第29話 田所の殺害②
その日の放課後、人形と帰り道を歩いていたときに、彼女は言った。
「つまり……死んでいないということでしょうか」
殺して生き返ったわけではない。ただ単純に、人間の死とは僕たちが思うよりもずっと遠いところにあるという考え方。
それも考えないこともなかった。桃娘地区でだって大怪我のニュースは入る。交通事故に会う級友もいれば、電車に飛び込む人を見ることもある。そして彼らは確かに生きている。もっとも、それが直後の処置だから助かるのではないかと思っていたわけでもあるが。
でも、本当に死んだとして、医学的な死は本当に生物的な死と直結しているのだろうか。例えば心臓が止まったとして、それはすなわち人間の死なのだろうか。
確かにインフラが着たときに田所は死んでいた。まだ何らかの判断基準で彼が生きていたのだとすれば。
だとすれば、自宅でやったことが問題だったのかもしれない。もっと医療班がすぐに到達できない場所で実行すれば、あるいは。
「今度は、山奥で実行しよう」
おそらく田所が再びカフェに来ることは無いだろう。ただ、人形をひどい目にあわせたナチュラルは彼に限らないので、ケジメは別の人間で代用することとした。方針を決定し、再び桃娘たちに協力を依頼して外の人を捕まえた。田所ではなかったが、その男もヒトハンで人形に乱暴したとのことで、その顔を人形が覚えていた。
僕たちは男を大人数で殴って気絶させた。そしてスマホの電源を切り、ラグビー部の大柄な同級生に男を担いでもらった。ラグビー部は「こういうときこそ俺の出番だな!」と極めて快活に語っていた、他のクラスメイトも含め、なんとも朗らかに太郎たちに協力してくれるものだ。
桃娘地区にある桃娘山は標高一五八三メートル。鬱蒼とした木々は昼間でも暗い。自動運転で森の手前までいったらそこからはおぶって運ぶしか無い。足場も悪い中ではあるが、ラグビー部の彼は気絶した男をおぶっていても軽快だ。
だいぶ進んだところで男をおろし、彼には帰ってもらい人形と僕だけになる。僕たちはそこで彼の息の音を止めた。ただしここからが問題だ。
彼は本当に死んだだろうか。
僕はそれが気になって、すでに死んだはずの男を凝視していた。
「死んだように見えるけどな」
「ええ」
その場で僕たちは座って肩を寄せ合った。もし生き返るとしても、その場面を見届ける必要があったから帰ることはできない。肩越しから感じる人形はたしかに温かいのに、彼女からは生気が抜けていた。それでも、事故にあっても死なないのだろうが。
「このままこいつが死んだらさ、ケジメになるかな」
「さぁ、わかりません」
僕たちは何もわからないままただただ時間を過ごしていた。そして、二時間ほど経った頃だった。まるで当然のようにインフラがやってきて、僕たちの目の前で男をパック詰めにしていった。まるで僕たちが見えていないかのようなインフラに対して僕は尋ねた。
「治りますか?」
「治らないと思ってたんですか~?」
インフラはどうしてここがわかったのだろうか。地球の近距離を無数に飛び回る衛星による映像か、もしくは体内になんらかの発信機でも取り付けられているのだろうか。わけがわからない。
排水し、処置が終わると彼はすごく元気になって、一人で山を下っていった。インフラは言った。
「お疲れ様でした~」
僕たちが何をしても、何ら結果に影響がなく、だからといってそのまま立ち止まってしまうことは地獄を受け入れることになる。僕と人形は呆然と更にその場で座り、いつともなく立ち上がって山を下った。カラスの鳴き声が妙に耳に障る。
僕たちはその後も何度も実験を繰り返した。ある日は事前に大穴を開けておき、インフラが来る前に埋めてしまったこともあった。別の日はおもりを付けて湖に沈めた。いずれの方法でもインフラはその現場にたどり着き、怪我人を救出、治療し元通りにしてしまうのだ。ケジメは一向につかず、僕たちは途方にくれていた。
僕たちは一緒にいる時間が増え、引き続き作戦を立て続けた。その日はカフェで時間を過ごしていた。なんだかお互いに痩せていくようだった。
そんなときだった。
「ああ、お前ら!」
入ってきたのは田所だった。しかし、僕たちに気がついた瞬間に踵を返し、そしてカフェを後にした。
「またきたんだな」
スマホを手にして、チャットアプリを取り出した。そして近くにいるクラスメイトを集めて田所を捕まえるように指示を出す。それはすぐに実を結び、捕まえましたとのメッセージを受け取った。
二人は太郎の家に向かい、クラスメイトにはそこに田所を連れてくるよう伝えた。後ろ手に結ばれた田所は蹴り出されるように太郎の部屋に入れられ膝をついた。
「なんでまたきたのさ」
太郎が尋ねると、田所は震えながら笑った。
「そりゃ、生きてると嫌なことがあるからな」
田所の顔面を、人形は強く蹴り飛ばした。田所は悲鳴を上げて床に倒れ込んだ。人形は田所の髪の毛を掴んで、強引に目を合わせる。
「自分が嫌なら他人を嫌な気持ちにさせてもいいと思ってるんですか?」
「いや、そんな! 君たちは、ほら、何も感じないんじゃ……」
「ムカついてるよ」
田所の顔面を踏みつける。人形はその足にどんどん力を込めていく。
「私は本当にムカついてるし、心底キモイと思ってる」
どれほど暴力を繰り返しても、人形がやられたことがなくなるわけではない。それでも人形はそうするしかないのだろう。
