現在② 理不尽な悪意に鮎美爆発す。
アリスと鮎美が公園へ入ろうとした時、中から子供達の歓声が聞こえてきました。その楽しそうな声に、反射的に二人が目をやると、そこに信じられない光景を目撃したのです。一人の小さな女の子に対して、数人の男の子が石を投げつけていたのです。女の子は泣きながら「やめて!やめて!」と叫び、逃げ惑っています。
それを見て、鮎美は「あぁっ!!」と驚きの声を上げましたが、アリスは単に眉をひそめただけでした。
「どこかのバカな子供が、バカな事やってるよ。まったくしょうがないねぇ。ねえ鮎美・・・?鮎美!?」
隣にいた鮎美が急に走り出したので、アリスは驚いてその姿を目で追う事しか出来ませんでした。その鮎美は、まっすぐ女の子に向かって走って行きます。アリスは、鮎美が何をしようとしているのか、全く分かりませんでした。
鮎美は女の子を抱き締めると、何と、自分の身を盾にして、飛んでくる石から女の子を庇ったのです!
石は鮎美の背中や頭に当たり、その痛みに、彼女は顔をしかめました。それでも、鮎美は涙に濡れた女の子の顔を見ると、にっこり笑って、
「痛かったでしょう。大丈夫?」
と語りかけました。女の子は呆然としていましたが、やがて「うん」とうなずきます。
鮎美は再び微笑むと、次に、石を投げていた子供達に厳しい目を向けました。子供達は、いきなり乱入してきた鮎美に驚いているようです。
「何でこんなひどい事するの!?やめなさい!!」
鮎美は、子供達の行為に対してよほど怒りを覚えたのか、大きな声で怒鳴りました。しかし、子供達は謝るどころか、そんな鮎美を嘲笑います。
「何だこいつ、バッカじゃねえの?」
「おれ知ってる。こういうヤツを偽善者って言うんだぜ」
「やーい、偽善者、偽善者~!」
「あ、あなた達・・・」
子供達の言葉を聞き、鮎美は愕然としました。
「おい!こいつにもぶつけてやろうぜ!」
「さんせ~!」
子供達は石を拾い上げると、鮎美に狙いを定めます。
「や、やめなさい!」
鮎美は女の子を再びかばうと、ギュッと目を閉じました。
「せ~ので行くぞ!」
「せ~の!」
子供達が石を投げようとした正にその時、
「おい、お前ら・・・」
背後から、声がしました。
「その石を、どうするつもりだい・・・?」
子供達はその声を聞いて、動きを止めました。いえ、正確には動けなくなってしまいました。何故ならその声は、まるで地の底から、あるいは暗い洞窟の中から響いてくるような、とても恐ろしい声だったからです。
「まさか・・・私の鮎美に、ぶつけるつもりじゃぁないだろうねぇ・・・?」
生まれて初めて聞くその恐ろしい声に、子供達は恐怖を感じ、逃げる事も、叫ぶ事もできません。ただ、金縛りにかかったかのように、石を持った手を振り上げたまま、その場に立ち尽くすのみでした。
声の主はアリスでした。彼女もまた、子供達に対して怒りを覚えていました。しかし、それは幼い女の子をいじめていた事にではなく、最愛の少女、鮎美の身も心も、傷付けようとした行為に対してです。
アリスから、目には見えない『炎』が噴き出し、激しく渦を巻きました。その『炎』は子供達を包み込み、彼等にさらなる恐怖を与えます。その『炎』こそ、『殺気』と呼ばれるものでした。
「さてと、どいつからお仕置きしてやろうか・・・?」
アリスはそう言うと、おそらくはリーダー格と思われる男の子―小学生なのに、髪を茶色に染めています―の肩に手を置きました。その男の子は、恐怖にガタガタと震えているようでしたが、アリスはそれにかまわず、無理やり自分へと振り向かせます。
真っ青な顔をした男の子は、アリスの、美しくも凄絶な顔を目にする事になりました。
アリスの金色の瞳は光を放ち、銀色の髪は逆立っているかのようです。そして、その顔には狂気の笑みが浮かんでいました。
男の子の顔から、さらに血の気が引いていくのが分かりましたが、アリスはその様子を見ても、哀れみを覚えるどころか、ますます怒りの炎を燃え立たせました。
「弱い相手には、いくらでも強くなれるくせに、強い相手には手も足も出ないのかい?情けないわねぇ。お前みたいなヤツを一人知っていたけど、そいつは、悲惨な最期を遂げたっけねぇ・・・」
それは礼香の事なのですが、もちろん男の子は知るよしもありませんし、もはや、アリスの声も耳に届いていないようです。
