02─むかつくヤツ その1

 太陽が少し傾きはじめているころ。

 僕は川から水筒に水を汲んでいた。

「んー」

「おはよう」

 オペラが目を覚まして、目をこすりながらこっちにテトテトと近づいてくる。

「えっと、あー。ん? あぁ! 駄目なんだよ。川の水直接飲んだら。沸騰させてから飲まないといけないんだよ」

「大丈夫大丈夫。ここの水は結構きれいだし、浄水フィルターがあるから」

 そういって、水筒の口の部分をオペラに見せる。

「うへぇ。これ全部呪文じゅもん?」

「うん、水を安全にする魔術具。二十回くらい使える。これがあれば当分水には困らない」

「へー」

 何か思うところがあるのか、オペラは水筒をじっと見ている。水筒をオペラに渡すと、水筒の四分の一くらいをごくごくと飲み干したので、もう一度水を汲みなおす。

 ちなみに浄水の呪文は水筒の壁の部分に書かれているので、壁に触れないように、水筒の中央付近に水を注ぐと浄水がうまくかからないときがある。あと、同じ縁ばかり使っていると、そこの部分の呪文コードばかりすり減ってしまう。

 水筒一杯に水を入れて蓋をきっちりと閉める。これで明日までつかな。

 河原にある座るのにちょうどいい大きさの岩の上に座って、リュックの中を漁る。漬物と、パサパサのパン、干からびたベーコンが出てくる。三食分くらいだろうか。

 ベーコン炙りたいな。薪を集めて火を起こさないと。マッチが湿気って無いといいけど。

「オペラ、木の枝を集めに行こう。焚き火をするんだ」

「ふぁい」

 さっきの河原からあまり離れない範囲で、いい感じの木の枝を二人で広い集める。途中、杖にちょうどいい枝を拾ったけど、無言でオペラに譲った。オペラも無言で受け取った。

 オペラの方も焚き火をしたことがあったみたいで、何も言わなくてもいい感じに乾いた枝を集めてくれる。

 さーて。火起こしなんて、はるか昔のキャンプでやったきりだな。マッチでつくといいけど。マッチ箱には十数本ほどマッチが入っている。

 一本目、あれ、そもそもマッチに火がつかない。二本目、マッチには火がついたけど、枝の表面を焦がすだけで、火は燃え移らない。三本目、二本目と同様。四本目、以下略。

「ねぇ、まだ?」

 三角座りで、ジト目でこちらを見るオペラ。ぐ~、ぐ~。オペラの腹も不服の声を上げている。

「おかしいなぁ。昔はこれで火がついたんだよ」

 おぼろげな記憶を思い起こす。かなり思い出補正がかかっているかも? いや違う、なぜか僕だけ一人班で先生にやってもらったんだった。ちくしょう。膝をついて打ちひしがれる。まさかこんなところに試練が潜んでいるなんて。

「お主。わしに、おまかせじゃ」

 河原の岩の上で、巫女服の少女が片足立ちしていた。

「あっ、ハック。今までどこに行ってたんだよ」

「どこもなにも、ずっといっしょにいたが……ただ、出てくるきっかけが無かっただけじゃの」

 とうっ。と軽やかに飛ぶ。多分ハックは霊体的なやつだろうから質量はない。

 飛んだ勢いのまま、僕をすり抜けるように、僕の中に入ってくる。僕は大人しく身体をハックに譲る。

 何語かも分からない奇っ怪な音声が僕の口から漏れ出る。音波は空気を伝わって、魔術へと姿を変えた。目の前の枝の山が赤く染まる。

「ほら、ついたぞ」

 僕の体から出たハックが言った。

「ありがとう。今後もおねがいします」

「はぁ、なんだか頼りないなぁ。それって、非常用リュックなんじゃよな。そんな状態で、もしものときはどうするつもりだったんじゃ?」

「それは、まぁ。そのとき考えるよ」

 そんな頻繁に非常用リュックをメンテナンスできるわけないじゃないか。

「そんなことより、ほら。ご飯食べよう」

 焚き火でベーコンを炙って、パンに挟んでオペラに渡す。お腹いっぱいって量じゃないけど、当面は仕方ない。

 近くの街に寄ったら携帯食料を調達しないといけないなぁ。もそもそと口を動かしながら岩の上に体を倒す。薄っすらと星が見える。視界の端の方、空の隅っこに紫だの緑だのが滲んでいる。