一方で僕は、田所の言葉を考え込んでしまった。もし何も感じないとすれば、何をしてもいいのかもしれないと、一瞬よぎってしまったからだ。確かに太郎は、保護フィルムを貼るまでは何も現状に問題があるとは思っていなかったのだから。この身に何が起ころうとも平穏な日々が過ぎているし、確かな幸福を日々感じていたはずだ。
だとすれば、今すべきことは保護フィルムを剥がすことなのでは? そうすれば再び太郎はすべてを好意的に解釈することができる。そうすればすべて幸せになる。それはわかっている。しかし太郎は、もうそうしようという気力が沸かなかった。それは自分が自分でなくなってしまうことだからだ。
では自分とはなんだろう。何が一体、自分を自分たらしめるのだろう。
「脳かな」
太郎は不意に漏らしていた。
「……脳ですか?」
「そうだ。脳を壊せば良いんだ。だって自分っていうのは、脳なんだから。脳が僕を自分だと思わせてる。そこが壊れていないから、多分どんな怪我を負っても治るし、自分が自分だと感じると思う。でも脳を壊せば、記憶だって抜け落ちると思うし、修正できてもそれは別の人間かと思うんだ。脳を壊そう」
そうだそれに違いない。そう思ったが人形は恐ろしいものをみるように太郎の方を見ていた。その視線に急に不安になる。
人形は、言った。
「わたし達、変わりました」
「……ああ、そうだね」
本当に、こんなはずではなかった。それなのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
「反対してるの?」
「いいえ、ただ変わってしまったって、思っただけです」
田所は太郎が監視し、人形にはノミと金槌を買いにホームセンターに向かってもらった。その間、暇だったので太郎は田所の口のガムテープを剥がした。田所の息は浅いが、意識はあるようだ。
「僕とあなたは、どっちが不幸ですか?」
田所は答えない。それはそうだ。なにせ太郎も田所も、同じ世界を生きているのだから。
太郎はいくらか質問をしたが、田所がまともに答えられる状態になかったのでベッドにすわり人形を待った。
人形が戻ってきたので作業を再開した。
「殺してもすぐにインフラは来ないはずだよな」
太郎はまず田所を何度も殴って気絶させ、そして心臓にナイフを突き立てた。その後、太郎と人形は二人がかりで田所の頭をかち割ろうとした。人形が田所の頭をおさえてその頭にノミをつきたて、そして金槌で思い切り叩いた。一度二度と、頭蓋をすべり失敗したが三度目の打撃でついに粉砕する感覚があった。頭蓋に亀裂が入ったと思われるので、今度は肉切り包丁で肉を切り裂いていく。ピンクや黄色でとても鮮やかな肉の中に、一部粉々になった頭蓋骨。その中には脳が埋まっている。
怪我をしても、致死状態になっても復活する現代の医学である。しかし脳が完全に破壊されれば復活する道理はないだろう。右手にナイフを携え、そして覚悟を決めそれを眼の前の孔に突き立てた。太郎は何度も吐きながら作業を終えた。人形の血の気は完全に引いており、蒼白の顔面に目が見開いていた。
そして、予定通り遅れてインフラが駆けつける。
「あら~、大変ですね~」
なんで彼らは、これほどまでに平然としていられるのだろう。おそらく彼らは、より強力な
「それでは失礼しますね~」
インフラに対しては、何度挑んでも敵うことがなかった。だから彼らが田所を連れ出すのを黙ってみていた。ドアから出ていこうとしたところでインフラは言った。
「何度も繰り返すと、対処が必要になりますよ~」
インフラはいつも何を考えているかわからない。
「対処って、殺してもらえるってことですか? それなら望むところなんですが」
「希望的解釈は真実とは程遠いものだと考えたほうが無難ですね~」
田所は下の階に連れて行かれ、僕たちも急いでついて降りた。ぐちゃぐちゃになった田所の体がパック詰めされ、そして溶液で満たされる。その中でまるでそれぞれの肉片が別個の生き物のように集まっていき、大きな塊に結合してゆく。まるで虫にたかられるように。
僕たちに背中を向けたままインフラが言った。
「あなた達は人を殺すこともできないし、期限まで死ぬこともできませんよ~」
知っていたかもしれない、死よりも重い宣託。
「あまり余計なことをしないでいただいた方が仕事が増えないので助かりますね~」
排水が始まって、そして田所の形をしたそれがパックを破って出てきた。彼は血走った目で太郎を見て、息を荒くした。
「じゃあピカッとしますよ~」
機器を当てると、すぐさま「元気いっぱい!」と陽気な声を上げた田所は「さようなら、太郎くん」と場違いな挨拶を残し僕の家から出ていった。
それからぞろぞろと生命インフラたちも出ていき、僕と人形は取り残された。
人形を見た。
彼女は瞳孔が開ききり、まるで薬物で侵されたかのように気の抜けた表情を浮かべていた。それは今までの被害妄想に包まれた人形からさらに一歩進んだ表情に見えた。
ああなんて可哀相。
どうしてこんなに可哀相。
ただ死にたかっただけなのに、彼女は隣のクラスの男子に誘われて決して報われない猟奇殺人につきあわされている。それを望んでると思っているし、そんな自分が信じられないのだろう。
これほどまでに可哀相。
どうしたって可哀相。
確かに彼女を受け入れられない人もいるだろうが、しかし可哀相には違いなく、それは要するに可愛いということなのである。
ああ人形、君は素敵なヒロインだね。
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