現在① 憎悪、そして暗躍

「友達を馬鹿にされて腹が立つのは分かるけど、だからと言って暴力をふるって良いと思っているの!?」

 花ヶ丘女子大付属中学校の職員室に、若い女性の怒声が轟きました。その声に、職員室にいる教師たちは思わず身を竦め、お互いに顔を見合わせます。

「また始まりましたよ、燻士先生の『熱血指導』が」

「まったく、良く飽きもせず・・・」

「しかもその相手は・・・」

「ええ。『係わりたくない生徒ランキング・第一位』の・・・」

「あの生徒も、いつも問題ばかり起こして・・・」

「燻士先生も、あんな凶暴な生徒は放っておけば良いのに」

「全くですな」

「放っておけないんじゃないですか?何と言っても、燻士先生は『熱血教師』ですから」

 小声で会話している教師たちの顔には、明らかに侮蔑の色が浮かんでいます。しかし、そんな事には気付いていないのか、ジャージ姿の若い女性教師は、目の前に立っている一人の生徒―銀色の髪に金色の瞳、褐色の肌をした外国人の美少女―を厳しく叱っていました。

「どうなの?」

「・・・思ってませんけど。でも・・」

少女は、不機嫌そうに答えました。

「でも、何?」

「・・・」

 少女は、女教師と目を合わせること無く、つまらなさそうに床に目を落としています。そんな少女の態度が気に入らないのか、女教師はまた怒鳴りました。

「ちゃんと先生の目を見なさい!!」

その途端、少女は金色の瞳に敵意を燃え上がらせ、目の前にいる女教師を睨みつけました。他の教師ならこの視線に怯えてしまう所ですが、女教師はまったく怯む様子はありません。

「何なのその目は?」

「別に・・・」

 そう言いつつも、少女の体は怒りに震え、銀髪の毛先が、ふるふると揺れています。そして二人は、しばらく睨み合いました・・・。

 やがて、女教師はため息をつきます。

「アリスさん、あなたがそんな態度じゃ、許したくても許せないじゃない・・・」

「・・・・・・」

「少しは、反省してちょうだい」

 女教師が諭すように言うと、アリスと呼ばれた少女は、また不機嫌そうに床に目を落としました。そして、ぽつりとこう言ったのです。

「私は、悪くありません・・・」

「・・・・・・」

「悪いのは、おかしな噂を振り撒いた、あいつです・・・」

 女教師は、またため息をつきました。

「あなたの気持も分かるけど、それで問題が解決するとでも?」

「・・・・・・」

「それとも・・・」

「・・・・・・」

「あなたには、何を言っても分かってもらえないのかしら?」

 その言葉を合図に、アリスと女教師は再び睨み合うのでした・・・。

 

「アッちゃん、おそいなぁ・・・」

 同じ頃、花ヶ丘女子大付属中学校の校門前に、一人の少女が立っていました。その少女はとても小柄で、一見すると小学生のようですが、れっきとしたこの学校の生徒です。

 少女の名は『北条鮎美』。ぱっちりとした目と、ショートヘアーが印象的な、可愛らしい女の子です。鮎美は、誰かを待っているのか、退屈そうに校舎を眺めていました。

「まだ、お説教終わらないのかな・・・?」

 今どきの中学生なら、暇な時はスマートフォンでSNSでもやっているでしょう。しかし、彼女はそんな物は持っていませんし、校則でも、校内へのスマートフォンの持ち込みは禁止されています。暇をつぶす方法も無く、鮎美はとても退屈そうでした。

