第五場

 体の中心は一本のまま、やや低めのプリエ。重心を右に、横に跳んでグリッサード足を後ろに伸ばしアラベスク踏み切ってジャンプグラン・ジュテ

「軸がブレてるなんて言わせない」

 彼が姿を現さなくなっても、ここは彼女の稽古場だった。

 彼が姿を現さなくなったら、たった一人の稽古場だった。

 チャンスはなかなか巡ってこない。

「募集要項、最低一六〇センチ以上」

「過去の女性プリンシパルの平均、一六五センチ」

「舞台下に立つ演出があるので、背丈があった方が望ましい」

 高らかに読み上げる声に滲み出す苦渋の叫び。だがそれもすぐに分からなくなる。

 演技者ってのはそうでなくてはいけないのだ。

 客が桜だけであろうと、泣きたいナツはここには不在。

 ほら、またやっている。コーラス、群舞、立ち回り。ピン・スポット一人への照明が当たらなくても、舞台の一人になろうとしたのさ。

 この桜も、春が過ぎたら青葉になり、夏が去ったら寒さに身構え、秋が去ったら葉を散らし、木枯らしの下で春を待つ。

 花びらの中で幹に背を当てても、残念、新しい線は引きたくても引けない。ただし! 自分に線は引きたくないのさ。引かれたら無視して飛び越えたろうね。

 ほら、今年も彼女は止まっちゃいない。ソロ・ナンバー、台詞回し、パントマイム。ロミオに釣り合うジュリエットを遠巻きに見ていたって、物語を生きるのはカップルだけじゃあないだろう?

 お話の世界には数多あまたの人生物語。ほら居る。センターにとどまらず、舞台の端から端まで駆け回っても、ピン・スポットに追われる役が。

 ここの桜も見ていたからね。春が過ぎたら青葉になり、夏が去ったら寒さに身構え、秋が去ったら葉を散らし、木枯らしの下で春を待つ。そして——

 覚えていらっしゃるだろうか。あの降りしきる淡い桃色の吹雪に包まれて、高く上向いた彼女の視線が見ていたのは絢爛の春じゃない。

 可憐な花びらの向こうに彼女が見たのは——

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