数年前① 出逢い

 激しい雨が降る夜、ガード下にがらの悪そうな若い男が数人と、一人の老人がいました。老人は、男達から殴る蹴るの暴行を受けています。

 何故そんな事になったのかと言うと、今より少し前、この男達は若い女性に絡んでいたのです。そこに通りがかった老人が割って入り、女性を逃がしたのでした。

 それに怒った男達は老人を袋叩きにしてやろうと襲いかかったたのですが、その老人は小柄であるにも係わらず、柔道の投げ技で男達を次から次へと投げ飛ばしてしまいました。

 しかし、男達を軽くあしらっていた老人を、急に腰痛が襲いました。腰を抑えてうずくまってしまった老人に、男達はここぞとばかりに暴力を振るいます。

「くそっ!わしが後10年若ければ、こんな奴らなんぞ!!」

 暴力を受けながらも、老人は怯む事無く男達を睨み付けています。それに気付いた男の一人が声を荒げました。

「何だぁジジイ、何か文句でもあるのか!?」

「文句なら大有りじゃ!良い若いモンが無駄に時間を過ごしおって!!ちゃんと真面目に仕事でもせい!!」

老人の言葉に、男達は更に怒りを覚えたようでした。

「オイ、このジジイぶっ殺そうぜ!」

「そーだな・・・」

そう言うと、男の一人が懐からサバイバルナイフを取り出しました。それをちらつかせながら、男は残忍な笑みを浮かべています。

(こやつ、本気か!?)

 今正に殺されそうになっているにも関わらず、老人はとても悲しい気持ちになりました。この若者達は人の命を何だと思っているのか。殺人がどれほど罪深い事なのか・・・。

 しかし、男は老人の気持ちなど知るよしも無く、逆手に持ったナイフを振り上げます。刃に街灯の光が反射し、ギラリと光りました。

「死ねやジジイ!!」

 老人は覚悟を決めるて目を閉じると、心の中で叫びました。

(銀子!琴子!弥生さん!すまん虎太郎!お前が帰るまで皆を守ると言う約束、果たす事が出来なんだ!許してくれ!!)

 しかし何故か、いつまで経っても刺される痛みは襲って来ません。

「・・・・・・?」

 老人がゆっくり目を開けると、男達は今なお激しく雨が降り続く夜の闇を、呆然と見つめていました。

(何じゃ・・・?)

 男達の視線を追った老人は、そこに、黒い人影を見ました。

その人物は、雨除けの為なのかフード付きのマントのような物を頭から被り、荷物入れらしき革製の袋を肩に担いでいます。そのどちらも、とても古ぼけていて、そして薄汚れていました。

(一体、何者じゃ・・・?)

 老人と同じ疑問を男達も持ったようで、ナイフを持った男は語気も荒く叫びました。

「な、何だよてめぇ!?」

 しかし、マントの人物はそれには答えず、男達の間をゆっくりと歩を進めると、老人を庇うように立ち塞がりました。

「何だって聞いてんだよ!?それとも、俺達とやろうってのか!?」

「やめろ・・・」

 マントの人物は、低い声で静かにそう言いました。

「な、何だとぅ!?」

「この人の言う通りだ。無駄に時間を過ごしてはならない・・・」

「な・・・」

「それに、間違いに気付いてからでは、遅いと言う事もある・・・」

「うるせぇ!!」

 男は叫ぶと同時にナイフを振り下ろしました。しかし、マントの人物は僅かに体を動かしてそれをかわすと、右拳を男の腹に突き入れました。

「ぐえっ!」

 腹を抑えて倒れた仲間を見て、怒りに燃える男達は一斉に襲い掛かっていきました。しかし、マントの人物は突きや蹴り、肘打ち等を男達に的確に決めていき、その見事な戦いぶりに老人は体の痛みも忘れ、思わず見入ってしまうのでした。

(この男、出来る!余程の修練を積んだ武術家と見た!!)