「燻士先生、けっこう厳しいもんなぁ・・・」

鮎美はまた、ため息をつくのでした。

 それからさらに10分ほどたった時です。

「あ!」

 鮎美は、校舎から出て来た一人の少女を見つけると、嬉しそうに手を振りました。その少女も鮎美に気が付いたようで、手を振りながらこちらに走ってきます。

 その少女の艶やかな銀髪が、夕日を浴びてキラキラと輝いています。それはまるで、一枚の絵画を思わせる美しさで、鮎美は思わず、その少女に見とれてしまいます。

「ごめんね。待たせちゃったかな?」

 申し訳なさそうにしている銀髪の美少女を鮎美は、

「ううん、全然・・・」

と言って、じーっと見つめました。

「ど、どうしたのよ?私の顔に、何か付いてる?」

 戸惑いつつ、銀髪の美少女は鮎美に尋ねました。すると鮎美は、ほほを赤く染めながらこう答えたのです。

「アッちゃんって・・・キレイだね・・・」

 そう言われた途端、『アッちゃん』と呼ばれた美少女は、盛大にズッコケました。

「あんたねぇ!いきなりなに言ってんの!?」

「だってぇ、本当にキレイなんだもん」

「そんな事言ってると、また変な噂を流されるじゃないの!」

 憤慨している銀髪の美少女は、先程、職員室で女性教師に説教されていたアリスでした。

 彼女は名を、『アリス・バイン』と言います。数ヵ月前にこの学校に転校してきた彼女は、初めは誰とも打ち解けようとしませんでしたが、ひょんな事からクラスメイトの鮎美と仲良くなり、今では大の仲良しでした。

「それはそうと、お説教、けっこう長かったね」

「まったくよ!燻士のヤツ、担任でもないくせに!!」

「何言ってるの?あれはアッちゃんがいけないんだよ。燻士先生に怒られて当然だよ」

 二人の言う『燻士』とは、この学校の体育教師『燻士琴子』の事です。

彼女は大変厳しい教師で、問題をおこした生徒を、学年やクラスの区別無く、説教をする事で有名でした。今回、アリスが説教を受けたのも、他のクラスの生徒に暴力を振るおうとした事が原因です。

 何故そんな事になったのかと言うと、『アリスと鮎美は女同士でベタベタしていて怪しい。きっと、恋人同士に違いない』と言う噂を、その生徒が広めていたからです。

 アリスはその生徒を捕まえて、「何のつもりよ!?」と凄みました。その生徒はすぐに謝ったのですが、それでも、アリスの怒りは治まりませんでした。自分はともかく、鮎美が馬鹿にされた事が許せなかったのです。

 怒りに燃えるアリスは、その生徒を殴ろうとしました。幸いにも、騒ぎを聞いて駆けつけた鮎美が止めに入ったおかげで大事には至りませんでしたが、この事で琴子に呼び出され、今まで説教されていたのです。

「私はただ、鮎美まで悪く言われたのが許せなかっただけよ」

「もう。そんな事気にしないで。私はアッちゃんと仲良くしてもらえるだけで嬉しいんだから」

鮎美にそう言われて、アリスは照れたように頭をかきます。

「話しは変わるけど、今日の晩ごはん、私の家で食べていってくれるんでしょう?」

 にっこり笑いながら、鮎美が尋ねてきました。

「うん、良いよ。でもさ、お父さん家で仕事してるんでしょ?迷惑じゃない?」

「そんな事ないよぅ。お父さんも歓迎してくれると思うよ」

 それを聞いて、アリスは内心(そうかしら?)と思いました。

実は、鮎美の父と初めて会った時、ちょっとしたトラブルがあったのです。数ヶ月前まで、鮎美の父である『北条護』は、仕事もせずに酒を飲んでばかりで、鮎美に苦労をかけ続けていたからです。

 鮎美は幼い頃に、母の『涼子』を亡くしていました。しかも、最愛の妻の死からいつまでも立ち直れないでいる護のために、鮎美は家事の一切を行いながら、家計を助けるために、新聞配達のアルバイトもしていたのです。

 鮎美は家事とアルバイトを、平気な顔をしてこなしていました。しかし本当は、様々な辛さに耐え忍んでいたのです。それを理解していたからこそ、アリスは護にはっきりと苦言を呈したのです。

 その後、護は生活態度を改め、鮎美がやっていた新聞配達のアルバイトを引き継ぎ、また、童話作家でもある彼は執筆活動も再開させたのでした。

 結果として、親子の生活はとても良い方向に向かっているのですが、護はアリスの事が少し苦手らしく、彼女が家に来ると一応にこやかに「いらっしゃい」と言ってはくれるのですが、その後は、そそくさと自室に引っ込んでしまうのです。