そして、アリスがさらに男の子を責め立てようと口を開きかけたその時、
「アッちゃん!やめて!!」
鮎美が叫びました。アリスが目を向けると、女の子を抱き締めたままの鮎美が、とても悲しげな表情でこちらを見ています。
「それ以上、その子達を責めないで!私は、私は大丈夫・・・。平気だよ・・・」
最愛の少女からの必死の訴えに、アリスは小さくため息をつくと、
(まったく、この娘には敵わないわね)
心の中でつぶやき、苦笑を浮かべました。次にアリスは、一転して子供達に冷たい視線を向けます。
「あの可愛いお姉ちゃんに感謝しなよ。お姉ちゃんが止めてくれなかったら、お前らはどうなっていたか・・・」
そして、怯える子供達に、最後にドスのきいた声でこう言ったのです。
「消えな」
その途端、子供達は悲鳴を上げながら逃げていきました。それを見送るアリスは、
「フン!バッカみたい!!」
吐き捨てるように言うと、鮎美の元へ向かいました。
「鮎美、大丈夫!?」
しかし、その問いに鮎美は答えず、咎めるような視線をアリスに向けてきました。
「な、何よその目は・・・。人が心配してるっていうのに・・・」
「アッちゃん、今のはちょっとひどいんじゃない?確かにあの子達は、悪い事をしてたと思うよ。だけど、あんなに怖がらせる必要は無かったんじゃないの?」
「人をいじめるような奴らなんだから、遠慮はいらないって」
「またそんな事言ってぇ。暴力の連鎖は、誰かが止めなきゃダメなんだって、前にも言ったじゃな、イテテ・・・」
鮎美は急に顔をしかめると、手で頭を押さえました。石が当たった所が痛んだのです。
「ほら、ちょっと見せてみなよ。う~ん、血は出てないみたいね・・・」
アリスは鮎美の髪をかき分けて、痛む箇所を見てくれました。小さなコブになっていましたが、どうやら大丈夫のようです。
「全く、あんな無茶をするからよ」
「だってぇ、体が先に動いちゃったんだもん」
そう言うと、鮎美は照れたように「エヘヘ」と笑いました。しかし、鮎美が自分を盾にして女の子を庇った事に、アリスは少なからず怒っていました。
鮎美が心優しい事を、当然アリスは知っていますし、自身もまた、その優しさに救われたのも事実です。
でも、だからと言って見ず知らずの女の子を守るために、鮎美が傷付かなくても良いのではないかとアリスは思うのです。アリスは真剣な顔をして、鮎美にこう言いました。
「鮎美、この際だから言っておくけど、人を守るってとても難しい事なんだよ。自分の身も守れないような人間が、人を守れる訳ないじゃない」
「え・・・?」
「軽いケガで済んだから良かったけど、もし大ケガでもしたらどうするつもりだったのよ?」
「それは、そうだけど・・・」
鮎美は口ごもってしまいました。アリスの言葉にも、一理あると思ったからです。
「とにかく、これからは無茶な事しないでよね!あんたが他人の為に傷付く必要なんて、全然無いんだから!」
自分を憮然とした表情で見ているアリスを、鮎美は見つめ返しました。もちろん、鮎美には分かっています。アリスのきつい言葉の裏には、自分の身を案じる想いがあると言う事を。でも・・・。
「ねぇ、アッちゃん。強くないと、人を守っちゃいけないのかな・・・?」
「え?」
「弱いから、人がひどい目に遭っていても、見て見ぬふりをしないといけないのかな?」
そう訴える鮎美は、とても悲しそうな顔をしています。
「だったら、皆で力を合わせて、こんなひどい事を止めさせるべきなんじゃないの!?」
「鮎美・・・」
「だって、どう考えたっておかしいよ!どんな理由があったとしても、こんな小さな子を大勢でいじめるなんて・・・」
鮎美は、まだ泣いている女の子の頭を優しくなでながらそう言うと、次には、厳しい目をアリスに向けました。
「それに、アッちゃんこそ、強いんだからこの子を守ってくれれば良かったんだよ!それも、あんな風に怖がらせなくたって、もっと他に良い方法があったはずだよ!」
そう言われたアリスは、眉間にシワをよせると、吐き捨てるように言い返しました。
「何よそれ!?何で私がその子を守らなくちゃならないのよ!?確かに私はあのガキどもを追っ払いはしたけど、それはあんたを助けたかったからで、その子を助ける為じゃないんだからね!!」
「ア、アッちゃん・・・」
