07─こんな景色見たことない

 なぁ、出発しようとしてるところ悪いんじゃが、今夜見せたいものがあるから、もう一日待ってくれないかの。

 パラケルススが帰った直後のこと、ハックがそんなことを言い出した。

 夕暮れ時、赤い日差しから隠れるように山を登っていく。

「目的地に着くまでの間に、少し経緯というか、説明が必要をしておくか」

 宙を浮き障害物をもろともしないハックを先頭に、山道を進む。

「薬草を摘んだ場所で、少し別行動したじゃろ」

「ああ、魔術を使えば現実に干渉できるんだっけ」

 魔術を使うにはコードが必要なはずなんだけど、一体何を消費したんだろうか。今までもハックは魔術を使うときは僕の口を使って詠唱をしていたはず……。まぁ、僕の知らない裏技があるんだろうな。

「それで、何をしていたんだ?」

「実はな、あの場所はリッチーの研究拠点ラボなんじゃ」

 リッチー、第一のウィザード、ゴト・リッチー氏か。前もって聞かされていた気もするが、そういうことだったのか。

「わしの旦那さまでもあるリッチーじゃ。懐かしいの」

 僕らの視点からでは、ハックの表情は読み取れない。ただの幻影であるはずの彼女は、遠い昔を思い出すために、斜め上を向く。

「昔話は後回しにしよう。まずは、今の話じゃ。あの場所、土砂崩れを起こしておったじゃろ。そのせいで、ラボの入口の結界が剥がれておった。周囲の物体と同じ当たり判定を生み出す、外側の結界がの」

「当たり判定?」

「ようするに、手で触れても何も違和感がなくなるようにするものじゃ。扉も入口も分からなくなる。その他にも、見た目を偽装する結界や注意を逸らす結界が仕掛けてあった。それらは魔術的なものじゃから、土砂崩れじゃ破れんが、当たり判定を付与する結界は地形が極端に変わると破れてしまう」

「結局、ラボの様子を確認していたってことか? 結界やらなんやらは良く分からないが」

 結界、ワードとしては聞いたことあるが、それが実際に魔術として運用されている話は聞いたことがない。いまいち何をするものなのかもピンと来てないが……。

「ラボの確認はどのみちする予定じゃった。思い出の場所じゃし、リッチーの研究成果が掘り出されているか純粋に気になるしの」

「そうなのか。ちなみに、リッチー氏の研究ノートはほとんど現存していないし、ラボも初期のものが発見されているだけらしい。魔術を普通の人でも使えるようにしたのは第一のウィザードだけど、実際に、現代の魔術体系に貢献したのは第二のウィザードだ」

「え、キャニー、すごい物知り」

 オペラが意外そうに言う。みなさま忘れているかもしれませんが、僕はこれでも博物館の警備員をしてたんですよ。普段から教養に触れている、知的階級なのだ。

「そう、残念なことじゃな。結界そのものは維持されておったから、誰もラボに入っってないじゃろうな。じゃが、外側の結界の一枚が破れた。それによって、物理的に中と外がつながってしまった。流行り病の原因はそれじゃ」

「どういうことだ。もっと噛み砕いて説明しろ」

「お主は、病が起こる原理を知っておるか? なぜ人から人に伝染るのか知っておるか?」

「えーと……」

「ウイルスが体をおかしくするんでしょ?」

 言い淀んだ僕に代わってオペラが答えた。

「その通りじゃ、オペラはよく知ってるの」

「へへーん」

 今まで先導していたハックが振り返って、オペラの頭を撫でる。どこかで僕の評判ゲージが下がる音がした気がする。くっ、さっきゲージが上がったばかりなのに。

「おいおい、子どもと張り合うなよ、お主。そんな、あからさまに悔しそうな顔をするな。続きを話すぞ」

 ハックは前に向き直り歩き出す。

「病は目には見えないウイルスというものが引き起こす。これは、人の体の仕組みを狂わせる。目には見えないが、存在はしているようで、人から物へ、人から人へと乗り移る。そして時に、消滅することもある」