 それに、アリスは鮎美以外の人間に対しては、お世辞にも愛想が良いとは言えず、護とは必要最低限の会話しかしません。そのせいで、お互いの距離が縮まる事はありませんでした。

(まぁ、それは別に良いんだけどね・・・)

心の中でそうつぶやき、アリスは苦笑しました。

「何を笑ってるの?」

鮎美は不思議そうな顔をしています。

「ううん、別に。それじゃ、少しだけお邪魔しようかな」

「本当?それじゃ、とっても美味しいご飯を作るから、楽しみにしててね!」

そう答える鮎美は、本当に嬉しそうでした。

 その笑顔を見て、アリスは心から安堵していました。何故なら、鮎美はつい最近まで、塞ぎ込む事が多かったからです。

 理由は、かつてのクラスメイトだった『中谷礼香』と『佐藤潤』に関する事でした。

この二人は以前、鮎美をいじめていました。でも、鮎美を助けようとするアリスとの対決がきっかけとなり、潤は鮎美やアリスと仲直りをし、礼香が行ってきたイジメを断念させる事が出来たのです。そしてその後、礼香も鮎美に謝罪し、仲直りしたのでした。

 しかし、潤は何者かによって殺害されてしまい、それから程無くして、礼香までもが行方不明になってしまったのです。しかも、潤を殺害した犯人は未だに捕まらず、礼香の行方もようとして知れません。その事が、鮎美を苦しめていたのでした。

 実は、この一連の事件には、アリス以外はほとんどの者が知る事の無い、驚くべき真相が隠されていたのです。

 アリスは、普通の人間ではありません。彼女は、ある目的のために日本にやってきた、魔界の大国『バイン』の姫君だったのです。アリスは、仲良くなった鮎美が危険な目に会わないようにと、何にでも変身できる魔法のアイテム『変身リング』を授けていました。しかし、鮎美に対して悪意を持ち続けた礼香はそのリングの存在を知ると、仲直りするふりをしてそれを盗み出したのです。

 リングを用いて潤を殺害した礼香は、次は鮎美をもその手に掛けようとしました。しかし、鮎美はアリスに助けられ、礼香自信は、そのリングのせいで自滅してしまったのです。

 鮎美が、礼香に襲われた時の事を全く覚えていないのは、アリスの魔力によってその記憶を消されていたためでした。だからこそ、今でも鮎美は礼香を友達だと信じていて、礼香が無事に帰ってきてくれるように、また、潤を殺害した犯人が早く捕まってくれるように祈っているのです。そんな鮎美の気持ちを思い、アリスもまた、真実を告げられずにいました・・・。

 二人が、取り留めの無い話しをしていると、

「北条さん?」

ふいに後ろから声をかけられました。二人が降り返ると、そこに若い女性が立っています。上品な物腰の、いかにも知的な感じのする女性でしたが、その女性を目にした鮎美は、

「あ・・・」

急に表情を固くして、黙りこんでしまいました。

「やっぱり北条さんだったのね。久しぶりね、元気だったかしら?」

親しげに話しかけてくる女性に対して、鮎美は「はい・・・」と言葉少なく答えるだけでした。そんな態度の鮎美を見たのは初めての事だったので、アリスは意外に感じます。

(鮎美ったらどうしたのかしら?この女、知り合いみたいだけど・・・)

 そう思いながらアリスが女性を見ていると、ある事に気付きました。

(こいつ、目が笑ってない・・・)

にこやかに笑っている女性のその目が、明らかに鮎美に対して敵意を持っている事が分かりました。

(なぁんか、こいつ性格悪そう・・・)

