03─神はいるのよ その2

 狐につままれたような奇妙な体験をした次の日。解呪の庵。

 昨日と変わらない姿で、森の中に溶け込んでいる建物の扉を開く。

「オペラ」

「きゃにー、こらん」

 とろんとした目のオペラが、煙の中に立っている。昨日までついていた首輪は外れていた。

「オペラ大丈夫だった?」

「うーん。ん」

「解呪は成功した。首輪はもらっておくよ。報酬は……」

 煙の奥の方から、いくつもの周波数を重ねたような声が聞こえる。

「これでいい?」

 コランが手持ちの真っ赤な宝石を一つ放り込む。何から何まで世話になりっぱなしだな。

「ああ。十分だ」

 部屋に立ち込める煙がどんどんと薄くなる。同時に、部屋が透明に薄く透けていき、独特なお香の匂いと一緒に家も消えてしまった。

「オペラ、いつまでもそのボロ布じゃまずいからとりあえずこれ着て。後で、ちゃんと買いに行きましょう」

「あれ? あっ、キャニー! コラン!」

「まだ寝ぼけてるのか? 解呪ってどんな感じだったんだ?」

「えー。あー。うーん。なんだっけ? なんか暖かくてほわーって。分かんない」

「分かんないって、一日かかってるんだぞ」

「まぁまぁ、首輪が外せたのなら充分じゃろう。それに、あれはわし以前の魔術の感じがした。あまり深入りせん方がいいぞ」

「そうよ。正直、解呪の庵の場所も忘れた方がいいかもね。そんなことより、とりあえず一件落着したから、町に戻るわよ。オペラの服とか装備を買わなくちゃ。まだまだ旅は長いんでしょ?」

「そうだね」

「だから」

 コランはオペラをぐいっと手元に引き寄せて。

「私はオペラちゃんと買い物に行くから。あんたはこっちね」

 そう言って、いつの間に作ったのか買い物リストを渡してくる。

「えっ僕も、オペラと」

「手分けした方が早いし、それに、レディーがおめかしするところを、あんまり見るもんじゃないわよ。ほら、分かれる」

「えー」

 コランと出会ってから、オペラとの時間を奪われ続けている気がする。しかもこの先の旅についてくる気満々っぽいし。

「な、なぁ。やっぱり」

「うるさい!」

「ひっ」

 耳元で破裂音がする。本当に躊躇なく魔術を使ってくるなこいつ。怖い。怖いよ。



 そんなこんなで、とぼとぼ町に戻ってくる。

 はぁ。オペラの首輪が外れてめでたいはずなのに、なんだかやるせない気持ちだ。

「ま、大人しくお使いはするんだけどね」

 なんとも、情けないのう。

 仕方ないだろ。代わりにハックがガツンと言ってくれればいいんだ。

 わし任せか? ますます情けない。

 手元のメモを見ると、食料品やタオルなど旅に必要そうなものが一式書かれていた。食料品は後だな、まずは運びやすいものから……って、どこに何の店があるかまったく分からないな。

 とりあえず大通りっぽい方へ行けばいいかな。と、昨日宿を探したときの記憶を思い返しながら、町を探索する。方向音痴ではないはずなんだが、どうにも初めての場所は迷子になるな。

 記憶を頼りに適当に歩いていると、前を歩いていた女性が、勢いよく路地裏の方へ入っていくのが見えた。それなりに整った身なりで、路地裏に入るような人に見えなかったが。何があるんだろう。

「ストーカー」

 隣を歩いているようで、プカプカ浮いているハックが言う。

 今の子に危険がないか見守るだけだよ。

 そう心の中で言いつつ、そっと、路地裏を覗き込む。先程みかけた彼女はもう、路地裏のどこか深いところへ行ってしまったらしく、誰も見当たらない。あっちかな?