アリスのその言葉に、鮎美はショックを受けました。以前のアリスは、他人に対して全く無関心でした。でも、自分と仲良しになってからは、少しだけ良い方向に変わってくれたと思っていたのです。ですが、それは間違いだったようです。アリスは、自分には心を開いてくれましたが、相変わらず、他人には関心が無いのだと、今改めて思い知らされたのです。
その事実が、鮎美をさらに悲しませました。
「アッちゃん、あのね・・・。私はね、ただ、アッちゃんが他の人達と、仲良くなってもらいたいだけなんだよ・・・。さっきの子供達とも、学校の皆とも、友達になってほしいんだよ・・・。私がそう願うのは、いけない事なの?迷惑なだけなの・・・?」
鮎美は、アリスの両手を自分の手でぎゅうっと握りました。自分の願いを分かってほしい。そんな強い想いが、鮎美にそうさせたのです。
「鮎美・・・」
アリスもまた、鮎美のそんな様子を目の当たりにしたからでしょう、自分の発言に後悔していました。
しかし、大切でもない人間を守ったせいで、自分が何らかのリスクを背負うのは御免だとも思います。それなのに、鮎美に「守ってあげれば良いのに!」と言われたのには、さすがに面食らいました。
(私が大切なのは鮎美だけ。他の奴らなんて、どうなったって知るもんか!)
アリスと鮎美、お互いを大切に思っているはずの二人は、他人に対する考え方だけは、相容れない所があるのでした・・・。
気まずい空気がその場を支配し、その中で、アリスと鮎美は黙って見つめ合っています。そんな二人を、女の子は不安そうに見ていました。
その時です。
「ちょっとぉ、そこの二人ぃ!」
急に声をかけられて、アリスと鮎美、そして女の子は振り返りました。
声の主は派手な感じの若い女で、その顔は不機嫌そうな表情を浮かべています。その女の背後に隠れるようにしてついて来るのは、先程の茶髪の男の子でした。
「うちの子が何かしたぁ?」
どうやら、この二人は親子のようです。しかし、女はいかにも軽薄そうで、およそ母親と呼ぶには相応しくない印象を受けます。
「何ですか?」
そう答えたアリスも、不機嫌さでは女に負けてはいません。言葉使いこそ敬語でしたが、その態度には、年長者に対する礼儀など欠片も感じられませんでした(本当は、アリスの方がはるかに年上ですが)。
しかし、女はその事を気にした風も無く、
「何ですかぁじゃないわよぉ。うちのマナブが何かしたのかって聞いてんのよぉ?」
と、アリスではなく鮎美にそう言いました。小柄で、しかも涙ぐんでいる鮎美を見て侮ったのでしょう。現に、女の顔には明らかな侮蔑の色が浮かんでいます。母親の陰に隠れている息子のマナブはと言うと、相変わらず怯えているようでした。
鮎美は気を取り直すと、マナブが友達と一緒になって、女の子をいじめていた事を女に説明しました。
「こんな小さな子を、皆でいじめるなんてひどいです。お母さんからも、良く注意しておいてください」
鮎美の真剣な訴えを、しかし、女はすました顔で聞いています。
「あの・・・?」
「なぁにぃ?」
「ですから、お母さんからも良く言っておいてくれませんか?」
「言いたい事はそれだけぇ?」
「え!?えぇ・・・」
鮎美は、女の態度に戸惑いまがらもうなずきました。アリスはと言うと、そんな女の態度など予想していたのか、呆れたように二人のやり取りを見ています。
「それじゃぁ、こっちからも言わせてもらうけどぉ」
「何でしょうか・・・?」
「その子、さやかちゃんだっけぇ?さやかちゃんがいじめられるのってぇ、ある意味ぃ、仕方ないと思うんだけどぉ」
その言葉に、鮎美はもちろん、アリスも呆気に囚われました。
「し、仕方ないって、どうゆう意味ですか!?」
「さやかちゃんってぇ、ついこの間、お母さんを誰かに殺されちゃったのよねぇ」
さやかと呼ばれた女の子は、ビクッと身を震わせます。
「えぇ!?」
鮎美とアリスは、同時に驚きの声を上げ、思わず顔を見合わせました。
(あ!もしかして・・・)
二人は二週間前に起きた、ある殺人事件を思い出していました。若い主婦の変死体が、橋の上で発見された事件です。この事件の犯人と、潤を殺した犯人が同一犯なのではないかと言われているので、二人は良く覚えていました。
(それじゃこの子は、さやかちゃんはお母さんを亡くしたばかりなんだ・・・。だけど!!)