 なんだか眠たくなってきたな。歩きながらでなければ、寝落ちしていたかもしれない。

「おい」

 頭だけ振り返り、目を細める。瞳が青く発光してるように見えた。

「はい、ちゃんと聞いてます」

「つ、づ、け、る、ぞ。ここで問題になるのが、流行り病はどこから来たかということじゃ。もう分かるな」

「わ、──分かります」

「お察しの通り。そのウイルスは、リッチーのラボの中に閉じ込められたものだったのじゃ。ウイルスすら外に漏れないような結界、それが破れた。結果、はるか昔に根絶したはずのウイルスが、蘇る。村人はとっくに、そんな病のことなんか忘れておるから、対処法は失われたまま。以上、今回の顛末じゃ」

 ハックは言葉を区切る。体を持たないハックには必要ないだろうに、大きく呼吸している。

 まだまだ山道は続く。日が落ちてきて、ぼんやりした暗闇に包まれていく。足元にポツポツと、例の薬草が生えているのが分かる。薬草の蕾がわずかに光を帯びている。ランタンに火を入れると、それらは霧散した。

 目の前の巫女服少女は相も変わらず、迷わず、光の届かない暗闇の入口を真っ直ぐ進む。そういえば、ハックの体は光にも闇にも染まっていない、僕の頭の中の存在だからだろうか。

「実は、ではないな、周知のことじゃが、わしは昔この辺りに来たことがある。リッチーとな。じゃから、ラボのことも知っていたし、薬草のことも知っていた。昔のことじゃ、いや、昔々のこと、じゃな。今となっては」

「それで、これから向かうのはどこだって言うんだよ」

「いやぁ、すまんな。とりとめもない話を長々と」

 ガシャリ、ガシャリと、ゆっくりと僕の刀が音を立てる。オペラが今にも崩れ落ちそうな風で、頭を打ち付ける音だった。

「眠い?」

「ねてない……よ」

 いつもは日が落ちてから外を歩くなんてことないからな。リュックを前側に移動させて、オペラを背負う。僕らが旅を始めてからここまで、あっという間だったけれど、オペラは随分と元気になった気がする。前に背負ったときは、もっと軽かった。

「寝てしまったか?」

「うん、流石にね」

「老人は話が長くなっていかんな」

 年端もいかない少女の見た目で言う。

「そう、じゃ。あの頃、リッチーとわしは、色んなところを転々としながら、旅をしておった。ここに滞在したのは半年くらいじゃったか。一年はいなかった気がするな。その場所に拠点を作って、魔術の研究に明け暮れて、ときには人に何かを教えたり、物をもらったり」

「どこかに腰を落ち着けたりしなかったのか?」

「それは……できなかった。二人して追われていた身であった。駆け落ちと言ってもいいかもしれんな。わしはの、見た目の通り巫女だったんじゃよ。その心身を魔術に捧げ、土地を潤し、外敵を葬る。魔導が開放される前の、魔術師だったのじゃ」

 第一のウィザードによって魔術が一般に開放されるまで、魔術はほんの一握りの人だけが、常人ならざる人が、常人ならざる方法で行使するものだった。その詳細はあまり残っていないが……コンパイラが行っていることを生身の人間が行うというのは、通常不可能だとされている。

「人間の精神はな、本来、魔術など行使できる構造をしておらん。だけれども、一度魔術が可能だと分かると、便利に使いたくなる。普通の精神が無理ならな、異常になればよい。そうして、世界と通信できるようになればよい」

「異常になるって」

「いかんな、すぐに暗い話になってしまう。話したくない。思い出の話をしよう」

「そう、だな」

「あの薬草な。リッチーが旅をする中で、誰もおらんような秘境で見つけたものなんじゃ。それをな、綺麗じゃからと、ここら一体に植えて回った。一緒になって、そこら中掘り起こして種を蒔いた。それが病気にも効くのが分かったのは、後のことじゃな」