「ねぇねぇ。おねぇちゃん」

 ちょうど、一つ角を曲がったところに、浮浪児と思われる子供が二人と先程の彼女がいた。

「お恵みください」

「しょうがないわね。少しだけよ」

 彼女が懐から硬貨を何枚か取り出して子どもたちに渡す。硬貨をもらった子どもたちは、お礼も言わずに、どこかに走り去っていく。

 彼女がこちら側に振り返る。路地裏で覗き見なんていう怪しいやつ相手だというのに、彼女は特に訝しむ様子もなく挨拶してきた。

「あっ、こんにちは」

「こんにちは。さっきのって」

「さっきの?」

「子どもたちに硬貨を上げてたの見てたんですけど、慈善事業的なやつですか?」

「ああ、お恥ずかしいですね。そんな大層なものではないですよ。ただ、あまりにも暮らしに困ってそうだったので」

「立派ですね」

「立派に……なれてますかね」

 彼女はうつむきがちに答える。

「路地裏を歩いてるのはそうやって、子どもたちに施しをするためですか?」

「まぁ、それもあります。あとは、近道、とかですかね」

「あっ、では。呼び止めてしまってすいません」

「いいんですよ。今はもう用事を済ませた後なので。あなたはなぜこんなところに? 見たところ旅の方のようですが」

 ふむ。なんて答えようか。さすがに、あなたを追って来たっていうのは、変だよな。

 そうでなくとも、知らない女子に路地裏で話しかけるのも充分あれじゃと思うぞ。

 うるさいハック。

「えと、ちょっと道に迷ってしまって、この町に来るのは初めてなもので」

「そうでしたか。どちらへ?」

「ここにあるものを全部買わないといけないんですけど」

 コランからもらったメモを見せる。我ながら不用心な気もするが、まぁ大丈夫だろう。いい人そうだし。

「いっぱいありますねー。良ければ案内しましょうか?」

「ほんとに、いいんですか? 願ったりかなったりですけど」

「はい。困ってる人を助けるのは当たり前です。だいぶ時間かかると思うので、お話しながらゆっくりいきましょう。私はアイロンと言います」

「僕はキャニーです。よろしくお願いします」

 いやー、本当にいい人そうだ。さっきまでいた、邪知暴虐の暴風ツインテールに比べるのもおこがましい、控えめで、親切な人だ。汚れた路地裏での出会いというのも、返って彼女の清廉さを強調しているような。

 はぁ。調子の良いやつじゃな。

 何か聞こえた気がするけど、きっと僕だけに聞こえる幻聴のたぐいだろう。気にしない気にしない。

「最初は、これは大通りのあの店ですかね。あはは、そういえば、私も実は昨日ここについたばかりで、そこまで詳しくないんですけどね。でも、大丈夫です。旅の人が行きそうなお店は大体把握しておりますので」

 腕をぐっと曲げるアイロン。この町の人じゃないんだというのを聞いて、おいおい大丈夫かと思う気持ちが半分、ここでやっぱり遠慮しますとは言えないというのが半分。

「へー。アイロンさんは旅慣れてるんですね」

「ええ。これでも、いくつもの国を渡ってお仕事をしておりますので」

 なんかすごそう。きっと仕事もできるんだろうなぁ。

 路地裏を出て、いくつか通りを過ぎて、大通りに出る。ああ、たしかにこの通りなら色々なものが買えそうだ。いくつかお店の前を通りつつ、目当てのものが買えそうな店……の前も通り過ぎる。あれ?

「アイロンさん?」

「はい、なんでしょう」

「このお店は駄目なんですか?」

「あっ、あー! ここですここ。ここです。ここで間違いないです。私の記憶だともうちょっと向こうだったんですけどね」

「ここなんですね」

「嫌ですね。ちょくちょくドジやらかすんですよ」

「ドジだなんて。このくらい。案内を頼んでる身で、ケチなんてつけられないですよ。ありがとうございます」

「え、いえいえ。じゃあ入りましょうか」

 買い物自体は特につつがなく終わり、次の店へと向かう。途中、アイロンさんが荷物持ちも申し出てくれたけど、さすがにそこまでは申し訳ないので断った。

「次は、別の通りですかねー」

「案内おねがいします」

 流石に二軒連続間違えるということはなく、そのまま三軒目、四軒目とつぎつぎ買い物リストを消化していく。というかこれかなり多いな。暴風ツインテールめ、さては、オペラの身の回りのもの以外全部僕に押し付けてるな。後で覚えてろよ。