鮎美は、さやかを守るように抱き寄せると、女をキッと睨みつけました。
「その事件と、いじめられる事に何の関係があるんですか!?」
「さやかちゃんは、確かにかわいそうとは思うけどぉ、子供って何か理由を見付けては、いじめをするじゃなぁい?それって本能みたいなモノだから、仕方ないと思うのよねぇ」
(本能って、自分の子供が動物と同じだとでも言いたいのかしら?)
さすがのアリスも、この軽薄を絵に描いたような女の言い分には、呆れるのを通り越して、笑うしかありませんでした。
「ちょっとあんた、なに笑ってんのよぉ?」
「別にぃ」
女はアリスを短く睨みましたが、すぐに鮎美とさやかに目を移すと、より一層意地の悪い顔をしました。そして、
「いじめられるのが嫌ならぁ、今すぐどこかへ引っ越せば良いのよぉ」
と言い放ち、その言葉は鋭い刃となって、さやかの小さな胸に、深々と突き刺さりました。さやかは、ショックのあまり大粒の涙をポロポロと流しました。しかしその様子を、女はニヤニヤと笑って見ています。でも、マナブは何故か、辛そうな表情でさやかを見ていました。
「・・・それ、本気で言ってるんですか・・・?」
しばしの沈黙の後、鮎美は口を開きました。その声も、小柄な体も、小刻みに震えています。
(鮎美・・・)
最愛の少女のその姿に、アリスは鮎美が、本気で怒っているのだと分かりました。
鮎美は、泣きじゃくっているさやかを更に強く抱き締めると、ゆっくりと顔を上げました。その目には涙が浮かんでいましたが、それと同時に、怒りのために吊り上っています。
「なに泣いてるのよぉ。バカじゃな・・・」
「バカでけっこうです!少なくとも、あなたみたいに最低じゃありませんから!!」
鮎美の思いがけない言葉に、女はぎょっとしました。
「な、なんですってぇ!?」
「あなたは最低な母親だと言ったんです!!自分の子供が弱いものいじめをしているのに、それを謝るどころかもっとひどい事を言うなんて!!この子には何の罪も無いのに!!この子のお母さんにだって・・・」
そう言って、鮎美は涙をぬぐいました。その時ふと、こう思いました。
(前にも、こんな事があったような気がする・・・)
それは、アリスの魔力によって消されたはずの記憶、潤を侮辱する礼香と言い争いをした時のものでした。
(デジャブ、かなぁ・・・?)
一方、鮎美からの思わぬ反撃にタジタジとなっていた女は、苦しまぎれにこう言い返しました。
「な、何が罪も無いよぉ!あの女は不倫をしてぇ、その相手との、別れ話しのもつれで殺られたってもっぱらの噂よぉ!!」
それに対して、今度はアリスが冷たく言い返しました。
「それ、何か証拠あるの?」
「しょ、証拠・・・?」
「そう。不倫と別れ話しと、それから犯人が不倫相手だって言う証拠。あるの?」
「証拠って言ったって・・・」
冷たい光を放つ金色の瞳に見つめられて、女は口ごもるしかありません。その様子を見て、アリスは嘲笑しました。
「ふん!そんな事だろうと思ったわ。噂なんて言ったって、どうせあんたみたいな暇な奴らが、無責任に広めた物でしかないじゃない。憶測で物を言うんじゃないよ!」
自分よりも年下の少女に良いように言われ、女は自分の事は棚に上げて、憎々しげにこう言いました。
「全く、生意気な奴らねぇ!親の顔が見てみたいわよぉ。どうせ、ろくでも無い親なんでしょ!!」
「な!?」
その言葉を聞いて、鮎美は更に怒りました。彼女は、父の事も、今は亡き母の事も心から愛し、尊敬しています。イジメを受けていた時も、黙って耐えていた鮎美が父を侮辱された時だけは怒りを爆発させました。鮎美にとって、両親を侮辱される事は自分を侮辱される事よりも許せない事だったのです。
「あなたに・・・あなたなんかに、父さんと母さんの何が分かるって・・・え?アッちゃん?」
女に食ってかかろうとした鮎美の前に、彼女を制するようにアリスが進み出ました。
「な、何よぉ?」
「親の顔が見てみたいですって・・・?私の母親になんて会ったら、あんた、絶対に後悔するよ・・・」