 やがて、敵わないと見た男達は、

「おい!コイツマジつえぇよ!」

「逃げろ!」

「ま、待ってくれぇ!!」

慌てふためいて逃げて行きました。

 それを黙って見送るマントの人物に、老人-燻士源一郎-は、助けてくれた礼を述べようと、痛む体を引きずりつつ近付いて行きます。

 すると、その人物は急に片膝を着き、腹部を押さえてうずくまってしまいました。源一郎は慌てて駆け寄ります。

「どうしたんじゃ!?まさか、刺されたのか!?」

「いえ、それが・・・」

「うむっ!?」

「久しぶりに暴れたので、空腹に堪えて・・・」

「空腹・・・?」

 その時、源一郎の耳に、とても大きな腹の鳴る音が聞こえたのでした。


「わっはっはっはっはっ!そうか、腹が減っていたのか!ならばワシの家に来い!助けてくれたお礼に、腹一杯食わせてやろう!!」

 源一郎にそう言われて、マントの人物は大人しく付いてきました。あれほど振っていた雨も今は止み、夜空には月が煌々と輝いています。

 マントの人物は自らを『真田』と名乗りました。真田は今はフードを外し、顔を見せています。真田は腰まで届く長い髪をしていましたが、それをしばらくは洗っていないのかボサボサで、顔も薄汚れていました。

 ですが、その顔は意外にも秀麗で、前髪の間から見える目は涼やかな光を湛えています。源一郎はその目を見て、自分を救ってくれた真田はやはり、善良な人間なのだと確信しました。

「あの、まずは病院に行かれた方が良いのではありませんか?」

 真田は思った通りの善良な心の持ち主のようで、源一郎の身を案じてくれました。

「何のこれしき!若い頃から鍛え抜いたこの体、あの程度ではびくともせんわい!こう見えてもワシは柔道剣道の達人として有名だったんじゃぞ!さっきの奴らの攻撃も、急所だけは防いでおったんじゃ!」

 得意げに語る源一郎でしたが、さすがに腰の痛みまでは防ぎようが無いらしく、「痛たた・・・」と腰を押さえています。それを見た真田は、思わず吹き出してしまうのでした。


「お母さん!おじいちゃんがまた急にお客さんを連れて来るって電話して来たわよ!」

 台所で夕食の後かたずけをしている母の弥生に向かって、燻士家の長女である琴子は呆れたように言い放ちました。

「仕方ないでしょう、おじいちゃんはいつも急なんだから」

 食器を洗う手を止めずにそう答える弥生は今年で41歳。はつらつとした美人で、実年齢よりも若く見えます。

「全く、今は物騒な世の中なんだから、気安く知らない人を連れて来ないで欲しいわ!」

 そう憤慨している琴子は今年で18歳。身長は高く、陽に焼けた顔はいかにも気が強そうです。学校ではバスケットボール部のキャプテンを務めていて、細かい事にはこだわらない姉御肌の少女でした。しかし、来年は大学受験を控えている為か、最近はどうしても神経質になってしまうようです。

「ねぇ銀子、そう思わない?」

 琴子にそう声を掛けられて、居間でアニメのDVDを見ていた女の子は、ビクッと身を震わせました。膝を抱えて小さくなっているその様子から、銀子と呼ばれたこの少女は、とても気が弱いのだと言う事が分かります。その返事も、

「・・・うん・・・」

と、やっと聞き取れる程小さなものでした。

「全く、もっと大きな声出しなさいよね!あんたみたいな小さな声を『蚊の鳴くような声』って言うのかしら?」

「・・・知らない・・・」

 そう答えると、この家の次女である銀子は、更に身を縮めました。

「それに、あんたいっつも同じアニメばっか見てるわね。いい加減飽きない?」

「・・・・・・」

 銀子が何も答えないので、仕方なく琴子はテレビを見ました。画面には、主人公のヒーローと怪物が戦っている場面が展開されています。しばらく画面を見ていた琴子は、何気なく妹に尋ねました。

「確か、このアニメの原作者って、お父さんの親友だった人なんだよね?」

「・・・うん・・・」

「何て名前だったっけ・」

「・・・ほうじょう・・・さん・・・」

「え?」

「ほうじょう・・・まもるさん・・・だよ・・・」

「何?悪いんだけど、もう一回言ってくれる?」

 決して琴子は意地悪をしている訳ではなく、銀子の声が本当に聞こえにくかったのです。その為、琴子は何度か聞き返したのですが、銀子はもう答えてはくれず、膝を抱えたままうずくまってしまいました。

