08─もう少し。きっと許してくれる その2
夕刻。空に雲が滲むとき。
荷車を引いている男、行商人をしているらしい彼が言う。
「本当に助かりました。ありがとう」
「いえいえ、それほどでもありませんよ」
「キャニー嬉しそうだね」
いえいえ、そんなことありませんよ。僕は人として当然のことをしたまでです。ノブレスオブリージュ的な。
「彼女たちにもお礼を言いたかったのですが、どこかに行ってしまったみたいですね」
彼女たち、アイロンと水色の髪をした女性の二人組は、脅威が去ったと見るやいつのまにか、いなくなっていた。最後に見たアイロンの顔が、何か申し訳ないような、浮かない顔をしていたのが見えた。
それに、水色髪の方は、オペラをじっと見ておったな。何やら訳ありのようじゃが……。
まぁ、人の事情に首を突っ込むのもよくないだろう。
「とにかく、あなたたちだけでも、何かお礼をさせてください。ご覧の通り私は行商人をしているので、何かお譲りできるかも」
そう言って指し示された荷物を見ると、塩などの調味料や薬草類、金物が積まれていた。薬草類は前の村で補給したし、調味料かな。
「はい、まいど。そっちのお嬢さんにはこれをあげよう」
荷物の中から飴玉を取り出すと、商人はしゃがんでオペラに差し出す。
「おや、その耳……あぁ、もしかしてオペラちゃんかい?」
「クランクおじさん?」
「ああそうだ。ちゃんと覚えててくれてたんだね。オペラちゃんも大きくなって……あれ? なんでこんなところにいるんだい?」
「うん、あのその」
「それは僕から説明します」
僕は、オペラが村から誘拐されて奴隷になっていたこと、追手から逃げて村に戻る途中であることを述べた。
「そりゃ災難だったねぇ。まぁここまで来たら村も近いし、なんとかなるだろう」
「キャニーのおかげ」
「あんがとなぁ。おじさんからも礼を言わせてくれ」
商人の、いや、クランクさんの態度がラフになる。オペラが前に言っていた行商人はこの人か……。こうなると、ほとんどもう村に帰ってこれたようなものかな。
あんまり油断せん方がいいぞ。
大丈夫大丈夫。それに、少なくとも道が間違っていて辿り着けないことはなくなったってことじゃないか。よかったよほんとに。
焚き火ができそうな手頃な場所を見つけて、腰を落ち着ける。目的地が同じなら、一緒に行った方がお互いのためだ。
火を眺めながら三人で会話をする。
お互いの旅のこと、オペラの村のこと。
クランクさんは、三年という長期のスパンで世界を回っているらしい。祖父の代でスピム村を出て、それ以降、三代に渡って旅の商人をしているそうだ。
オペラが旅の話を欲しがったものだから、クランクさんはこれまで旅をしてきた色んな場所の話をした。オペラの年齢を考えると、前に会った三年前は、あまり長い話を聞けなかったんじゃないかと思う。かくいう僕も、旅の話は面白いと思えるものばかりだった。
「この前船に乗ったときのことだ。風も強くねぇし、周囲に何もないのに、見張りがいきなり騒ぎだした。それで、水平線を見ても分からないならと、海面を、下を見てみたんだ。野次馬根性だな。そしたらびっくり、黒い影が見えるそれも巨大な、自分が今乗ってるのと同じくらいの大きさの影が見えたんだ。何だったと思う?」
「お魚さん?」
「惜しい、その影の招待は巨大なウミガメだったんだ。亀は賢いからな。幸い船がひっくり返されるようなことはなかったが、あれは生きた心地がしなかったな」
向こう岸が見えないような大海原の話。
「次、次はそうだな、森の奥の遺跡の話だ。森の様子もこことは全然違う。葉っぱの量がすげぇ。ツタみたいなものがたくさんあって、葉っぱの形も違う。馬車や荷車が通る道がねぇ。そんな大量の植物をマントみたいにして、ひっそり埋もれたように、古い遺跡があるんだ。何の用途なのかも分かってないらしいが、実は金銀財宝の在り処を示してるとも言われている」
「そこって、アルトの遺跡ですか?」
「ああ、そうだ。一応観光地になってたかな」
そういえば、ハック、アルトの遺跡はラボなのか?
確証はできんが、可能性は高いじゃろうな。
「まぁ、結局中に入っても何も分からなかったが、だが、只者じゃない気配を感じたんだ。他にも、滝の裏側にある遺跡にも行った」
観光地になってる遺跡の話。
他にも、廃炭鉱の話や、誰が掘ったか分からない大穴の話、一万年以上変わらない滝の話、海に浮かぶ氷の大地の話、その多くが、ちょっとした観光地となっている場所ではあったが、そんな話をたくさん聞いた。
どうせ今の僕は根無し草だ。全部、とはいかないかもしれないけど、ハックと二人で回りたいな。
そうじゃな。
「あと話してないのは……っと、オペラちゃんは、もうおやすみかな」
「そうですね。時間も時間ですし」
僕の太ももを枕にして、安らかに寝息を立てている。
このままだと僕が眠れないので、オペラを寝袋の中にしまう。
「じゃあここからは大人の時間だねぇ」
クランクさんは酒瓶を取り出す。
「あ、いえ、僕はお酒は……」
「そうなのかい。勿体ないねぇ。じゃ、これはおじさんが」
グビグビっと勢いよく酒を煽る。
「はー。安酒が染みるねぇ。さっきあれだけ語っておいてなんだけど、旅の本当の醍醐味ってやつは、今みたいなことを言うと思うんだよね。一期一会。旅先で出会った人と火を囲んで酒を飲む。やっぱり飲まないかい?」
「本当に大丈夫なので」
「そうかい、でも、酔いたそうな顔をしているよ」
「どんな顔ですか」
「なんだろうね。迷子の顔かな」
「何に迷ってるっていうんですか」
迷ってる? 僕が?
「そりゃあ人生ってやつだよ。悩みでもあるのかい?」
「無いです。無いですよ。むしろ最近順調すぎるくらいです。今まで出来なかったことができるようになって、人から感謝もされて。だから、悩むなんてとんでもないです」
「おじさん、目が曇ってたのかなぁ。これでも色んな人を見てるからね。何でも聞きたいことがあったら聞いてね。それか、おじさんの方から聞こうかな」
薄くまどろんでいた目が開く。
「オペラちゃんのことどう思ってるの?」
「えっ、どうって、守らないといけない対象ですかね」
「それだけ? なんで君が守らないといけないの?」
「それは……どうしても見逃せなかったから……」
「そうなんだね」
言葉を区切り、長い一拍。
「君は、優しいんだね」
「そんなこと……」
「ふふん、悩めよ若人よ。全力で悩めよ。人生なんてずっとそうなんだから。だから誰も気にせず悩むのだ。あぁ! なんという」
もう呂律が回らなくなってきている……。酔いが回るのが早すぎないか?
しょうがない、寝る準備をするか。
理性が飛びかかっているクランクさんから酒瓶を取り上げて、毛布をかける。焚き火に灰をかぶせて、火を小さくする。
静かに夜が更けていく。
灰の中で小さく明滅する火種を眺めながら僕は、今後のことに思いを馳せた。何をセンチメンタルになってるんだか。
片膝立てて、夢も現も分からない状態で、僕は昔の夢を見た……気がする。
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