鮎美からは、アリスが今どんな顔をしているのかは見えません。しかし、女とその息子の顔が、みるみる青ざめていく所から大体の想像はつきました。
(もう、アッちゃんたら仕方ないなぁ・・・)
鮎美は呆れつつも、今回だけは止めに入るのを止めようと思いました。
(このお母さん、言う事がひどすぎるんだもん。これに懲りて、少しは反省すれば良いんだよ)
女は怯えているらしく、後ずさりしています。そして、
「あんたのせいで、あたしが嫌な思いしたじゃないのよぉ!!」
と叫ぶなり、マナブの頭を思いっきり叩いたのです。マナブは「わ~ん!」と泣き出してしまいました。
「あぁ!!何て事するんですか~!!」
それを見た鮎美は怒りを爆発させると、両拳を振り上げながら、女に向かって突進して行きます。
「な、何なのよコイツ~!?」
女は悲鳴を上げながら逃げて行きました。その後を鮎美が、更にその後をマナブが泣きながら追いかけて行きます。その状況に、アリスとさやかは、思わず顔を見合わせてしまいました。
女を公園の出入口まで追いかけた鮎美は、やがて、ぷんぷんと怒りながら戻って来ました。
「全くもう!自分が悪いくせに子供に八つ当たりするなんて最低だよ!!私のお母さんだったら、絶対にあんな事しないよ!!」
「まぁ、あんな奴は今どき珍しくも無いんでしょうけどね」
アリスがまた嘲笑すると、少し興奮しているのか、鮎美は鼻息も荒くこう言いました。
「それがおかしいんだってば!どうしてあんな人が母親をしてるのか、私は不思議で仕方無いよ!!私のお母さんはとっても優しかったけど、叱る時はとっても厳しかったよ。さっきの人みたいにむやみに叩いたり、怒鳴られたりはしなかったけど、私がちゃんと反省するまでは、許してくれなかったんだから!」
話している内に、いくらか落ち着きを取り戻してきた鮎美は、今度は懐かしむように語りました。
「でも、厳しかったのは、私に良い子になってほしいから、私の為を思っての事だから。本当に、本当に素敵なお母さんだったんだよ・・・」
そして、母の笑顔を思い浮かべた鮎美は、空を見上げると、自分も笑顔になるのでした。
その時、さやかが鮎美を見上げてこう言いました。
「あたしのママも、とっても素敵なママなんだよ」
「そうなんだ。さやかちゃんだっけ?さやかちゃんがそう言うなら、本当に素敵なお母さんだったんだろうね」
にっこり笑ってそう言ってくれた鮎美に、さやかもまた、嬉しそうにこう答えました。
「うん!とっても優しいんだよ。まるで、お姉ちゃんみたいに!」
「本当に?そんな素敵なお母さんみたいだなんて、私照れちゃうな~」
鮎美は「エヘヘ」と笑って頭をかきました。そして次に、彼女はしゃがんでさやかの手を握ると、まだ幼い女の子の目を真っすぐ見つめました。
「さやかちゃん、私もね、お母さんがいないんだよ」
「え、本当!?」
さやかは目を丸くしました。
「うん。私が10歳の時に病気でね・・・」
「お姉ちゃんも・・・」
「ねぇ、さやかちゃん。お母さんの事が好き?」
「うん。大好き!」
「それじゃ、その大好きなお母さんに、約束してほしい事があるの」
「約束?」
「それはね、『絶対に幸せになります』って言う約束なの」
「幸せ?」
「世の中には、悪い人や、意地悪な人とかがいるの。さやかちゃんが何も悪い事してないのに、お母さんがいないからっていじめる人とか。そしてこれからも、同じような目に遭うかもしれない。それに、お母さんが恋しくて、泣く時が来るかもしれない・・・」
「うん・・・」
「でもね、絶対に負けないでほしいの。生きていれば必ず良い事はあるし、とっても素敵な友達に出会えるかもしれない。とってもキレイな、このお姉ちゃんみたいなお友達に・・・」
そう言って、鮎美はアリスに視線を向けました。急にそんな事を言われて、アリスは「そ、そうかな・・・」と、照れたように頭をかいています。
「だから、天国にいるお母さんが安心していられるように、いつも笑顔でいてね。そしていつか、幸せになってね。それが、お母さんの願いでもあるはずだから」