 そんな事をアリスが考えていると、次に女性は、アリスに目を向けました。

「こちらの綺麗なお嬢さんは、もしかして転校生かしら?」

おそらくは、何も答えないであろう鮎美に代わって、アリスが答えました。

「はい。アリス・バインと言います。鮎美の大親友です」

 アリスは特に「大親友」の所に力を込めて言いました。女性は一瞬怪訝な顔をしましたが、すぐに笑顔に変わると、

「そうなの。私は以前、北条さんの担任をしていた『曽根由利恵』と言うの。訳あって数ヵ月前に学校を辞めてしまったんだけど・・・」

そこまで言って、由利恵は冷たい視線を鮎美に向けました。鮎美はと言うと、由利恵とは目も合わせたくないのか、先程からずっと俯いています。

「でも、北条さんは、相変わらず元気そうで、それに、何も悩みがなさそうね。本当に羨ましいわ」

 由利恵のその言葉に悪意を感じて、アリスは怒りを覚えました。

(こいつ、ムカつくわ!)

アリスは鮎美の前に立つと、由利恵を睨みつけました。

「ちょっと!」

「何かしら?」

対する由利恵は、冷めた目を向けてきます。

 もしこのままだったなら、おそらくアリスは言い争いの末、由利恵を殴っていたかもしれません。しかし、それを察した鮎美はあわててアリスの手を取ると、

「アッちゃん行こう!!それじゃ、失礼します!!」

由利恵に頭を下げて、小走りにその場を去りました。

その後ろ姿を見つめながら、由利恵は舌打ちをしました・・・。


「あの人ね、先生のくせに、イジメを黙って見てただけなんだよ・・・」

 鮎美はアリスに、由利恵と過去に何があったのかを話してくれました。

「それって、あんたの親友の事?」

「うん。その時の担任があの人だったんだけど、イジメが起きてる事を知ってたのに、何も手を打ってくれなかったんだよ。それでも私、友達がいじめられているから助けてくださいって頼みに行ったんだけど・・・」

 その時、よほど嫌な思いをしたのか、鮎美は唇をかみました。

「あいつ、何て行ったの?」

アリスの問いに、鮎美は悔しさを顔に滲ませながらこう語ったのです。

『社会の平和を守るためには、時には犠牲が必要なの。そしてクラスは、その社会の縮図。もしイジメを止めたりしたら、いじめている側の不満は、今度は他者や学校に向けられるわ。そうなれば、次はもっとひどい校内暴力が増えるかもしれないでしょう?悪くすれば、それは本人の家庭にも及ぶかもしれないし・・・。だから、クラスを守るためには、ある程度のいじめは仕方ないの。“トカゲのしっぽ切り”と同じよ』

 それを聞いて、さすがのアリスも呆れてしまいました。

「ひっどい話しね!イジメだって立派な暴力じゃないのよ!」

「そう思うでしょう?私も、あの時ばかりは本当に頭に来たよ。どうしてこんな人が先生なんだろうって思ったもん・・・」

「それで、どうしてあの女は学校を辞めたの?」

「友達が自殺しようとした事が、マスコミに知られちゃって、大騒ぎになったのは聞いてるでしょう?学校側は『イジメは無かった』って言ったんだけど、それだけじゃマスコミが納得しなかったみたいなんだ。それで、曽根さんに責任を全部押し付けて、辞めさせちゃったみたい。だけど、何だか私は納得できなかったなぁ・・・」

 それを聞いて、アリスはニヤリと笑いました。

「つまり、最後は自分が『トカゲのしっぽ切り』されちゃった訳だ。ざまあみろじゃないの」

「うん。確かに自業自得かもね・・・。でも、さっきの曽根さんの言葉を、誰かがマスコミに教えちゃったみたいなんだ。それを、あの人は私がやった事だと信じて、怨んでるみたい。私はそんな事してないし、しようとも思ってなかったのに・・・」

