第33話 ◆太郎の注釈

 人形の物語を、どんな風にまとめればいいだろう。

 可哀相なヒロインをより可哀相に、可愛らしく。悲劇は衆目を集め、その後の成功は英雄譚となる。しかし、そこまで描く必要はない。


 成功は不要だ。

 なにせ彼女には、途上だからこそ輝くものがあるのだから。


 物語を描き終え、それをWEBに公開した。

 これで、少なくとも人形に関して言えばすべてが終わったと言っていい。後は結果を待つばかりだ。


 そう、終わった。


 だから、これは僕自身の物語として確かめなければならないだろう。

 なぜ、田所は生きていたのかということを。果たして人間は本当に死ぬことができないのか。もしそうでないのだとすれば、それは様々な選択肢の一つになり得るだろう。


 ということで、僕はさっそくナニカにメッセージを送った。彼女はすぐに会えると言ってくれたので、僕はすぐに彼女の家に向かった。


 ナニカのマンションに向かうと、勝手に入るよう伝えられたのでノブを回すと鍵がかかっていなかった。相変わらず雑然とした部屋の奥で彼女はパソコン作業をしていた。


「早かったデスね、太郎さん」

「いいえ、よかったら何か飲みマスか? ウイスキーしかないデスが」


「未成年なので遠慮します」

「なんの病気もないこの時代に、飲み物を選ぶことの意味の無さについてどう思いマスか?」


「……それはたしかに、言われると……」


 彼女は冷蔵庫からボトルを取り出し、琥珀色の液体をグラスに注いだ。出されたそれを喉に流し込む。むせるほどのアルコールと、形作られる喉。


「まっず」


 咳き込む僕を、無表情でナニカは見ていた。


「ナニカさんは飲まないんですか?」

「ナニカはアルコールは飲みません」


「じゃあこれは?」

「未成年に対する嫌がらせ用デス」

「それは趣味が悪いですねぇ」


 この人は出会った頃から何を考えているかわからない。


「質問があるんですが」

「ええ、そうだと思っておりまシタ」


 僕はスマホを取り出した。それを見せて、彼女に訊ねる。


「以前、ナニカさんは教えてくれました。スマホの発光によって、人間がコントロールされていると。そして保護フィルムをくださいました。これがあれば、その発光を防げるからコントロールから免れる、と」

「そうデスね」


「光を使えば、脳のコントロールができる。それを阻害するフィルムを作ったナニカさんは天才なんでしょうね」

「いえ、これはそんなに難しいものではないデスが」


「聞きたいことはここからなんですが、光を通して脳に与えられる影響は、他にもありますか?」


 ナニカは首をかしげた。

 僕は言葉を継ぎ足そうと言葉を探す。


「例えば偽の、一生分の記憶を植え付けるとか」

「いろいろ訊ねたいことがあるようデスが、それに答えることでナニカに得はあるのデス?」


「それは、もちろん」

「なんでしょう?」


「僕は、ナニカさんの仲間になれると思っています。ナニカさんは桃娘を不要だと考えて活動し、それをなくそうとしている。僕も同じ方向を向いている」

「もし太郎さんが桃娘を不要だと考えているとして、それはナニカに誘導された可能性はありませんか? フィルムを渡したのはナニカ。太郎さんはナニカにコントロールされているだけなのデス」


「それは問題あるでしょうか?」

「太郎さんの考えていることを正確に把握しなければナニカは危険に晒されるでしょう。例えば太郎さんが桃娘に利する立場だった場合、ナニカを下手に誘導して犯罪者に仕立て上げれば、再び桃娘にされてしまい自我を失ってしまうのデス」


「……なるほど。まぁ僕は信用出来ないですよね」


 実際問題、僕はナニカに何も見せていないのだ。太郎は、頭を捻る。彼女には一体、どんな言葉が響くのだろうか。


 ナニカは驚くほどいつもと変わらない表情で太郎を覗き込んでいる。しかし、そういった彼女の態度は要するに、僕に対する興味に他ならない。あるいは、僕の奥にある『彼女』だろう。


