第25話 ヒロインとしての人形
どんな物語であればヒロインは輝くのだろう。
最近は漫画を制作する上で真っ先にその点を考えていた。それは、あの日ヒカリが自分をモデルに漫画を描いてと言ってきて以来、常に頭を悩ませる問題だ。
なにせヒカリがモデルである。実際の彼女の良さを引き出しつつ、更に漫画なりの魅力を添加する必要がある。そして彼女が読んで納得感のあるキャラクターにしなければならないのだ。それは重要な訓練である一方で、面白さの阻害要因になる気もした。
例えば、うんこを食べるみたいなあまり変な行為はさせられないし、レイプされる等ひどい展開も描きづらい。極端なことをさせられないと、どうしても感情の起伏が減ってしまう気がしてしまう。また、桃娘である僕は世の中にある小さな喜びに敏感すぎて鈍感だ。例えば天気がいいことと、意識している相手に話しかけられることはどちらも平等に素晴らしく、多くの場合で価値判断がおかしかった。
そういうおかしい桃娘の感性を、ヒカリは一つずつ正してくれた。そして僕の桃娘としての感性は解かれ、自分で言うのもなんだがだいぶマシになったはずだ。今の僕であれば、きっとナチュラルに届く物語だって描けるだろう。
僕は人形のことを思い浮かべた。そう、人形だ。人形をヒロインにする。どうすれば彼女は輝くのか。あるいは、どうすれば彼女の横にいるヒーローが輝くのか。
僕はタブレットで執筆アプリを立ち上げ、大まかなネームを作成した。方向性は決まっている。彼女を不幸に描くのだ。彼女のこれまでを、不遇を、絶望を。そんな彼女であるからこそ、助けるヒーローが輝く。可愛いとは、可哀相なのである。
他にもネームは無数に作った。
ストーリーは今この瞬間作っているわけではなく、すでに頭の中にあったものを出力しているに過ぎない。人形は自分の桃娘がゆえの不遇を知って、自暴自棄にもなるし抜け殻のようにもなった。あるネームでは彼女はまったく変わらず保つ場合もあった。しかしそれもすごく痛々しく感じるものだ。まだ暴力的になった方が可愛らしいもので、それこそが人間らしさとも思えてくる。
なぜならば、桃娘は日々暴力を受けている。やられてもやり返さず、じっと耐える。それは人間らしさからかけ離れている。
ふと時間を確認すると、日をまたいでいたようだった。すでに朝で、学校をサボっていたらしい。源太に呼ばれたのも気が付かなかったのか、部屋の入口に食事の容易がしてあった。卵粥だった。それを見たら急にお腹が空いてきた気がして、僕はありがたくそれを口にした。
「学校行く準備するかな」
癖でスマホを確認する。もちろんフィルムが貼ってあるので気分が落ち着くことはないが、すでに脳に刷り込みになってしまっているのか無意識に画面を確認してしまう。タイミングが良いことに、そのときにちょうどメッセージが届いた。相手は人形だった。
『相談があるのですが、今日学校でお話できますか?』
『もちろん、なんでも』
どう転ぶかなぁと思いながら、僕は送信ボタンを押した。
学校につくと、授業が始まるよりも前に人形は太郎のクラスに顔を出した。そして手招きして「お散歩しませんか?」
なんて提案を堂々としてきた。僕たちは午前中の授業を抜け出し、通学路を歩いていた。もちろんそういった不良行為も、別に咎められることはない。天気はくもりで、ジメジメとシャツが張り付いた。
人形は単刀直入だった。
「私に何かしましたか?」
いつもの朗らかさが抜け落ち、彼女は凛としていた。彼女からは五年ほど歳を重ねたような雰囲気が漂い、なるほど桃娘が幼く見えるのはメンタルが原因だったのかとどこか納得した。
「何かって、なに?」白を切りそうになったが、意味がないなと思い改める。「冗談冗談。人形さんの話を全部聞いたわけではないけど、多分僕が原因だと思うよ。それが感覚の問題であればね」
「やっぱり! 一体、何をしたんですか?」
僕は自分のスマホを見せて、少しだけフィルムを剥がして見せた。
「保護シートがどうかしました?」
「スマホから、桃娘を桃娘にする発光が出てたんだって。だから、それを遮断すれば普通の感覚に戻れる……らしいよ。僕も半信半疑だったんだけど」
「やっぱり太郎君も……」
「とある人からこの保護フィルムを貰ってさ、貼ってみたんだ。僕は漫画を描く癖があって、自分の漫画が桃娘以外の人に通じるものにしたかった。だから、ナチュラルの感覚が知りたかった。もし僕に漫画がなかったら、おそらくフィルムを貼らなかったと思う。桃娘は自分が桃娘であることに疑問を持たないからね。だから、人形さんにも貼ってほしかったんだけど、きっと普通に頼んでも貼ってくれなかっただろ? だからこっそり貼らせてもらった」
僕たちは歩きながら、少しばかり沈黙した。考えてから人形は言った。
「私に地獄を見せて、満足ですか?」
僕を断罪する言葉。
やはり、地獄だったのだろう。僕は人形ではないから彼女の人生はわからない。しかし、桃娘で、女の子である。そして彼女は目指すべき夢もある。一緒にヒトハンに参加させられたこともある。
だから人形が絶望することを、僕はわかっていた。でも、問題はここからなのだ。
「満足かどうかは、人形さんが今どう思っているかによるかな」
「酷い人」
「耳が痛いよ」
桃娘であれば、きっとそんなことはなかったのだろう。そういう意味では、まだ引き返すことができる。
「今言った通り、重要なのは保護フィルムだから、これを剥がせば人形さんも今まで通りの桃娘の感覚を取り戻せるよ?」
人形は立ち止まり、下を向いた。
「これを知って、戻れるわけないじゃないですか」
険があるのに、震えた声だ。僕はその苦しさに胸が潰れそうになる。僕がやったことなのに、調子のいい話だ。
「私は過去を少しでも精算しなきゃいけないんです。だからね。太郎くん。太郎くんは私のお願いを聞く義務があります。だって、私をこうしたのは太郎くんだから」
「僕のできることであれば、何でも聞くよ」
「私の人生のすべてを精算することはきっと無理です。でも、少しだけでもなんとかなるんだぞって、私は挑戦したいんです。ねぇ太郎くん」
人形は、むしろ真顔になって、それなのに凄絶な美しさをもって。
そのお願いを口にした。
「田所を、殺しましょう」
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