「うん。ありがとう・・・」
鮎美に助けられ、そして、優しく励まされたのが嬉しかったのでしょう、さやかは大粒の涙を流しました。
「もう。鮎美に『いつも笑顔でいてね』って言われたばかりでしょう?」
アリスが肩をすくめると、鮎美は再びさやかを抱き寄せながら、優しくこう言いました。
「良いんだよ。泣きたい時は無理しなくても。特に、受け止めてくれる人がいる時は。それに・・・」
鮎美はアリスに目を向けると、いたずらっぽく笑いました。
「アッちゃんだって、私と抱き合って、泣いた事があったじゃない」
「え!?そ、そんな事、今言わなくたって良いじゃない!!」
慌てるアリスを見て、鮎美とさやかは楽しそうに笑いました。
鮎美は、さやかと手をつないで歩いています。その数歩後を、アリスが歩いていました。二人は、さやかを家まで送る事にしたのです。さやかの家は、公園から数分ほど歩いた住宅街の中にあり、表札には『嘉山』と書かれていました。
その家の車庫に車が一台停まっており、それを見たさやかは、
「祐樹おじさんだ~!」
と、嬉しそうな声をあげました。
「祐樹おじさん?」
「うん!とっても優しいおじさんだよ!」
さやかは喜び勇んで呼び鈴をならしました。
「ただいま~!!」
「おかえり」
玄関が開くと、そこにスーツ姿の若い男性と、品の良さそうな老女―さやかのお祖母さん―が立っていました。さやかは嬉しそうに男性に抱きつきます。
「祐樹おじさん、また遊びに来てくれたの!?」
「うん。今日はお仕事が早く終わったからね」
「あたしね、おじさんだ~い好き!!」
「おじさんも、さやかちゃんが大好きだよ」
さやかと楽しげに戯れる祐樹と、それを微笑んで見ていたお祖母さんでしたが、アリスと鮎美の存在に気付き、少し怪訝な表情になりました。
「あの、どちら様ですか?」
その問いに鮎美は、
「こんにちは。私は北条鮎美、こっちはアリス・バインさん。私達は、さやかちゃんのお友達です」
と、当然のように答えました。
アリスは一瞬、(わ、私も?)と、内心驚きましたが、抗議する理由も無いので黙っていました。
「友達?本当かい?」
祐樹の問いかけは、さやかに向けられたものです。
「そうだよ!さっき、危ない所を助けてくれた、優しいお姉ちゃんなんだよ!」
「危ない所?」
そこで鮎美は、祐樹とお祖母さんに先程の出来事を話しました。それを聞いた二人は驚き、特に、若い祐樹は憤慨しました。
「それは本当かい!?」
「はい・・・」
「何てことだ・・・」
祐樹は、信じられないと言う風に首を振りました。お祖母さんは、鮎美とアリスに頭を下げると、丁寧にお礼の言葉を述べます。
「孫を助けてくれて、本当にありがとうございます」
それを聞いて、祐樹も気を取り直すとお礼をしました。
「ありがとう、僕の姪を助けてくれて」
「いえいえ、どういたしまして」
「まぁ、立ち話も何だから、上がってくださいな。美味しいお茶でもごちそうしますから」
「お姉ちゃん、一緒に遊ぼう!」
鮎美とアリスは顔を見合わせると、にっこり笑ってお誘いを受けることにしました。
美味しい紅茶とケーキをごちそうになった鮎美とアリスは、お祖母さんから更に、「ほんの気持ちですから」と、お菓子やジュースをたくさんもらいました(二人が『お、重い・・・』と思う位の量だったので、半分返しましたが)。
「また、いらしてくださいね」
「いつでも遊びに来てください」
「バイバイ!鮎美お姉ちゃん、アリスお姉ちゃん!」
帰り際、さやかは元気に手を振って見送ってくれました。その様子を見て、鮎美は安心したようです。
「良かった、さやかちゃんが元気を取り戻してくれて」
「ま、全部あんたのおかげだろうけどね」
「そんなこと無いよ。アッちゃんが、さやかちゃんを助けてくれたからだよ」
「わ、私は別に・・・。私はただ、あの女が気にくわなかっただけよ・・・」
鮎美は、くすりと笑いました。
「何よ?」
「ふふ。アッちゃんって、何だかんだ言って、本当は優しいんだね」
「え?」