「何で私の妹なのにこんなに弱虫なのかしら?こんな事じゃ、お父さんが帰ってきた時に何て言われるか」

 その言葉を聞いた瞬間、何故か銀子は息を呑みました。そして、更に身を縮めると、もう何も聞きたくないとでも言うように、両耳を塞いでしまいました。

「ちょっと、聞いてんの銀子!?」

妹のそんな態度に腹を立てた琴子が思わず怒鳴り付けた瞬間、

『ピンポーン』

と、呼び鈴が鳴りました。源一郎が帰って来たようです。

「琴子、悪いけど出てくれる?」

洗い物で手が離せないらしい弥生が、台所から声をかけてきました。

「はぁ~い」

琴子は不服そうではありましたが、玄関へと向かいます。

 この家の玄関は古い日本家屋に見られる、格子状の枠にガラスがはめ込まれた引き戸です。そのガラスを通して、二人分の人影が見えます。一人は見慣れた祖父。もう一人は長身の男性らしき人物です。

(女ばっかりの家に男の人を連れて来ないでよ!)

琴子は眉をひそめながら、心の中でそう呟きました。

「お帰りなさ~い」

 玄関を開けながら、琴子はわざと不機嫌な声でそう言いました。ですが、源一郎はそんな事は気にならないのか満面の笑みを浮かべています。

「ただいま!それにしてもお前は声が大きいのう。外まで聞こえてきたぞ」

「声が大きいのは遺伝だと思うけど・・・」

 琴子は恨めしそうにそう答えましたが、やはり源一郎は気付いてはいないようで、隣に立つ真田に、

「この子はワシの孫で琴子と言うんじゃ。どうじゃ、美人じゃろう?」

と、紹介しました。

(余計な事言わないでよね!まぁ、美人ってとこはあったってるけどぉ)

琴子は心の中でそう呟くと、改めて祖父が連れて来た人物を見ました。

 ボサボサの長い髪に薄汚れた顔。マントの下に着ている服は黒い武道着らしいのですが、それも土埃で汚れていて、むしろ白っぽく見えます。その姿に、

(うわぁ、汚い!それに何よこの格好、まるで忍者みたい!こんな見るからに妖しい人、連れて来ないでよね!)

と、心の中で琴子は不満をもらしました。

 その時、洗い物を終えた弥生が手をエプロンで拭きながらやって来ました。

「義父さん、お帰りなさい。それと、いらっしゃい」

琴子とは違い、弥生はにこやかに出迎えました。

「ただいま。紹介しようかの、この人はワシが危ない所を助けてくれた・・・」

「真田と申します。夜分遅くにお邪魔してしまって、申し訳ありません」

そういって丁寧に会釈する真田に、弥生は好感を持ったようです。

「これはどうもご丁寧に」

「弥生さん、早速で悪いんじゃが、真田君に何か上手いものでも食わせてやってくれんかのう、しかも大盛りでな!」

「そんな事言ったって、もう晩御飯は食べちゃったんですよ。義父さんも外で食べてくるって仰っていたから、余分に用意していませんよ」

弥生は呆れたように答えます。

「だから、何でも良いんじゃ」

「仕方ありませんねぇ。え~と、卵はまだあったから・・・」

 こんな事には慣れているのか、弥生はメニューを考えながら台所へと向かいました。

「そうじゃ、飯が出来るまでの間に風呂に入って、旅の汗を流してきてはどうじゃ?」

 源一郎がそう言うと、真田は「すいません」と頭を下げます。しかし、それを聞いた琴子は、

「やだ、私まだ入ってないのに!あっ・・・」

思わずそう口走ってしまい、あわてて口を押さえました。

「これ琴子、真田君はワシの命の恩人じゃぞ。無礼な事を言うでない」

源一郎にたしなめられた琴子は、自分でも失礼だったと感じて、真田に対して素直に謝りました。

「あの、ごめんなさい・・・」

すると真田は、

「大丈夫、気にしてはいないから。それと、自分はお風呂は最後で良いですよ」

と、優しく頬笑みました。その笑顔をみて、琴子は思わず頬を赤く染めてしまいます。

(この人って、ちょっとステキかも・・・)