「・・・・・・」

「私もあの人は好きじゃないけど、怨まれるのって、ちょっと淋しいよね・・・」

そう言って、鮎美は目を伏せました。

「たとえ誰かに嫌われても、私は鮎美の味方だよ。だから気にしないの。分かった?」

 アリスはそう言うと、鮎美をギュッと抱きしめました。

「アッちゃん、ありがとう・・・」

 アリスの想いを感じて、鮎美は心温まる思いがしました。


 アリスと鮎美が友情を確かめ合っていた頃、由利恵はと言うと、不機嫌な顔をして街を歩いていました。

「まったく腹が立つわね・・・」

由利恵は、先程再会した鮎美に対して、もっと嫌味を言ってやりたかったのです。しかし、一緒にいたアリスに邪魔をされてしまい、言いたい事の半分も言えませんでした。

「あのチビ、私を辞職にまで追い込んでおきながら、自分はのうのうと暮らしているなんて!そのお陰で私は・・・!!」

 由利恵は唇を噛むと、自分が学校を去った時の事を思い出していました・・・。


 突然、謹慎を命じられて、由利恵は驚きを隠せませんでした。

「な、何故ですか!?何故この私が処分されなければならないのですか!?」

由利恵の剣幕に、いかにも気の弱そうな中年の学年主任は、おどおどしながらこう答えました。

「そ、それはだねぇ・・・、やはり、今回の問題の責任は、担任である曽根先生にあると、まぁ、そう言う訳でだねぇ・・・。マスコミも、うるさい事だしね・・・」

「納得がいきません!!確かに、今回の生徒の自殺未遂は残念な事件でした。しかし、だからと言って、何故この私が責めを受けなければならないのですか!?私は真剣に、生徒達の教育に力を入れて来ました。時には厳しく、そして理不尽な事も言いました。でも、それはひとえに生徒達のため、厳しい現代を生き抜いていけるよう願っての事です。それなのに・・・」

「うんうん。それはね、分かるけどね・・・」

「主任、納得の行く説明をお願いします!!」

 由利恵に凄まれて、学年主任は目を泳がせます。

「いや、その・・・。皆がそうした方が良いと・・・、言うものでね・・・」

「その、皆とは誰なのですか?」

「誰と、言われてもねぇ・・・」

「誰なのでしょうか?」

「・・・・・・」

学年主任は由利恵の迫力に気圧され、何も言えずにいます。

「答えられないのですか!?」

 由利恵がさらに問い詰めようとした時、

「往生際が悪いですね、曽根先生」

凛とした声が背後から聞こえてきて、その瞬間、由利恵の表情はさらに険しいものへと変化しました。由利恵はゆっくりと、声の主に振り返ります。

「燻士・・・先生・・・」

湧き上がる怒りを隠そうと努めて平静を装うとする由利恵でしたが、声の震えを完全に抑える事は不可能でした。

 そこに立っていたのは、ジャージ姿の背の高い女性でした。その気の強そうな顔には、怒りの表情が浮かんでいます。

「何をどう言い繕おうとも、あなたがイジメを黙認していたのは事実でしょう?そんな事が許されると、本気で思っているのですか!?」

女性は、真正面から由利恵を見据えています。対する由利恵は、斜に構えて女性を睨んでいました。

 女性は、燻士琴子でした。厳しく口うるさいと評判の彼女でしたが、本当は生徒想いの心優しい教師だったのです。そのため、冷徹な全体主義者である由利恵とはいわゆる『犬猿の仲』で、二人は事あるごとに対立していました。

「黙認なんて人聞きの悪い。私はただ、生徒達の自主性に任せただけですわ」

 嘲笑をその整った顔に浮かべると、由利恵は公然と言い放ちました。

「物は言い様ですね。でも、生徒達が明らかに間違っているのであれば、それを正すのが教師である私達の使命なのではありませんか?」

そう言って琴子は、濃い眉を吊り上げます。本当なら琴子は、目の前にいるこの『冷血性悪女教師(琴子命名)』を平手打ちしたくて仕方がないのですが、仮にも教師である自分にそんな事が許されるはずもありません。ですから、彼女は必死になってその衝動に耐えていました。

 一方の由利恵もまた、目の前にいる『偽善者(由利恵はそう信じています)』の体育教師を、出来る事なら殺してやりたいと思っていました。自分よりも年下で、しかも後からこの学校に赴任してきたくせに、大きな顔をしている琴子が憎くてたまらなかったのです。