 とかいいつつ、お主は何もできんのじゃろ。

 あーあー幻聴幻聴。

 とにかく、次でラストかな。流石に荷物が重くなってきたので、これ以上増えるときついが、まぁ宿屋までならなんとかなるでしょう。

「多分、次の店で全部ですね」

「おっ、いよいよですね。なんだか名残惜しいです」

 合計五時間程度といったところだろうか。いつのまにか空がオレンジ色に変わりつつある。帰宅途中の人たちで、人通りが若干増えている。

「あのー、ちょっと道を聞きたいんですが」

 最後の店へ向かう途中、道の真ん中でウロウロしていた通行人Aが話しかけてくる。アイロンから親切人オーラが漏れ出ていたのか、他に話しかけられそうな人がいなかったのか。

 当然、アイロンは答える。

「はい。どちらへ行きたいんですか?」

「冒険者組合の方に」

「冒険者組合なら、ここを真っすぐ行って──」

「なるほど、あの通りですか。ありがとうございました」

「いえいえ」

 通行人Aが去っていく。流石に、僕に道案内している途中なので、新たに来た人の方について行くというのはなさそうだった。

「でも、なんでそんなに親切にするんです?」

 その疑問が出たのは、多分僕が親切なやつじゃないから。そして、思いついた疑問をそのまま口にしてしまうバカだったから。

「人に親切にしたら、良い人になれると思うんです」

「それにしたって、浮浪児に施しをするとか、なんなら僕みたいな怪しいやつの買い物に付き合う必要なんて」

「でも、あなたはもう、怪しい人じゃないでしょ? 名前も知ってます」

「いやそうですけど」

「私みたいなのはね。良い人にならないといけないんです」

「ずっとそんな気持ちでいたら疲れません? ちょっとくらいサボったって、誰も叱ったりしませんよ」

「そんなことないですよ。神様は見ています」

「神様?」

「ええ、神様です。この世界の外にいて、この世界のすべてを知ることができるお方」

「そんなのって、おとぎ話と言うか。言葉のあや的な……」

「いえいえいますとも! 神の使いという方に出会いました。その方は私を受け入れ、力と知識を分け与えてくれました」

「へ、へー」

 やばい。うさんくさい。どうしよう。アイロンの目が若干の熱を帯びて、世界の真実を語るような、迫真さが伝わってくる。逃げたい。ここまでお世話になって言うことではないが、ヤバい人だ。

「神様は分け与えることを人々に求めます。それが減ることのないものならなおさら。特に私たちの神様は、知識の共有を一番に求めます。だって、知識はいくら人に教えても減らないんですから。神様は本当に知識は平等であるべきだと、そして、神様が私に色々なものをくれたように、私は、色々なものを人に分け与えられるようになりたいと思うんです。神様の目はいたるところに根を張っています。私の魂がもし、分け与えない、見窄みすぼらしいものになってしまったとしたら、神様はそれを見ています。だから、親切にしないといけないんです。じゃないと、神様は私を見捨ててしまうから」

 神様というワードが出てから、堰を切ったかのように、どんどん言葉が溢れてくる。正直最初の一、二文で僕のキャパはオーバーしているのだが。立て続けに浴びせられる言葉のせいか、僕は余計なことを口走る。

「そんな、人を見捨てるような神はいなくても良いんじゃないですか。人を試すような神はいらない」

「何をおっしゃるのですか。あなたも神様に会えば分かります。なんならこの後、会いに行きましょう」

 彼女の手が僕の手首をつかみ、痛いくらいに強く握る。だから僕も、乱暴にその手を振り払う。

「会いません。そんな胡散臭い人とは。神なんているもんか」

「なんでそんなこと!」

 頬に衝撃を受ける。彼女の感情の激しさが、僕の頬に赤い跡を刻んだ。

 走って去っていく彼女の背に、僕は小声で、道案内ありがとうございましたと言った。

 はー、これだから神だの宗教だのは嫌じゃのう、なんて声が僕だけに聞こえた。

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