 こうして逃げ出してしまったけれど、これからどうするか。とにかく遠くへ行こうとは思うけれど。今頃指名手配とかされてるんだろうか。捜査網とか敷かれたりしてるんだろうか。

 森は静かで、動物の気配が遠くにあるだけだ。

「そうだ」

 僕は体を起こしてオペラを見る。

「オペラについて聞きたいことが色々あるんだよ。なんで魔導書を狙っていたのかとか、オペラの声のこととか、というかそもそも、僕に付いてきて良かったのかとか」

 オペラは黙々とパンにかじりついている。僕の声が聞こえてないみたいな、マイペースな咀嚼のあとに口を開いた。

「お母さんが。お母さんと会うために魔導書がいるの」

「魔導書を取ってくれば、お母さんに会わせてくれるって?」

「一冊じゃだめだって、いっぱい頑張らないといけないって言ってた」

「酷いやつだな」

「うん。でも、本ない」

「僕が本を開けちゃったからね」

「本返して」

「僕も盗んでおいた身でおこがましいけども、でも、これは君のものじゃない。歴史的に価値のある資料、だったんだよ。すごく貴重で、国が管理していて、普段は国の管理する宝物庫で保管されてるようなものなんだよ」

 そうだよ。そうなんだよな。そんなものを僕は盗んでしまったんだよなぁ。はぁ。

「どうしよう」

 どっちが口にしたのか分からない。こんな年端もいかない少女を前に、情けない感じを出すといけないので、僕じゃないことにしよう。

「それで、オペラは元々どこに住んでいたのかな。ほら、僕はこんなだから……警備隊に君を預けるってのは……ちょっと遠慮したいんだよね」

「警備隊……」

「そう。だからさ、えーと、オペラの故郷へ行こう。そしたら、お母さんとも会えるよね」

 変なことを言っている気がするが。逃げ出した手前、すごすごと帰れないし、オペラを放り出すのも嫌だし。それに、何かすごいことが起こる予感がするんだ。

「うん。帰りたい。お母さんに会いたい」

 となると、まずはオペラの故郷の場所を知らなきゃ。

「なぁ、オペラはいったいどこから来たんだ? なんて場所に住んでたんだ?」

「スピム村だよ」

「聞いたことないなぁ」

 外国から来たのかな。

「スピム村? ってどんな場所だったの?」

「山ばっか。あと川もあった」

 何も分からん。まぁ、逃げるって意味では国外も悪くないな。行ったこと無いからどうなるか分からないけど。

「なぁ、お主。オペラの耳、尖ってないか?」

「えっ。尖ってる?」

 ハックはいつの間にかオペラの横に立っていて、耳を注視していた。

 確かに、オペラの耳は髪から横にはみ出すくらいに、尖っていた。まるで、伝承に残されている種族のような。

 あーまてよ。確か学院にいたころに師匠のノートになんかあった気が。

「あ!」

 あれだあれ。あれだよあれ。何も覚えてない!

 でも、確かフィールドノートの断片が、どっかにあったはず。

 リュックの中を探ると、何枚も地図が出てくる。懐かしいなー。昔せっせと師匠のやつを写したんだよな。

 十枚くらい大小色々な地図を取り出して、その中でスピムと書かれた場所が無いか探す。地図に書かれた文字は、なんちゃって筆記体みたいに乱れていて読解が難しかったが、目的の地名が、たしかにあった。

「あった、見つけた。あったよオペラ! 家に帰ろう!」

 勢い余って口走る。もちろん僕は家に帰らない。家に帰るのはオペラだ。

 足取り軽く、素早く地図をオペラの目の前に差し出す。

「ほらここ。オペラの故郷。ここでしょ?」

 付近に大きな街はない。その地名はどう見ても四方を山に囲まれた未開の地を指していたが、オペラの耳の特徴も合わせて考えると多分間違いない。まさか現代まで生き残っていたなんて。ここは多分公式には存在しない村なんだろう。

 ハックといいオペラといい、短期間で二つの伝説に出会ってしまった。これはいよいよ神さまの思し召しなんじゃなかろうか。

 ああ任されましたよ神様。この子は必ず私が村まで送り届けます。

 なんて。信じてもいない神様に思いながら、なぞの使命感に燃え上がった。

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