第3話 仲間

「……実はさっき知ったことなんすけど、彼女に浮気されてました」


 溜息交じりそう言うと、無意識に、ははは、と乾いた笑いを零す。

 すると、滝瀬さんは相槌を打つかのように調子を合わせて「奇遇だね」と呟いた。


 奇遇? それはどういうことだ?

 俺と滝瀬さんの間に縁のようなものがあっただろうか?


「私もカレに浮気されたんだ」

「――え」

「だから私たちは浮気されたあわれな者、仲間なんだよ」


 まさか滝瀬さんも俺と同じで恋人に浮気されていたとは……。

 お隣同士でそんな共通点がなくてもいいじゃないか……。


「なんかこう、せっかくならもっと前向きな共通点が良かったっすね」

「はは、そうだね」


 俺が苦笑すると、滝瀬さんも釣られたように笑みを零す。


「ことの経緯を教えてもらってもいい?」

「……彼女の浮気のことっすか?」

「そうそう」


 滝瀬さんの言葉足らずの問いに、一瞬だけ何を言っているのか考え込んでしまったが、幸いにもすぐに合点がいき、彼女に確認することができた。

 

「そんな面白い話じゃないっすよ?」

「愚痴を聞くって約束したからね。どんな話でも聞くよ」


 楽しい話じゃないと念押しすると、滝瀬さんは見守るような優しい顔付きでそう言った。


 少し冷静になれたことで誰かに話したい気分になっていたし、女性の意見も聞きたかったからこちらに否はない。

 滝瀬さんの優しい表情に安心感を覚えた俺は口が軽くなり、諸々の事情を詳細に説明する。


「――へぇ、彼女が男とラブホにねぇ……」


 手摺てすりに腕を乗せて頬杖をつきながら俺の話を聞いていた滝瀬さんは、説明が終わるとそう呟いた。


「嫌じゃなければ、写真を見せてくれない?」

「いいっすよ」


 ズボンのポケットからスマホを取り出して画面をタップする。

 そしてくだんの写真を表示すると、滝瀬さんの部屋のベランダ側へ寄って彼女に見えるようにスマホを差し出した。


「ちょっと借りてもいい?」

「どうぞ」


 許可を出すと滝瀬さんは遠慮がちにスマホを手に取る。


「枝村くんの言っていた通り、かわいい子だね。ぱっと見だけど清楚な感じだし、浮気するような子には見えないかな」

「ええ、まさかあいつが浮気するなんて夢にも思いませんでした……」

「多分だけど、この子は枝村くんと付き合ったことでいろいろと経験して、タガが外れちゃったんじゃないかな」

「まじっすか……」

「一定数いるんだよね、こういう子」

「確かに男にも初体験を済ませた後、猿みたいに見境なくなる奴はいますね……」

「そうそう、それと同じ」


 滝瀬さんの推測に物凄く納得してしまった。


「経験がなかったからこそ、その反動でタガが外れやすくなっているんだよね」

「親が厳しいと言ってたので、いろいろ抑え込んでいたのかもしれないっす……」

「あぁ~、それはなおさら反動が大きいかも」


 詩織は大学進学を機に一人暮らしをしている。

 厳しい両親から解放されて自由になったのと、俺と男女交際を経験したことで抑え込んでいた理性が爆発したのかもしれない。そう思うと妙に納得できた。


「だから君に悪いところがあったってわけではないと思うよ」


 滝瀬さんはそう言った後、スマホを返してくれた。


「だといいんすけど……」


 俺は受け取ったスマホをズボンのポケットにしまいながらそう呟く。


「自制できなかった彼女さんが悪いんだよ」

「それは……そうっすね……」


 まだ確定ではないけど、詩織が俺に不満があったとか、そういうのじゃない可能性が高まったのは良かった。


 でも、なんか言葉にできない複雑な感情が胸中を駆け巡って気分を上向かせてくれない。

 この消化できないもやもやが胸中でうごめく度に、吐き出し場所を求めて感情が爆発しそうになる。


「ショックが大きくて、いかりよりも悲しい気持ちの方が強いんすよね……」

「わかるわかる。私も前はそうだった」


