第31話 お母様の自信

 二年近く一緒に暮らしたものの、私は未だ人形のことが受け入れられなかった。家で食事をとるとき以外は一緒にいたくなかった。登下校も時間をずらすようにしてもらったし、お母様が言うように勉強の相談をするなど以ての外だ。


 確かに、人形は勉強ができるようだった。彼女はいきなり定期テストでトップテンに入る成績を叩き出した。それも私の見ている範囲では勉強している様子はないのに。


 お母様がいない夕食時に、私は尋ねた。


「いつ勉強してたの?」

「以前はヒカリが学校に行っている間に勉強していました。最近は学校でさせていただいておりますので」


 サラリと言うが、要するに彼女は桃娘だから頭が良いわけではなく、桃娘の中でも抜きに出ているのだ。


「そんなに勉強できるのに、どうしてうちでメイドなんてしてるわけ?」


 人形は首を振る。


「むしろ逆かもしれません。お屋敷に招かれる以前に通っていた中学で成績が良かったので、ツキ様に呼んでいただけたのだと思います」


 桃娘に義務教育はない。一応、ナチュラルと同じように高校や大学を出ることが一般的だが、しかしそうならなくとも問題がない。それは桃娘地区をナチュラル生活区と同じような水準を保つためにさせていることであって、究極、生み育てることができ、共同体を構築できれば小学校を卒業していなくとも問題がない。そして、共同体を構築することは温厚で、自分のメンタルのコントロールが極めて得意な桃娘にとって造作もないことだった。


「でもさ、それだけ頭良かったらさ、他にやってみたいこととかないの?」

「他? 他ってなんですか?」


「分かんないけど、科学者とか、政治家とか」

「それらの職業になれたら素晴らしいことかと思います。でも、仮にそうならなかったとしても私は素晴らしい人生を歩めるのだと信じています」


 人形がそんなことを言うのが信じられない。ここ数年は本当に桃娘に対する扱いは変わってきており、それは何をしても構わない奴隷だった。ヒトハンは桃娘地区の各地で行われ、日に日に頻度が増えているようだった。


 それはつまり、そこで蹂躙される桃娘が増えていることを意味するし、おそらくヒトハンが行われることで普段のモラルも低下していた。わざわざ桃娘地区にやってくるナチュラルの中には、ただ痴漢が目的のものもいる。しかし桃娘はそれを犯罪と認識しないし、法的にも問題がない。


 私からしてみればそれらは地獄で、泰然としている彼女は理解できない。しかし、それが彼女だ。それを理解した上で、私は聞いてみたかった。


「どれもこれも素晴らしいよね。わかるよ。いや、わかんないけど。でも聞きたいのはそういうことじゃなくて、一番は何かってこと。あなたの一番を教えてよ。人形が将来なりたいものはなに?」

「……俳優に、憧れることはありますね」


 賢くて従順な人形から出てきたのは意外な言葉だ。


「ドラマとかでるの?」

「ええ。何より映画に携われたらなって、思うことはあります。好きなんです。映画」


 常にポジティブな桃娘の感覚の中での、とりわけ好きなもの。そういうものがあると聞くだけで、私はいっきに彼女が身近になってしまう。


「じゃあ、目指したら良いじゃん」

「いえいえ、どうやって目指したら良いかわからないですし。私には楽しい日々もありますからね」


「……人形はさぁ、ヒトハンにあったことはある?」

「ありますよ」

「それって嫌じゃないの?」


 私は当たり前のことを聞いたつもりだった。しかし、人形は本当に可愛らしく小首を傾げたのだった。


「人のためになることをやって、どうして嫌なのでしょうか?」


 純粋な歪み。


 感覚の欠如。


 私は人形を助けたく思い、同時に恐ろしくもあった。


「そうだよね。あんたはそう思うよね」


 私は朝食を食べ終え、バッグを持って玄関に向かう。すると、ちょうど帰ってきたお母様に出会った。


「おかえりなさい」

「ただいま、ヒカリさん。これから学校?」


「ええ。お母様はいつもお疲れ様です」

「本当に」


 お母様は笑った。

 疲れの色が浮かぶ表情で。いくら肉体的なケアを日々行ったとしても、桃娘と違い精神摩耗は日々積み重なる。桃娘地区の拡大化を目論む幸福大臣であるお母様は、現在ものすごい敵対勢力による抵抗にあっていると聞いていた。


「お仕事は順調でしょうか?」

「ええ、原始人たちはまだ人類の進化を受け入れられないでいるけれど、それも時間の問題よ。いずれみんなわかってくれるわ」


 駅前でのデモ活動や、ナニカたちのよく見えない動き。確かにそれらは一筋縄ではいかないものだと思った。しかし、お母様はそうではない。常に誰とでもわかりあえると思っているし、わかりあい、考えが統一されていくことこそが正しいと信じていた。ときには反対側の意見もわかっている様子を見せたり、別の意見を言ってみたりすることもある。それでも最終的に目指す目標を、いつだって達成できると信じている。


「お母様は、抵抗運動をする人たちが怖くないんですか?」

「怖いわよぉ。彼らは何するかわからないんだから。私には心強い仲間がたくさんいるから大丈夫ね。ヒカリさんもそうでしょう?」


 私は曖昧にうなずいた。


「……自分の推し進める未来が、間違っているかもしれないって思って、怖くなることはないですか?」

「ないわ!」


 私の弱気を、お母様は簡単に切って捨てた。


「だって私に見える未来が絶対に正しいんだものっ!」


 なんという強さ。

 私はお母様のことが自分の母親だとは思えない。そうやって思い込める力こそ、彼女を大臣にまで押し上げた力の源泉なのだろう。それは素直に羨ましいし、同時に恐ろしい。


 私はお母様と入れ違いに自宅を出て学校に向かった。抵抗勢力が怖くないと言ったお母様。駅につくと、そこでは政党名の書かれた幟を立てて演説する人々の姿があった。


 中心でマイクを持っている人はまだ若く、通りの人々が無視するのを気にせず懸命に話し続けていた。


「桃娘は人権侵害だ! 桃娘をもののように扱うのは、自然の摂理に反している! 今すぐ手を取り合って、同じ条件で生きていこうじゃないですか!」


 こんな人がこんな場所でいくら声を上げたって、きっと何も変わらないのに。この人はきっと、お母様よりもずっと弱い生き物なのだ。


 私は気がついたらその人の前に立っていた。


「お嬢ちゃんは、多分ナチュラルだよね? ここにいれば、どれほど桃娘が虐げられているかわかると思う。桃娘禁止法に賛同をしめしてくれるかな?」

「どうして桃娘を禁止することは広がらないんですか?」


「それは当人が望まないからだよ。だから僕はここで一人でも多くの桃娘に話を聞いてもらおうとしているんだ」


 だとすれば、ここで何を言っても無意味じゃないか。だって桃娘は、桃娘が素晴らしいと信じているんだから。


「無理に決まってる」


 思わず漏れた言葉にも関わらず、彼は一層笑顔を向けた。そして一枚の紙を取り出した。名刺のような紙だった。


「ここに行ってみるといい」


 桃娘技研という所属と、小衣こいるいナニカという名前。


「僕の役割は誰かにものを伝えることじゃなくて、君を見つけることだからね」

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