10─人間なんて知らん顔
あれからどうしたって? ふざけるなよ。
もう全て終わりだ。いや、終わってなんかない、オペラを誘拐して奴隷にした元凶は死んだ。僕が殺した。だから、後はオペラを村に送り届けたら一件落着だ。それで、この旅は終わりなんだ。
めでたしめでたし。
そんな憂鬱な僕に一声もかけずに、夜は明けて空を青さが支配する。
心を殺しても、体は生きるために必要なものを僕に要求する。
肉体を引きるようにして、川辺まで移動して血を拭う。怪我が痛いなんて、「キャニー大丈夫?」どうでもいい。人が死ぬってのは、こんなもんじゃ釣り合わない。
僕は人殺しだ。
昨日の夜のあの感触を何度も繰り返す。
飯は結局オペラにあげた。食べ盛りだからな、僕の分まで肉を食え。僕にその赤色を見せないでくれ。
コンパスと地図を取り出す。ああ、大丈夫、多分、今日中に、午後には村に着くよ。そしたら、全部解決するね。
水を汲み。口をすすぐ。吐く。水を飲む。体の中をすすいだら、昨日のこともなかったことにならないだろうか。
大丈夫。大丈夫。足は動くし、僕は大丈夫。
「ねぇ、キャニー。クランクおじさんは?」
「オペラ、今日中に村に着くよ」
あんなことがあったってのに、荷物は何一つ残すことなく持って来れていた。案外冷静なんだなと思う。
「さあ、行くよ」
オペラと横並びで道なき道を行く。僕の手にまだ血がべっとりとこびりついている気がして仕方なかったのでこんな手でオペラに触れてはいけない。
眠い。眠れない。
足を動かす。
とにかく重い荷物をどこかに降ろしたくて。
「キャニー、待って」
僕はとにかく前に進むけれど。
助けての気持ちが心臓の壁を殴りつける。
傷口を抉り出したい衝動をなだめる。まだ、もう少し。
長い長い道のりだった。心は立ち止まったまま、体が半ば自動に動いていく。
方向は、合っていると信じたい。不安になっても確かめる元気もない。
僕には何もない。
「ねぇ、ちょっと休もうよ」
止まったら追っ手がくるぞ。止まったら追いつかれるぞ。止まったら、いけないんだ。このまま、オペラを送り届けるんだ。早く。早くして。息が浅い。息苦しい。苦しい苦しい苦しい。目を細めて、木に手をつきながら、転びながら。
「キャニーってば……キャニー……どうしちゃったの」
木陰が途切れる。
森を、出たのか。
時間は、分からない。ただ、地図が正しければ、ここがゴール……だろ。
えっ。
広がる視界が信じられなくて、リュックを下ろして、地図を取り出して、方角を確認して、太陽の位置を確認して、手の力が抜けて、手に持ってる物を落とす。
「ついた、の? おうち、ない? うわあぁあぁああぁああぁぁああぁん。ああああ。あー。あー。あー。うあぁあああああああん」
視界にヒビが入る。目の奥がチカチカする。
でも、世界は滲まない。
世界は眩しい。
木の切り拓かれた一帯は雑草で生い茂っていて、僕のことなんてどうでもいいやつみたいに、爽やかに風に揺られている。そこに生えているのが自然であるという顔をして、雑草が人の生活の痕跡を覆い尽くしている。揺れる葉の間から、道があったであろう地面とか、真っ黒に焦げ切っている炭とか、溶けて形が歪んだ鍋のようなものとか。目を凝らしても、揺れる葉っぱが隠してしまう。焦点が合わない。でも、そこには間違いなく人の生活があったはずで。おそらく比較的最近のものであるはずで。でも、ここには何もなくて。でも、何もないはずはなくて。でも、青空が広がっていて。でも、向かい側から吹く風が、何も無いよと言っているようで。でも、ここにオペラを連れてきたかったはずで。でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも──でも。
手で顔を覆う。
風が肌を撫でる。
鳥の声、草のこすれる音、風の音、オペラの泣く音、そのどれもが僕を透過する。
文句を言おうにも、雲が形をのらりくらりと変えて狙いが定まらない。
鼻から息を吸い込む。自然の臭いにむせこんで、息が続かない。これは毒だ。
世界に無視されている。
世界が僕を
僕は逃げ出した。
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