「使命ですか。そんなに立派な事をおっしゃるのなら、いっそ、燻士先生がイジメの問題を解決してくだされば良かったのに」

「私には私の受け持つクラスがありますから。曽根先生のクラスの問題は、先生自身の責任で解決するべきです」

「まあ!それでは、他のクラスの生徒の事など、どうでも良いと仰るのですか?」

「誰もそんな事は言ってないでしょう?あなたが教師のくせに、無責任だと言っているんです!」

「何ですって!?燻士先生、今の言葉、取り消してください!!」

「お断りします。大体、一人の生徒が自殺を図ったのに、よくも平気でいられますね!!」

 琴子と由利恵はさらに睨み合いました。二人の視線は激しくぶつかり合い、まるで火花が散っている様です。

「ま、まぁ二人とも、少し落ち着い・・・ひぃっ!!」

 すっかりその存在を忘れられていた学年主任が、それでも仲裁に入ろうとしましたが、まるで般若の様な形相の二人に同時に睨まれ、あまりの恐ろしさに飛び上がってしまいました。

 二人はいつ果てるとも無く睨み合っていましたが、やがて琴子が口を開きました。

「クラスは社会の縮図で、その平和を守るためならば犠牲はやむを得ないそうですね?曽根先生」

「何ですって・・・?」

 由利恵は驚きました。彼女は、同僚の教師と教育について語り合う事など、全くした事はありません。ましてや、憎んでも憎みきれない琴子とは、日常会話ですら避けてきたのです。それなのに、何故自分の考えを琴子が知っているのか、由利恵には理解出来ませんでした。

 でも、思い出してみれば一度だけ口にした記憶があります。しかし、その相手は同僚でもなければ琴子でもなく、一人の生徒だったのです。しかも、その生徒など、由利恵にとっては取るに足らない存在だったので、今まで忘れていました。

「北条鮎美・・・。あの子から聞いたのですか?」

「それはどうでも良いでしょう?それよりも、随分と傲慢なのですね。あなたが言う事が本当ならば、罪の無い生徒を犠牲にするのでは無く、我々教師こそが犠牲になるべきではないですか?」

 琴子の目は真剣そのものでした。それは由利恵に対する怒りよりも、教師としての強い使命感、そして生徒達に対する深い愛情からなのですが、それに気付くような由利恵ではありません。

(またきれい事を・・・。それにしてもあの子、余計なまねをしてくれたわね。よりによってこんな女に・・・)

由利恵は心の中で舌打ちしました。しかし、彼女はこの事態をあまり重く見てはいません。自分の考えを知られた位では痛くもかゆくもありませんし、せいぜい目の前の女が、また口うるさく批判してくるだけでしょう。うっとうしいのを我慢すれば良いだけの事だと思っていたのです。

 しかし、琴子の次の言葉に、由利恵は衝撃を受けるのでした。

「マスコミも、あなたの考えは間違っていると騒ぎ始めていますよ」

「な、何故マスコミが!?まさかあなたが!?」

「違いますよ。私もさっきテレビを見て知ったんです。さすがに先生の実名は伏せていましたけど、『人の道に外れた教師を許すな』とか言っていましたよ」

「そ、そんな・・・」

由利恵は、愕然としました。

 学校側が『イジメの事実は無い』と発表し、後はほとぼりが冷めるまで待てば、世間はこの事件を忘れ、また今まで通りの生活に戻れると由利恵は考えていました。でも、その期待はもろくも打ち砕かれてしまったのです。これからマスコミや世間は、由利恵を叩くでしょう。もしかしたら、SNS等で自身の顔や実名を特定されてしまうかもしれません。そして、学校側はこれを幸いと、全責任を由利恵に押しつけて、騒動の収集を図ろうとするはずです(事実、そうなるのですが)。