「楽しかったんだな」

「ああ、楽しかったよ。一緒に土にまみれて。なんでわしがそんなことを……と思ったけどな。それに、やつの言っておった、本当にすごい景色はその時は見れんかったからな。馬鹿なんじゃよ。あの花は一輪でも充分、綺麗じゃったというのに。あやつはなんて言ったと思う?」

「……。んー。思ったほどじゃない……とか?」

「それがな、『こんなもんじゃない』じゃと。もっと、もっと輝けるだの、もっと神秘的なものにできるだの。そのときは本当に何を言ってるか分からなかった。それで、『どうやったら見られるんじゃ』と問い詰めてやった。わしに土仕事をさせておいて、そんな感想はないじゃろ。そしたらな。『今計算してみたら百二十年後』じゃと、ふざけんなって話じゃよな。そんなに長生きできるわけないじゃろ!」

「なんだか、僕が想像してる人とは全然雰囲気が違いそうだな。なんというか、もう少し思慮深い人間を想像してたよ」

「はっきり言ってバカなんじゃよ。おおバカものじゃ」

「今のハックの発言を聞かれたら、学会の先生たちがおかんむりになるよ。第一のウィザードだよ。誰もが認める偉人に対してバカって」

「バカはいくら理屈をこねられたとしても、バカじゃからな」

「辛辣だね」

「別に、当たり前のことを言ってるまでじゃ」

「……」

「なんじゃその目は。やめんか」

「ハックって実はかわいいんだね」

「な、何を言っておるんじゃ」

「冗談じゃないことは、ハックなら分かるはずだ」

「ぬぐ。はぁあ。お主もそんなことを言うんじゃな。まぁよい、お主、そろそろ着くぞ、崖になってるから、わしよりも前に出ないようにな」

「ようやくか」

 気づけば足元の草は少なくなっていて、ところどころ岩が露出している。

 木々の間を抜ければ、視界が一気に広がる。

 世界は手持ちのランタンじゃ照らせないほどに広い。

「これが見せたかった景色か?」

 言っちゃえば、普通に眺めの良い場所……なわけだが。これなら昼間に来たほうが。

「それがの、こんなもんじゃない」

「こんなものじゃないって」

「まぁ座れ、ゆっくり待つぞ」

 背中のオペラを優しくおろして、組んだあぐらの中に収める。ハックは隣で立ったまま、僕の肩に手を置いた。

「待つってなにを」

「静かに」

 人差し指を唇に当てて、唇から唇へと移す。

「情緒のないやつじゃの」

 それから、手頃な位置にあるオペラの髪を撫でながら、ゆっくり時が過ぎるのを待った。

 声のない夜。

 呼吸が時を刻む。

 異変は、森の木々の隙間で起きた。

 眼下に広がる森から、小さな光の粒が空へと立ち上ってくる。

 昼間大地に染み込んだ木漏れ日を、夜空の月へと返すように、優しいぼんやりとした光が飛んでいく。

 光が舞う、天へと天へと。

 ダンスを踊ってるみたいに、ときどき、光の粒が合体したり離れたり。

 こんな幻想的な景色は見たことがない。こんな風に故郷を飛び出したりしなければ、一生見なかっただろう。ましてや誰かと一緒になんて。

「わあぁああ。綺麗じゃぁ。綺麗じゃ、なぁ」

 隣から溢れ出した声が、音を忘れていたことを思い出させる。

 ハックがこんな風に感情を表に出しているのは、めずらしい。

 それを聞いて、僕の胸の中で、オペラが身じろぎをする。

「んんー」

 オペラにもこの景色を見せないと。ペシペシと頬をはたく。

「ねぇ、オペラ起きて。ほら」

「何? あっ! え! すごい! なにこれ!」

 可愛らしいの頭が僕の顎を撃ち抜く。痛みも構わず、オペラの腕を掴んで引き留める。それ以上進んだら崖があるぞ。