 訳知り顔で頷く滝瀬さんからは諦念ていねんのような感情が滲み出ている。


「私のカレが浮気したのは今回が三回目なんだけど、一回目の時はいかりが先行したよ」


 滝瀬さんはそう言うと肩を竦めた。


「でも二回目は悲しい気持ちの方が強かったね」


 今度は苦笑する。


「そして今回はいかりと悲しみを通り越して、呆れ果てて言葉も出ないって感じかな」

「それは災難でしたね……」


 俺は思わず彼女に同情の眼差しを向けてしまう。

 三回も浮気するとか、それはもう常習犯ではないか。反省する気も改める気もないじゃん。


「若いなら仕方ないか、とも思えるんだけど、カレもう三十だよ? いい歳して何やってんの? って感じだよ」


 若いなら仕方ないって思えるんだ……。

 既に浮気を二回許しているわけだし、滝瀬さんって寛容なんだな……。


「彼氏さんは年上なんすね」

「……あれ? 枝村くんに私の歳を伝えていたっけ?」


 不思議そうに首を傾げる滝瀬さん。

 その仕草がいちいち色っぽくて堪らない。


「いえ、ただ、滝瀬さんは美人ですし大人っぽく見えますけど、三十には見えないので、二十中盤くらいかな? と勝手に思ってました」

「……嬉しいこと言ってくれるね」


 滝瀬さんは照れを隠すように髪を掻き上げる。


「私は二十五だから正解だよ」


 まさか本当に当たっているとは思わなかった。

 でも滝瀬さんは大人っぽいから三十くらいでも違和感がないと思う。

 実年齢より若々しい外見をしている人もいるし、彼女がそういうたぐいの人だとしても全く不思議ではない。


「枝村くんは確か大学二年生だったよね?」

「はい」

「ということは今年二十歳?」

「です。まだ誕生日来てないから今は十九ですけど」


 このアパートに越してきて滝瀬さんと最初に会った際に、大学に進学したことが引っ越しの理由だと伝えていた。

 そのことを彼女はしっかりと覚えていたようだ。


「十個も違うのにカレより枝村くんの方がしっかりしているな~」


 溜息交じりそう言った瞬間――少し強めの風が吹き、滝瀬さんの髪がなびいた。


「少し肌寒くなってきたね……」

「そうっすね」


 両腕をさする滝瀬さんはチラリと自室に目を向けると――


「話の続きは私の部屋でしようか」


 と口にした。


「――え」


 まさかの発言に俺は目を見開く。


「い、いや、さすがに恋人がいる女性の部屋にお邪魔するのは気が引けるんすけど……」

「大丈夫大丈夫」

「そうは言ってもですね……」

「私も枝村くんも恋人に浮気された身なんだから、それくらい問題ないでしょ。私のカレも君の彼女さんも文句言う筋合いないんだし」


 確かに……。

 仮に俺が浮気しても詩織に文句を言う筋合いはないだろう。

 いや、浮気する気はないけどね?

 そもそも滝瀬さんと浮気するわけじゃなくて、ただ話をするってだけだし、やましいことは何もない。


「というわけで、こっちおいで」


 滝瀬さんはそう言うと、俺の返事も聞かずに姿を消した。

 おそらく自室に戻ったのだろう。


「……」


 置いてけぼりを食らった俺は、どうしたものか、と途方に暮れる。

 しかし、いつまでも考え込んでいる暇はない。

 自室に戻ってしまった滝瀬さんに声を掛けることなんてできないし……。


 正直言うと、滝瀬さんの誘いは非常に魅力的だ。彼女のような素敵な女性に誘われて嫌な男など存在しないだろう。

 とはいえ、滝瀬さんには恋人がいるし、俺にも彼女がいる。だから倫理的にどうなのか? と考えずにはいられない。


 体感では物凄く長く感じた時間――実際は一分も経っていない――悩んだ結果、俺が出した結論は――


「まあ、いっか」


 思考の放棄であった。

 決して誘惑に負けたわけでない――と自分に言い訳をしながら滝瀬さんの部屋へ足を向けた。

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