 孫娘がそんな事を考えているとはつゆ知らず、源一郎は再び風呂を勧めます。

「お主は恩人なんじゃから遠慮するでない。そうじゃろ琴子?」

「え?そ、そうですよ。どうぞ、遠慮しないで入ってください」

「琴子、何を慌てているんじゃ?」

「べ、別に!」

「ん?顔が赤いぞ、熱でもあるのか?」

「何でもないったら!」

「?」

 慌てている孫娘の様子に源一郎が首を傾げていると、何となく事情を察した真田が助け舟を出してくれました。

「分かりました。それでは、お言葉に甘えさせて頂きます」

それを聞いた二人は、それぞれ違った意味でほっと胸を撫で下ろしました。

「そうかそうか、入ってくれるか」

「どうぞごゆっくり」

「では、湯加減を見てこようかの」

 源一郎が風呂場に向かった時、真田は、居間でテレビを見ていた銀子と目が合いました。

「こんばんは」

 真田は、にっこりと笑って銀子に挨拶をしてくれたのですが、銀子はと言うと、慌てて目を背けてしまいます。それを見た琴子は妹を叱りました。

「銀子、ちゃんと挨拶しなさい!」

「・・・・・・」

しかし銀子は、黙ったままテレビを見続けています。

「あんたねぇ、いい加減に・・・」

「まあまあ」

怒っている琴子を、真田がなだめました。

「知らない人が来たから、緊張しているんですよ」

「でも・・・」

「私は気にしていないから」

「は、はい・・・」

優しい微笑みを浮かべる真田に、琴子はまた頬を赤らめてしまいます。

「お~い、どうしたんじゃ?」

 その時、いつまで経っても来ない真田に源一郎が声をかけてきました。

「あ、すいません!それじゃまた」

そう言って立ち去る真田を、琴子は胸をときめかせながら見送ります。

(ス・テ・キ~♡)

一方、そんな姉を銀子は、

「・・・・・・」

冷めた眼で見つめていました。


 真田が風呂に入っている間、源一郎は痛む箇所に琴子に湿布を貼ってもらいました。それが終わると、

「さてと」

源一郎は立ち上がります。

「どうしたの?」

「命の恩人が風呂に入ってるのに、何もせんと言うのは失礼じゃろう?背中でも流してやろうと思ってな」

 そう言うと、源一郎は風呂場へと向かいます。

「お~い真田君、湯加減はどうじゃ?」

 源一郎が浴室の扉を開けると、そこにいた人物と目が合いました。

 それは若く、そして、美しい女性でした。彼女は(浴室だから当然ですが)一糸まとわぬ姿で、腰まで届きそうな長い黒髪を丁寧に洗っている最中でした。

 その髪は黒い絹糸のように艶やかでした。そして、肌は透き通るような白さを誇っており、そこに付着した水滴が肌の張りの良さを物語っています。目鼻立ちも美しく、瞳は黒い真珠の様にきらきらと輝いていました。女性は、その目を大きく見開いていきなり入って来た源一郎を見ています。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 二人とも、何がどうなったのかすぐには理解出来ず、黙ったまましばし見つめ合いました。

 最初に口を開いたのは源一郎です。

「さ、真田君は・・・?」

この場に入るはずの人物の事を尋ねました。が、その女性は、

「・・・き・・・・・・」

それには答えず、みるみる顔を引きつらせていきます。

「あの・・・貴女は・・・?」

「き・・・き・・・」

「もしかして、真田君・・・?」

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 女性のけたたましい悲鳴を後に、慌てて浴室から飛び出す源一郎。その大きな悲鳴は当然、他の家族の耳にも届きます。

「どうしたんですかお義父さん!?」

「今の悲鳴は誰!?」

弥生と琴子が居間に入って来た源一郎に問うと、

「いや~、参った参った!まさか女性だったとはの~!」

と、本当に驚いた様子で答えました。

「女性?」

「誰が?」

「真田君・・・、いや、真田さんじゃよ」

 弥生と琴子は顔を見合わせました。そして・・・、

「嘘でしょ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」

母子は同時に叫んでいました。

(あの人って、女なんだ・・・)

 真田の正体に皆が驚いている中、銀子もまた、少なからず驚いていました。しかし、騒いでいる家族を他所に、

(でも、どうでも良いじゃない、そんな事・・・)

心の中でそうつぶやき、銀子は再び、アニメを見続けるのでした・・・。


数年前①完 次回に続く
















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