15:Re:13:セックスしないと死ぬ部屋――だった部屋

「ちょっと待て。おかしい、何かがおかしい」


「……なぁに?」


 ふわふわに恍惚とした感情に支配されていた脳みそが、次第に冷静になっていく。

 ピンク色の景色が、一気に現実の色に戻る。

 突然、態度を一変させた俺に、不満げな表情をして見せるトモコちゃんは確かに魅力的だが、今はもう、素直に性欲に溺れることができない。

 この疑問は、直ちに解決しなきゃならないものだ。

 後回しにして、目の前の快楽に酔いしれてしまえば……必ず致命的な事態に陥る。そんな気がする。


 張り紙のルール説明に、失格者への言及が為されていないことに違和感を隠せない。

 失格者という定義は、俺の精神力がペラ紙レベルだから、急遽設定したルールだとしよう。

 運営が特例で作った制度だとしよう。


 だからといって、運営の発言は、まるで「この女とセックスしろ」と言わんばかりにあからさまな誘導だったと思う。

 その理由は……俺をハメるため。

 この『セックスしないと出られない部屋』における絶対条件が、あくまでも、扉に貼られていた『ルール』を厳守するものだとしたら、俺とトモコちゃんがセックスしたら……みんな、死ぬ。


 ……え、これ、かなり際どいところだったんじゃないか?

 考えれば考えるほど……俺、かなりのファインプレーじゃないか!?

 やべえええ! あぶねえええ!


「ねえ、テルヒコ……どうしたの? シようよぉ」


「ごめん! トモコちゃん俺、すげえ発見しちゃった! 端的に言うと……」


 一世一代の発見に胸躍らせて、それがついつい嬉しくて、トモコちゃんにすぐさまそれを伝えようとした――。

 しかし、俺の口は、そこから先の言葉を、寸前で紡ぐのを止めた。


「……え? なに?」


 ちょっとイラついた様子の彼女に、俺はまだ何も話せない。

 アハ体験に脳汁が溢れ出し、興奮冷めやらぬままトモコちゃんに状況の説明をした場合……。

 運営の魂胆を見透かした場合……どうなる?


 トモコちゃんは運営にとって、使える駒だった。だからデスゲームに負けても生かされた。

 その駒が使えないと判断したなら……運営はどう動く?


 今度こそトモコちゃんを殺すんじゃないか――?

 ただの憶測だが、これを否定する要素がどこにもない。


「あ、いや、すげえ発見……したん、だけど……」


 言えない。言えるわけがない。

 これに気付いてしまったことは、誰にも言ってはいけない。

 かといって、セックスしなければ、どのみちトモコちゃんは死ぬ……?


「ねえ、しないの? 私とじゃ、セックスできない……?」


「ち、ちがう! トモコちゃんはすごい魅力的だし、めちゃくちゃセックスしたい! マジで! だけどほら……すごい発見……そう、ほら……」


「……?」


 くっそ! 何か、何か良い言い訳ってないか!?

 トモコちゃんとセックスしなくても、トモコちゃんが死なない方法……! 何がある!? どうする!?

 わかんねえ……でも、この状況を切り抜けるには……!



 ひ、ひとまず!

 アレしかねえ!


 本当にごめん! トモコちゃんマジでごめん!




「……ごめん。臭せぇ。三日風呂入ってない女の子って、独特な臭いすんのな。ちょっと勃たんわ」




「は?」


 トモコちゃんの目が、まるで獰猛なネコ科のそれのように細まり、そしてあまりにも動物的な声をあげて俺をひっぱたくのだった。


「いでえっ!」


「は? は? はあ?」


 パァン! と小気味良い破裂音が耳元で響く。痛みに頬を抑えると、すかさず反対の頬もひっぱたかれた。両頬を押さえると、顔面の正中線上を、四本の爪が縦に切り裂いた。

 痛い! 痛い! ヒリヒリする!


「え? マジで何言ってんの? この状況で、風呂が無くて辛れぇのは、うちらなんだけど? え? は? なんなん? 男ってなんなんマジで? キスした時のおめーの口もくせぇけどなあ!?」


 追い詰められて、俺はパーテーションの外に逃げた。

 床をダンダンと踏みしめ、怒り心頭に恨み言を繰り返すトモコちゃん。誰もが戦慄した。俺も、恐怖に、鳥肌が立った。


 セックスしてると思われてた二人が、なぜか喧嘩してて、何よりトモコちゃんがブチギレて怒りに震えながら俺を絶えず罵倒する。

 それを見た女子たちが、ひそひそと話す声を聞いた。


 何をしでかした?

 この男、なんでセックスする前に女の子をキレさせてんだ?

 もしかして童貞?

 うそ、勃たなかったんじゃない?

 やだ、なさけない……。

 その言い訳を相手のせいにしたんじゃない?

 ヤバ……! 最低じゃん……。 


 ガクガクと足が笑う。こんな、恐ろしいことが、あっていいのか。下手に否定も出来ないのが辛い。

 彼女たちに、俺はなにも言い返せない。


 トモコちゃんが、叫び疲れて大きな息を吐いて、俺を見る。

 憎悪の眼差しが、心臓に突き刺さる。


「死ねっ!」


 そう言い残して……トモコちゃんは、パーテーションの奥にまた引きこもってしまった。何人かが彼女を慰めについていった。間もなくみんなはそこで起きた、俺の悪行の全てを知るだろう。

 しんと静まり返る体育館。

 みんなの視線が、最大級に痛い。


 この時ほど、運営からの臨時アナウンスがきてほっと胸をなでおろすことはなかっただろう。


『これは緊急放送です。現在、この【セックスしないと出られない部屋】に風呂場がないという苦情をいただいております。このままではこの部屋の本題から逸脱した事態になりかねないため、緊急メンテナンスを行います。皆様には大変ご迷惑をおかけしました。今後もよりよい【セックスしないと出られない部屋】のご利用をよろしくお願いいたします』


 感情のカケラもない電子音が響く。

 緊急メンテナンスってなんだ。風呂場をつくってくれるってことか。

 それってこの部屋が一時でも解放されるってことか!? もしかして、抜け出すチャンス……?


『なお、本苦情は渡辺テルヒコくんより承りました。――音源はこちらです』


「へ?」


 唐突に、スピーカーから流れる俺の声。


『……ごめん。臭せぇ。三日風呂入ってない女の子って、独特な臭いすんのな。ちょっと勃たんわ』


 ぞわっと背筋が凍った。

 な、に、を……!!!

 ふざけるな! お前ら、な……なんてことを……!?


 女子が一斉にこちらを向く。

 皆、獰猛なネコ科のそれと酷似した目つきで……。


「ああああああああああああ!!! うわあああああああああああああ!!! 出てこい!!! お前ええええ! ぶっ殺してやる!!! ぶっ殺してやる!!!!! うわあああああああああ!!!」


『あっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっはっっはっは』


 俺の悲鳴と、機械音の耳障りな笑い声と、女の子たちの怒号が……空間を延々と鳴り響いた。

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