「だって、さやかちゃんが泣いてる時に、優しく声をかけてくれたじゃない」
鮎美は、先程泣いていたさやかに、アリスが語りかけてくれた事を言っているのです。
「アッちゃんは気が付いてないみたいだけど、さっきのアッちゃん、とっても優しい顔をしてたんだよ」
「そ、そう?」
「さやかちゃんも、アッちゃんに優しくされて嬉しかったみたい」
そう言われて、アリスは少し嬉しくなりました。
(私でも、人を喜ばせる事って、出来るんだ・・・)
それに、鮎美に喜んでもらえた事が何よりも嬉しく思えました。
そんな事を考えながら、ふと鮎美を見ると、彼女は何故か悲しそうな顔をしています。
「どうしたのよ?急にそんな顔をして」
「うん・・・。やっぱり、さやかちゃんがかわいそうだなって思ったから・・・」
「あぁ、そうね・・・」
大好きな母を、何者かの手で奪われたさやか。しかも、さやかは理不尽にもいじめまで受けています。しかし、さやかの不幸はそれだけではありませんでした。
「さやかちゃん、ご両親がいないんだもんね・・・」
「うん・・・」
二人が、祐樹とお祖母さんから聞いた話は、とても悲しいものでした。
さやかは、まだ五歳の時に父親を交通事故で亡くしていたのです。そのため、母親の雪子とお祖母さんの二人が、さやかを育てていました。
祐樹はさやかの父親の弟、つまりは叔父にあたり、時々家に来ては、さやかの面倒を見てくれていたのです。かつて、由利恵が友人から教えられた「祐樹がバツイチの女とつき合っている」と言う情報は、間違ったものだったのです。雪子は夫を亡くした身ですし、祐樹はただ、可愛い姪を見守っていただけで、雪子に対しても「優しい義姉」としか思っていませんでした。
実は、由利恵に情報を与えた友人は、話しに尾鰭を着けて話すのが好きな人物で、むしろ由利恵を焚きつけて、男女間の修羅場を見て楽しんでやろうと考える、悪趣味な女だったのです。そのために、今回の事件が起きたのですが、その事を含めた複雑な事情を、アリスと鮎美は当然知りません。ただ、さやかの事を想うと、二人は胸が締め付けられるようでした。
「さやかちゃんは、まだまだお父さんにも、お母さんにも甘えたいはずだよ。私にはお父さんがいてくれるし、お母さんとは10年間一緒にいられたけど、さやかちゃんは、たったの8年しかお母さんといられなかったんだよ。そしてこれからも、両親のいない生活を送らなきゃいけないんだよ・・・」
「・・・・・・」
「そんなの、かわいそうすぎるよ・・・」
鮎美は、自分以上の悲しみを背負ってしまったさやかを想い、俯きました。
「で、あんたはどうするつもりなの?」
「え?どうするって・・・?」
「どうせあんたの事だから、あの子のために、何かしてやろうと思ってるんでしょう?」
「え!どうして分かったの!?」
驚く鮎美に、アリスはいたずらっぽく笑いながら答えます。
「分かるわよ。だって、鮎美が困っている人を放っておけるわけが無いもの」
そして次に、はにかんだようにこうつぶやいたのです。
「私の時も、そうだったじゃない・・・」
「アッちゃん・・・」
「ま・・・まぁ、私に出来る事があったらさ、何でも言いなよ。手を貸してあげるからさ・・・」
照れくさいのか、アリスはあさっての方を見ながらそう言いました。そんな彼女を、鮎美は嬉しさのあまり、潤んだ瞳で見つめてしまいます。鮎美の心は、感謝の気持ちでいっぱいでした。
(ありがとう、アッちゃん。やっぱり、アッちゃんは優しい女の子だよ。まるで天使みたいに・・・)
声に出したらきっと、「そんなわけ無いでしょ!」と言われると思ったので、鮎美は心の中でそうつぶやくのでした。
仲良く並んで歩いているアリスと鮎美。その二人を、近くの林の中から、何者かがじっと見つめています。それは、トカゲとも、ワニともつかない姿をした怪物で、その目は、憎しみに欄々と輝いていました・・・。
第七話完 第八話に続く
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