「僕が信用できなかったとしても、僕は空乃ヒカリさんと親しいかもしれませんよ?」


 それは幸福大臣の一人娘。

 深窓に閉じ込められたお姫様。

 桃娘政策に関する確実なキーマンの一人。


 言葉を聞いて、初めてナニカの口元が緩んだ。ように見えた。

 ナニカは言った。


「確かに、ナニカも彼女と仲良くなりたいものデス。あなたと仲良くなるのも悪くない。いいでしょう。質問に答えマス」


 彼女のシナリオは僕のそれとは別だとしても、欲しいものはきっと同じだ。ガッツポーズを我慢する。それにしても、こんな感情は桃娘であれば味わえない。


「発光によって偽の一生分記憶を植え付けることができるか、でシタね? 結論から言えば不可能です」

「不可能……ですか」


「脳の認識できる容量以上の記憶情報を送っても、それは処理落ちが起こるだけデス」


 淡々と話される言葉に、太郎は落胆を覚えた。


「いえ、少し勘違いしていたみたいで……。すみません」

「他人を別の人間に書き換えたい願望があるのデスか?」

「まさか! ただ、そういうことができるのかと思っただけです」


 ナニカは少し頭を悩ませたのか視線を泳がせた。


「もしナニカがそれをしたいとすれば、送る記憶情報は限定して、他は目的のみを植え付けマス」

「目的を、植え付ける?」


「ええ。ところで太郎さん、あなたが右手を上げたいとして、脳はどんな指令を出しているか知っていますか?」

「指令? ううん、肩の筋肉を縮めて、とか手首の裏の筋肉を縮めて、とかそういう感じですか?」


「少し専門的な話をしマス。自由エネルギー原理によれば、指令はもっとシンプルになりマス。そうやって、一つずつ進めなくとも、最終形がわかっていれさえいればいい。太郎さんが手を上げたときの体の状態がわかっていれば、あとは脊髄反射と同様の処理で手を挙げることが達成されてしまうのデス。ただ単純に、その状態にするだけ。つまり、目的が明確であれば計算や思考というのは不要なのデス」


 息もつかず、ナニカは続ける。


「別の話をしましょう。脳――特に左脳は、物事に対して勝手なストーリー作りをしてしまいマス。ある実験では、左右の脳の認知を調べるために、右脳と左脳が神経学的に分離されている患者に対して左右の目で別々の絵を見せて、その後にその絵と関連するものを選んでもらったのデス。このときは神経はクロスしていマス。右目、右手は左脳、左目、左手は右脳に繋がっていマス。そして、患者に対して右目に鶏の写真、左目に雪だるまの写真を見せたのデス。次に、患者に見た映像と関連する写真を選ばせる課題で、彼は左手でシャベルを選び、右手で鶏を選びまシタ。なぜそれを選んだのか。患者に説明を求めると右目、つまりは左脳で見た鶏に関しては正確に説明できまシタ。一方左目、つまりは右脳で見た雪だるまに関しては、右脳ではうまく説明できません。左脳はといえば直接雪だるまを見ていないため、それに関連付けてシャベルを説明できません。結果として左脳の見た鶏に引っ張られ、『ゲージを掃除するためにシャベルを選んだ』と嘘の説明をでっち上げたのデス。本当は雪だるまから連想したはずなのに」


 なんとも適当な判断と、適当なストーリー。


「いいですか太郎さん。ゴールを与えられれば、人間は余白を埋めマス。都合のよいストーリーを信じ込めてしまうのデス」


 少量の記憶の断片と、何らかの目的。

 自分はなんなのか、なんてことは後は勝手にストーリーづけしてしまう。


 人間とは、なんて適当なのものなのだろう。


 そしてナニカを信じるのであれば、僕の想像は当たっていたということだ。


 なんだ。


 やっぱりそうなのだ。


 それはとても怖い想像で、僕はそれが外れて欲しいと思っていた。だからそうでないのであれば、自分とは一体何なのだろうと思ってしまう。


 田所や他のナチュラルたち。彼らをどれほど殺しても、彼らは普通に生き返っていた。僕たちは何度ヒトハンで致命傷を負ったとしても、その後の治療で平然としていられた。百歩譲って、肉体がもとに戻るのは理解できる。遺伝子情報通りにタンパク質を組み上げていけば体は新品として出来上がっていくだろう。だから、それはわかる。いくらボロボロになったとしても、壊れた部分を新しいパーツに付け替えれば問題なく動くのだ。


 でも、自分という記憶は?