「そう・・・。そうだったの・・・」

 由利恵は、琴子と学年主任を交互に見ました。その目は怒りのために血走っており、主任は元より、琴子の背筋にも冷たいものが走りました。

 由利恵は、

「分かりました・・・。私は今日を持って辞めさせていただきます。今まで、ありがとうございました」

そう言って主任にお辞儀をし、次に琴子を一瞥すると、そのまま後も見ずに部屋を出ていってしまいました。

 廊下を歩きながら、由利恵は最後に見た琴子の顔を思い出していました。その顔には冷笑や軽蔑ではなく、哀れみの表情が浮かんでいたのです。それが、由利恵の怒りをさらに激しいものにしました。

(何よあいつ!今まで散々、私を馬鹿にしてきたくせに!!最後にあんな顔をするなんて、どこまで偽善者なの!絶対に、絶対に許すもんですか!!)

 そして、次には鮎美の顔を思い浮かべました。

(北条鮎美、お前も許さないからね!お前が余計な事をしてくれたお陰で、私はこうなったんだから!!)

二人に対する憎しみの炎を心の中で燃え上がらせながら、由利恵は学校を去りました。

 しかし、彼女にとって本当の悲劇は、この後に起こるのです・・・。


(あぁ、思い出しただけでも腹が立つ!しかも、あの燻士の事まで思い出してしまったじゃないの!!)

 由利恵は怒りに眉を吊り上げながら、夕闇に沈みゆく街を歩いています。

(あいつらのお陰で、実家にまでマスコミが押し寄せてきて、私はしばらく身を隠さなきゃならなかったんだから!)

 学校を辞めた後、由利恵は実家のある都内に戻りました。しかし、恐れていた通り顔写真や実名、更に実家の所在地までもがSNSに晒されてしまいました。マスコミは実家にまで押し寄せ、いたずら電話やメールが殺到し、一時的にではありますが、電話線を外さなければならない事態になったのです。彼女は逃げるように実家を出ると、マスコミや世間から姿を隠すために、そのまま海外旅行に出かけました。

 それから二ヶ月後、彼女は日本にいる友人から『もう大丈夫みたい』とメールをもらい、つい数日前に日本に帰国したばかりでした。

(騒ぎが落ち着いたのは良いけど、次の仕事を早く見つけないと・・・。海外生活で貯金も残り少ないし。それに、教師に復帰するなんて、難しいわよね・・・)

 由利恵は、彼女なりに教師という仕事に誇りを持っていました。世の中は所詮、弱肉強食で、強い者が弱い者を支配するのが当然。ならば、生徒達を強者へと導いてやるのが教師である自分の務めと考えていたのです。北条鮎美や燻士琴子の言う、愛や友情、思いやりなどは、弱者の戯言としか思えませんでした。

(どいつもこいつも、きれいごとばかり言って、正しいのは私の方なのに!!それに・・・)

 その時、由利恵は一人の人物の顔を思い浮かべて、思わず唇を噛みました。その人物は若い男性で、その顔には優しげな微笑みが浮かんでいます。しかし、その男性を想う由利恵の目には、いつしか涙がにじんでいました。

「祐樹・・・」

 由利恵は、その男性の名を無意識につぶやいていました。

(祐樹と別れる事になったのも、全てあいつらのせいよ・・・。私達は、愛し合っていたのに、いつかは彼と、家庭を持ちたかったのに・・・)

 由利恵の心に、憎しみの炎が再び燃え上がっていきます。

(本当に、本当にあいつらなんて・・・!!)

「殺してやりたい・・・?」

 不意に声をかけられて、由利恵は思わず声のした方を振り返りました。

 そこには、黒い布の掛けられた机を前に、一人の人間が座っています。その人間は、自身もまた黒い衣に身を包んでいます。顔は確認できませんが、声の感じからすると若い女性のようです。机の上に水晶玉が置かれている所から、どうやらその女性は占い師だと思われました。

「あなたは、殺してやりたいくらいに、憎い相手がいるのね・・・」

 占い師は、水晶玉をのぞき込みながらそう言いました。

 見知らぬ人間、それも、見るからに怪しい相手に急におかしな事を言われて、由利恵は気味悪く感じました。と同時に、まだ涙を浮かべている自分に気付き、あわてて目を拭います。

「な、何よあなた?おかしなこと言わないでよ。見た所占い師みたいだけど、私は占いなんて信じてないんだから、客が欲しいなら他をあたってちょうだい!」

 そのまま立ち去ろうとした由利恵に、占い師はさらに続けます。

「小柄な少女と・・・気の強そうな長身の女・・・。この二人ね、あなたが憎んでいるのは・・・」

由利恵は、思わず足を止めました。

(どうして知ってるの・・・?)

