02─むかつくヤツ その2
さて、そうと決まれば善は急げと、翌朝起きて飛び起きて、なんなら飛んでいける気がするとかそんな調子乗った気持ちは、獣の呼吸音に霧散する。
おい。起きろ。
薄く目を開く。あたりは真っ暗で、じっくり観察しないとほんとに何も分からない。これ山の中なんだよね。怖。旅立ちの朝はどこ?
そんなことを言ってる場合じゃないぞ。体をよこせ。いいか、絶対に騒ぐなよ。
ハックが、頭の中でささやいている。ん? 今僕の中にいるのか。
いつまで寝ぼけとるんじゃ。でかい熊がそこにいて、今から儂が一刀両断にするから絶対に邪魔するんじゃないぞ。
そう言って、ハック(僕の体)はゆっくりゆっくり、隣に置いていた刀に手をのばす。
カチャ。
「ぐおっ」
刀を掴んだときの音に熊? が反応する。
全身に力が入る。
詠唱。
体が跳ねる。
体高二メートルくらいのそれの前に踏み込む。
足を思い切り地面に押し付けると同時に、右手は刀を握る。
詠唱が連なる。詠唱が音となり意味を持つ瞬間に、それは魔術に変わっていく。
自分の体がまるで自分の体じゃないみたいに、ダイナミックに動くさまを、水の中で浮かんでる気持ちで眺める。
一太刀。皮が裂け肉を絶ち、骨にそって振り抜く。
飛び散った血が自らにかかる前に移動する。
獲物が痛みに呻くより早く二太刀目。
僕にはもうどこを切ってるのか分からない。プチプチとした感触が一瞬よぎる。
詠唱は続く。
僕の中のハックは淡々と、決められたルーチンを辿るように、魔術を発動させては刀を振る。肉を切り分けるのとは全然違うような似ているような感触だけ感じる。
暗さに慣れた目とはいえ、血は見えない。今目の前で切り刻まれている獣の表情も分からない。
暗闇の中うっすら見える情報から、その動物が大爪と呼ばれる熊であることが確信できた頃には、それは息を止めていた。
「ふぅ。やっと死んだかの。やっぱりでかい獲物はタフじゃて」
ハックは焚き火に火を入れる。
不安定に揺れる炎に照らされて、ハックが仕留めた熊の全体が見えるようになる。体のいたるところから血が流れているが、手足や肉が吹き飛んでいる様子はない。ただ、いくつかの場所の皮が剥がれかかって、きれいな色の肉が見えている。
「お主、確か大ぶりのナイフがリュックの中にあったよな?」
「え? ああ」
今しがた死んだばかりの大型哺乳類から視線を移し、ナイフを取り出す。
「それで? どうするんだ?」
捌くんじゃ。
ハックはまたいつの間にか僕の体の中に入り、僕の体でナイフを振るう。
できるだけ丁寧にやるから、手順を覚えるんじゃぞ。
え、あー。僕は料理が苦手なんだが。ましてや熊の解体なんて。
うるさい。肉を得るためには獲物を仕留めて捌かなくてはならん。この先も旅を続けるなら必須スキルじゃ。覚えろ。
どうやら僕に拒否権はないようで、そして、僕の体はまるでハックのものだと言わんばかりに、せっせと肉の解体作業をはじめる。
グロい。ガチでグロい。
できるだけ見たくないが、まぶたの主導権も取られているみたいで、否応なく視界に入ってくる。せめてもの抵抗と、できるだけ詳細を理解しないように……なんか別のことでも考えようかな。
脳内エイトクイーン問題とかやろう。あれ、頭の中だけでやるのすごい難しいよなぁ。
おい。余計なこと考えるな。必要なときになって儂に泣きついても遅いぞ。
皮が剥がれ骨が見える。肉を捌く感覚が絶えず手に腕に伝わっている。
今僕は命をさばいているんだなぁと思いながら、現実を直視したりしなかったりしていると、目の前にはこんがり焼けた肉が出現していた。味付けは塩コショウのみ。
朝日も出ている。
そして、朝日が出て三十分くらいした頃だろうか、オペラが静かに起き上がる。
「あ、お肉だー」
笑顔で焚き火で焼かれる肉を見つめる。ちなみに同じ視界に熊の頭なり骨なりもあったと思うが、それはまったく気にしていないようだった。山奥育ちめ。
「儂が仕留めた熊肉じゃ」
そう言ってハックがない胸を張る。褒めろ褒めろと言わんばかりである。
「えっ。おばあちゃんすごーい! いただきます」
「こら、おばあちゃんって言うな! そして勝手にいただくな。まだやるとは言ってないじゃろうが」
「でも、こんにゃにたへれないえしょ」
オペラの頬がリスみたいに膨らんでいる。
僕も熊肉をひとかじりする。かなり固いけど意外といけるな。
「いやー、でもハックのおかげで、食糧問題は解決しそうだよ」
「あほか。なんで儂だよりなんじゃ。魔術を使うのもタダじゃないし、都合よく獲物がいるわけでもないんじゃぞ」
「でもハックは僕の魔導書なんでしょ」
「はぁ」
ハックが呆れたような表情でこちらを見る。
「そうだよ。おばあちゃんは魔導書なんだから。人に使われるのが仕事でしょ」
その魔導書を回収しなきゃいけないのがオペラ、君なんだけどな。この子かなり図太いな。もしかして僕なしでも勝手に一人で助かるんじゃないか。
「まぁ、それはそれとして、森でなんでもかんでも手に入るわけじゃないよな。山を越えたら街に入らないといけないわけで。どうなんだろう。そういえば、オペラの追っ手? って何人くらいなんだ?」
「二人だよ!」
「二人? そんなバカな。なんか組織的なやつなんだろう? もっといっぱい人がいるんじゃないのか」
「知らない。私が会ったのは二人だよ」
うーん。二人だけ? まぁいいか、とりあえず、今のところ追いつかれてないってのが重要だな。
「なぁハック。ハックって、僕ら以外には見えないわけだろ? ちょっと飛んでいって追手がいないかとか、僕が指名手配されてないか見てきてくれよ」
「はぁ。いいように使おうとしおって。無理じゃぞ、儂はお主の近くから離れられないようになっとる」
「なんで?!」
「なんでも何も、儂はお主とお主の刀を媒体にしてここにいるわけじゃからなぁ。というかこうしてオペラに見えてるのがおかしいのであって、本来はお主のイマジナリーフレンド的な感じの存在なんじゃ」
イマジナリーフレンドだって?! そんな、僕は巫女服少女をほしいなんて望んでいない。濡れ衣だ。
いやそれはどうでもいい。
器用に顔の部分だけ僕の耳にめり込んでささやく。
「まぁ、追手が来るかどうかという話じゃが、そればかりは祈るしかなかろう。あんまり気にしても無駄じゃ。それに、堂々と人ごみに紛れていれば案外分からんぞ」
ふあーっと、イマジナリーフレンドにしては生々しくあくびをする。
「さて、眠くなってきたから儂はちょっと寝る。しばらく起きぬから、ちゃんと肉と焚き火の片付けをして移動するんじゃぞ」
そう言ってハックは霧が晴れるみたいに、消える。
明日には街に入れるかな。
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