ五百ミリね。二階の角の部屋だよ。お兄さん本当に大丈夫かい」

「ありがとうございます」

 キャニーに手を引かれる。

 キャニーと部屋に入る。

 キャニーは荷物を投げて、ベッドに……。

「オペラ、これで何かご飯でも食べてくれ」

 お札が一枚、床に落ちた。

 わたしは、お札を拾った。

「キャニー? ねぇ、いっしょに行こうよ」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 わたしのお腹が鳴る。

 ご飯を食べたいって思わなかったけど、我慢できなくて、一人で部屋を出た。

 一人で一階に降りたら、宿屋のおばさんに色んなことを聞かれた。わたしは分からなくって、よく分からないことを言った。お金をおばさんにあげると、お料理が出てきた。おばさんは複雑そうな顔でわたしを見ていた。きっと、このおばさんはいい人だ。キャニーの分のご飯も作ってくれたから、部屋に持って帰った。

「キャニー? ご飯だよ」

 じっと見ていても、キャニーは動かない。

「キャニー?」

 悲しくなった。

「キャニー?」

 ご飯がすっかり冷たくなると、キャニーはベッドからテーブルへと動いて、黙ってご飯を食べた。

「キャニーおいしい?」

「…………」

 キャニーは何も言わない。何も聞こえてないみたいだった。わたしのことも見えてないみたいだった。

 わたしとキャニーはだんまりで、何も言わずにぼーっとしてた。でも、わたしはたまに、宿屋のおばさんとお話をした。他にお客さんはいないみたい。おばさんには、昔子どもがいたらしい。

 そんな感じで、3日経った。

 3日が経った日、その人は来た。

「キャニーくんいますか!」

 その人は宿屋に入ってすぐ言った。

「キャニーのこと知ってるの?」

 キャニーがあんなになってるのが、悲しかったから、キャニーのことを知ってる人が来て、わたしは嬉しかった。

「お嬢さんもキャニーのお友達ですか? お姉さんの名前は、エメリー・ポールセン。あのキャニーの友達第一号。エメリーって呼んでね」

 エメリーはしゃがんで言った。なんだか、ふっくらした感じで、メガネをかけていた。

「わたしはオペラ。キャニーとは……」

 そこで分からなくなる。キャニーはわたしの何なんだろう。友達なのかな。キャニーはわたしのことなんだと思ってるんだろう。

「あっ、もしかして、キャニーのこと好きとか、ですか?」

 エメリーは手を縦に口に添えてヒソヒソ言った。

「う、うん。キャニーはわたしを助けてくれたから」

「そっか。キャニーはヘタレだけど、良い奴なんですよね」

「ふふ。キャニーヘタレ」

 なんだか心が少し暖かくなった。

「あのね。エメリーさん。キャニーを助けてください」

「もちろん、そのつもりで来たので任せてください」

 エメリーは、ドーンと胸を叩いた。

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