 僕はヒトハンで脳を破壊されたことがある。もっとも具体的には、頭をショットガンで撃ち抜かれた記憶がある。更には田所の脳をこの手で破壊したことだってある。しかし僕は普通に昔の記憶を持って生きているし、田所も脳を破壊したあとに復活し、僕の名前を口にした。記憶とは、神経細胞間の接続の変化によってもたらされている。だとすれば、脳を破壊した後に僕の名前を口にすることや、直後に歩いたり、生後の活動によって獲得した行為を行うことなんてできるわけがない。


 じゃあ、彼はどうしてそれができたのか。


 光を受けるときに、彼は一緒に少量の記憶と、何らかの生きる意味を植え付けられたのだ。そして記憶の空白は、田所の左脳が勝手にストーリーを生み出した。それによって、田所は新しい田所になったのだ。記憶の断片や目的が、もとの田所自身の脳から復元されたものか、あるいはまったく一から作られたものかは調べる余地はある。


 しかし、いずれにせよ。


 僕たちはすでに、僕であるということが崩れている。僕であるという連続性を失っている。

 毎度毎度、世界五分前仮説よろしく新しい精神が上書きされている。体という器は何でもいいし、乗せる記憶もなんでもいい。ただ、この人間世界をそれっぽく保てるのであれば、僕は僕である必要さえない。


 僕、なんて一人称は、吹けば飛ぶような不確かなものだった。


 僕たちは何度も死に、そして。


 僕たちはそもそも。

 生き返ってはいなかったのだ。


「あなたは、笑っていマスか?」

「あれ? そうですか。はは、少しびっくりして」

「桃娘を戸籍として生きるのであればつまり、なんども何かがあったのデスね。それで、どうして笑えるのデスか?」


 僕の態度から、僕が何を察したのかはナニカに伝わったのだろうか。あるいは僕の辿り着いた想いなんて、彼女はとっくに通り過ぎた後なのかもしれなかった。


「だって、面白いじゃないですか。こんなにおかしなことが自分の身に降り掛かっているだなんて!」


 生まれたばかりの、偽りの記憶を刷り込まれた僕。


 連続性がなく、ただ消費されるだけの刹那的な存在。


 一体漫画にすればどんなストーリーになるだろう!


「狂っていマスか?」

「まさか、壊れていない人がいるとでも?」


 そうだ。こんな世界に生きていれば、誰もがどこかしら壊れてしかるべきじゃないか。それを強引にごまかすために確かに桃娘は必要かもしれない。


 なんと有用で、圧倒的な必要悪。


「あなたはそれを理解したとしても、そこに取り憑かれるべきではないデスね」

「へぇ。ナニカさんはこんなフィルムを配る活動をしているのに、取り憑かれていないんですか?」

「ええ、感情は切り離していマスので」


 詭弁にしか感じない言葉は、もはや僕に響かない。


「感情を切り離す? そんなことができるのかな。少なくとも僕は感情で動いているから、それはできそうにないですね」

「できマス。先程行った通り、脳ができることは光でコントロール可能なので」


 あっさりと言われた、あまりにもマッドな言葉。

 つまりそれは感情論ではなく。

 彼女の辿り着いた正当防衛。


「つまり、ナニカさんは何らかの光で自分をコントロールしているんですか?」

「ええ、効率がいいものデスから」


 自分が排除しようとしている桃娘に対して使われる技術を応用し、自分自身をコントロールしている。それはある種のダブルスタンダードだが、それは僕を戦慄させるような壊れ方だ。


 彼女はそこまで壊れてさえ、桃娘を排除させたいのだ。

 今度こそ、僕の持っているカードを示そう。僕たちは多分、同じ方向を歩めるはずなのだから。


 僕はきっと、普通に感じて普通に生きて、普通に死ねるような世界に夢見ている。だからこそ、きっとナニカに会いに来たし、ナニカの目指しているものもそこから遠くないはずだ。

 僕は一度口を引き結んだ。


「ナニカさん」

「なんデスか?」


「ナニカさんはヒカリさんを有用だと見込んだのだとは思います。でも、僕も結構役に立つと思いますよ。僕は多分、ナチュラルをコントロールすることができます。僕を使えばいずれ、桃娘という階級をなくしてしまう手助けができるでしょう」

「大きく出マスね」


「証拠を見せましょう。クラスメイトを一人、桃娘からナチュラルに戸籍変更させてみせます。もう何日か後に、確実に」


 ナニカは相変わらず僕をじっと見ていた。

 表情の変わらない彼女は、いつだってその心の内を見透かすことができない。

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