 由利恵が恐る恐る振り返ると、占い師と目が合いました。衣の隙間からのぞくその目が、妖しく光ったように由利恵には見えました。

「この二人も、多分、あなたの事を憎んでいるのではないかしら・・・」

「何ですって?」

「さもなければ・・・、嘲笑っているとか・・・」

「!」

「偉そうな事を言っていたわりには、大した事の無い女だ・・・なんて思われているのかも・・・」

 それを聞いて、由利恵は怒りのあまり、拳をぎゅうっと握り締めました。

「あいつら、私を・・・、私の事をそんなふうに思っていたのね!!」

 占いなど信じないと言っていたはずの由利恵は、いつの間にか、占い師のペースに乗せられています。

「憎まれるならまだしも、馬鹿にされるいわれは無いわ!!」

 憤る由利恵に、占い師はこう尋ねました。

「復讐したい・・・?」

「当然よ!!あいつらに思い知らせてやるわ!自分達こそ、きれいごとばかり言って、本当は何も出来ない愚か者なんだって事をね!!」

「・・・・・・」

「弱者は、力ある者に支配されるのが当然なの!真実を教えようとしていた私が責められて、偽善者どもがのうのうとしているなんて、そんなの理不尽だわ!!」

 誰にともなく、声高に自分の主張を語る由利恵を、占い師は冷めた目で見ています。

「所詮この世は、強い者こそが正義なのよ!!」

 そこまで言って由利恵が息をつくと、占い師が何かを差し出しているのに気付きました。

「え?」

 占い師の手の平に乗っていた物、それはペンダントでした。黒い金属製のメダルに、赤い宝石のような物がはめ込まれた、それは美しくも、禍々しい物でした。

「これは・・・?」

 由利恵は訝しそうに、占い師とペンダントを交互に見ます。

「強い力・・・。あなたの言う、弱者を支配する力を、与えてくれる物よ・・・」

「支配する・・・力・・・?」

「そう・・・。支配も、復讐も、何でも望み通りよ・・・」

 由利恵には、占い師の目がまた光ったように見えました。そして何故か、虚ろな目をした彼女は、占い師の手からペンダントを受け取っていました。

「これが・・・私に、力を・・・」

「そうよ・・・。憎い二人に、特に鮎美に思い知らせてやりなさい・・・。必ず、あの目障りな小娘を・・・」

占い師の声は、心なしか震えているようです。

「鮎美・・・。北条鮎美・・・あいつを・・・」

「そう・・・。鮎美を必ず・・・。でも、いつも一緒にいる、アリスと言う少女は傷付けてはだめよ・・・。彼女だけは・・・」

「鮎美・・・燻士・・・。そしてアリス・・・」

由利恵は、まるで夢遊病者のようにふらつく足取りで去って行きました。それを見送る占い師の目は、とても冷たく、そして軽蔑に満ちています。

「礼香といいあの女といい、どうして傲慢な人間ほど、簡単に術にかかるのかしら・・・?」

 占い師は立ち上がると、背後にあった建物の間の、細い路地へと入っていきます。そこはとても暗く、無限の闇へと繋がっているかのようです。

「心が弱く、脆いからこそ、自分を守るために傲慢にならざるをえない、と言う事かしら・・・?」

 独り言を言いながら、占い師は黒い衣を脱ぎ捨てます。その中から現れたのは、メイド服を来た、青ざめた顔の美少女でした。

「まあ良いわ・・・。姫さまのために、せいぜい役に立ってもらいましょうか・・・」

 彼女はそのまま、路地裏の闇の中へと消えて行きました・・・。


第四話に続く



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