第19話 娘、香織のお膳立で和解

「いや俺ははっきり君に謝ったこともなかった。君が離婚を切り出し時に何故止めなかったのか後悔もしている。ただ詫びて済む問題じゃないと、何も言えなかった」

「……」

 早苗はなにも言わなかった。返事の代わりに涙が零れ落ちるのが見えた。

 零れ落ちる涙に俺らしくないが早苗にハンカチを渡した。早苗はコクリと頭を下げ、ゆっくりと話はじめた。


「お互いに離れていて気づくことがあるのね。私も一人になって沢山気づくことがあったわ。いくら貴方と別れようとしても、貴方と歩いた三十数年の歴史は簡単に消えないものなのね。孝之の結婚は私と貴方が居なければ、多分こんな話し合いをする機会も、なかったでしょう。子供は鎹(かすがい)と言いますけど本当ですね。孝之もそして香織も立派になったわ。私よりも貴方の背中を見て育ったかも知れないわ」

「いや俺は消そうにも消せない過ちを犯した。現実にはもう一人息子が居る。君には耐え難い恥辱だろう。でも俺の責任でその子が成人して一人前になるまでは育てなくてはならないんだ」

「もうその事はいいわ。その子には何も罪はないもの。でも貴方には責任があるわね。悔しいけど褒めてあげる。中には責任逃れする人もいるけど」

「こればっかりは褒められてもなぁ。とにかく君に長年辛い思いをさせた事は詫びる。それと夫婦っていいなと思ったのは幸造さん夫婦を見ていて特に感じたよ」

話は若干、逸れたが早苗は合わせて来た。

「そうかぁ光江さんは幸せなんだ。学生の頃は一番仲のいい友達だったのよ」

「そうらしいね。うん本当に仲の良い夫婦だったよ。羨ましいほどにね」

 俺達は二人で一緒に居た時に、こんな会話を交わした事があっただろうか

 まるで離婚していたのが嘘のように会話が弾んだ。


「処で君はまだ一人で居るのか」

「何を言っているのよ。当たり前でしょ。だってまだ離婚届は箪笥に閉まったままだもの」

「なんだって? どうして出さないんだ。君は自由になりたかったんじゃないのか」

「自由になったわ。半年だけど。でもこんなおばさんが今更自由を手にしても、どう羽ばたくって言うの?」

「そりゃあ、お洒落をしたり友達と遊んだり……」

「じゃあ貴方は一人になって羽ばたけたの?」

「いや一人になって、幸造さん夫婦みたいになりたいなと思った」

「それって何? 再婚したいって言うの?」

「今さら再婚する気はない。ただ君が戻ってくれたら、やり直せるかなと思って……」

 知らない内に妻の誘導に嵌まり込んでしまった。


 俺は確信した。早苗が戻ってくれると。もう威厳なんて必要がない。男は黙って頭を下げるべきだと。

「あの~この通り甲斐性もない俺だけど戻って来てくれないか?」

「…………」

「駄目かなぁ」

「私こそ戻っていいの? 私も貴方を分かろうとしなかったわ。確に顧み(かえりみ)ない部分もあったかも知れない、でも貴方は私と子供達に、なに不自由のない生活を与えてくれたわ。私は田舎者だから優雅な生活が幸せかどうか分からなかった。父は市会議員でお金には苦労した事がなかったけど、でも改めて知ったの、この不景気で仕事もなく一家心中する家族を最近だけど偶然出合ったの。私は身震いしたわ。だからって贅沢したい訳じゃないけど、質素に貴方と残りの人生を暮らせればそれでいいの」

 俺達にはそれ以上の言葉はいらなかった。


つづく

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