「わー!」

 そんな僕の心配も知らずに、オペラが歓喜の声を上げる。じっと景色を見ていたのも束の間。

「あの光捕まえられないかな」

 ちっちゃなお姫様はそんなことを言う。

 辺りを見回して、崖の下の森だけでなく、背後にある森でも光が飛び交っているのを見つけると、お姫様は自分の荷物を漁り、適当な袋を取り出す。

「オペラ……もう少しじっくり眺めないか?」

「でも、でも、今捕まえないと消えちゃうかも」

「森の仲間で立ち入らない範囲なら。あ、いや、ロープを結んでおこう。そしたらはぐれない」

 リュックからロープを取り出して、オペラの腰にくくりつける。

「いってらっしゃい」

「いってきます!」

 まだ、まだまだ、光の粒子は舞い続ける。オペラが近づいた部分の粒子が散らされる。かすかな光に照らされて、その薄黄色の髪が輪郭を帯びる。

「なぁハック。見られてよかったな」

「そうじゃなぁ。いい景色じゃ」

 うつむき。

「できれば、あやつとも見たかった」

「第一のウィザードが見れなかった景色、か」

「どうしようもないやつじゃ。ああ」

「リッチー氏がハックを残した理由ってこれなのかな」

「うん?」

「ハックにこの景色を見せたかったのかなって。自分が見られない景色をさ。見て欲しかったのかなって」

「それで、なんでわしを残したんじゃ。己も、自分も残せよ。わしだけにするなよな」

「案外、どこかのラボにあるんじゃないか。全然発掘されてないし。たまたま見つかってないかも」

「そうか。そうじゃったら。いいな」

「オペラを送り届けたら、その後は、ラボを探そうか」

「そうしてくれるか」

「ああ、元々僕は冒険家になりたかったんだ」

「楽しみじゃな」

「きっと、リッチー氏はハックを一人にはしないよ」

「なんか変じゃよな。わしは魔導書じゃぞ。リッチーも、おそらく、魔導書じゃろうし。きっとオリジナルは死んでおる。やっぱり変じゃ」

「そうかな。僕はハックに出会えてよかったよ。本当によかったと思ってる。ハックも今、僕に会ってよかったと思ってるだろ? それでいいよ。それがいい」

「バカモノ。そうじゃな。わしは幸せ者じゃ」

「だから、もっと色んな景色を見に行こう。他にも何かあるんだろ?」

「ああそうじゃなぁ。考えつかんような場所にあるラボとかな」

 滝の裏や大樹のうろに入口が隠されてる様子を想像する。

「ふっ、もっと、もっと変な場所じゃよ。まぁ、楽しみにしておれ」

「うん」

 光をすくいに行っていたオペラが帰還する。慎重に袋の口を手で絞ったまま。

「取れたっ、取れたよ」

「本当に?」

「見て見て」

 そっと、袋の口の隙間から中を覗き込む。薄っすらと光るそれが二匹。仲良くくっつきながら浮遊するそれは、なにかの虫だった。白くて羽が生えてて綿毛もついている。

「これ飼えるかな」

「うーん、無理なんじゃないかな。餌が何かもわからないし」

「そっか!」

「だから、逃がしてあげるんだよ」

「ダメ。もうちょっと見る」

「開放してあげないと弱るよ」

「そう?」

 弱るの? と聞くかのように、袋の中を覗き込むオペラ。

「仕方ないなー」

 袋の中にむんずと手を突っ込むと、取り出した握りこぶしを勢いよく開く。

 二筋の光が前方へ、迷いながら飛んでいく。

 その光線が目で追えなくなるまで、ただじっと、その軌跡を眺めていた。

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