第21話 必要だから

 私は家に帰って、すぐさまベッドの中に潜り込んだ。今もまだあの無惨な行いが続いているのかもしれないのに、どうすれば良いのかわからなかった。

 どれだけ時間が経ったかわからない。人形が夕食に呼んでいる気がするが、それに応えられない。私は寝ることもできず、ただただベッドの中で震えて過ごした。様々なフラッシュバックと脳の虚脱感に繰り返し襲われた。疲れを感じることもなく、気がついたら朝になっていた。


 私はやっとの思いでシャワーを浴びて、人形に「朝食ができていますよ」とダイニングテーブルについた。お母様が先に座っていたことに、私は席についてから気がついた。


「ヒカリさん、おはようございます」

「おはようございます。お母様」


「ええ、昨日は夕食も食べなかったって人形から聞いたわ。何かあったの?」

「いえ……なんでもありません」


「そうはいきませんよ。そんなに深い隈を作った人が、何でもないわけないでしょう」


 私はふとお母様を見上げた。

 お母様は母らしい慈愛の表情を浮かべてなおも説いた。


「私はあなたの母親なのだから、何かあったら力になれるわ。どうかしら」


 それはとても素敵な言葉で、すがって良かったはずだった。

 でも、私はなぜだかそこに飛びつくことができなかった。私はお母様を見つめながら、その理由を考えた。ただ考えている間に人形がテーブルには料理を並べる。


 味噌汁とご飯に焼き魚。それはただしすべてパックから取り出したものだ。さらに言えばそれを更に並べて配膳するのはロボットでもできるため、人形のやったことは無駄な作業だとも思う。


 人形は桃娘で、この家の装飾品だ。

 私は唐突に、お母様にどうして何も言えないのか理解した。昨日のインコの態度と同じなのだ。お母様の、桃娘に対する意識が。みんな、桃娘を人間だと思っていない。インコとお母様だけじゃなく、もっとたくさんの人が桃娘を物だと認識している。そうじゃなきゃ、あんなイベントが催されるはずがない。


 みんな、桃娘を差別している。


 じゃあ、私は?


 私は桃娘が人間だと断言することはできるだろうか。私だって人形や、クラスメイトを桃娘だからと避けていた。じゃあ私は、みんなと同じなの? 


 いや、でも。


 太郎の顔が頭に浮かんだ。少しだけ仲が良かったクラスメイト。今では仲違いしてしまったクラスメイト。私は彼の今後が気になった。今はそれが大きくて、だからこそお母様に尋ねる勇気が湧いた。


「昨日のことなんですけど……」


 美術館でのイベントについて、私はインコについていき、ヒトハンに参加したことを説明した。それは桃娘へのひどい殺人であり、ショーになっていると。私が我ながら酷い剣幕で喋っているのを、お母様は黙って聞いていたのち、言った。


「あのね、ヒカリさん。そのお友達の気持ち、わからなくもないわ」


 わからなくもない、という言葉が私の心を刺す。


 お母様は大臣で、桃娘の運用について日本でもっとも中心にいる一人だ。

 私はお母様に、そんなことが許されるのかということを糾弾したかった。誰がそんなことを許したのか問い詰めたかった。


 でも、私が口を開くより先にお母様が始めたのはまったく違う話だ。


「桃娘に対しては、いろんなことを言う人がいるのよ。桃娘になることで様々な苦痛から開放されるのだから幸せなこと、必要なことだってわかっている人もたくさんいる一方で、一部の人にとっては大変な脅威なの。だってそうでしょう。彼らは命令されたら嫌とは言わず、体力の続く限りずっと働き続けられる。それはとても安価で優秀な自立型ロボットと言って差し支えないでしょう。必要なことを彼らがやってくれるとすれば、ナチュラルの存在意義って何? そうよ。より高度な知性を発揮して新しい発明をすることや、ナチュラルにより届く芸術を生み出すことしかない。つまり私たちは、『人間性』がなくてはならない。それを反転させて御覧なさい」


 反転? それは。


「……桃娘に……『人間性』はあってはならない」

「その通りよ! だからそういうイベントだってガス抜きのひとつなのよ」


「ガス抜きの一つなら、殺していいってことですか?」

「ヒカリさん。言っているでしょ。それは人間性のあるものに対して使う言葉よ」


 それからもお母様は、そういったイベントがいかに必要で、桃娘地区外ではそういうイベントを行っていいかという大論争になっているデリケートな時期だということだった。今桃娘地区は特区となっており、先行して様々なイベントを行い効果測定を行っているとのことだった。お母様も制度上不備が出ないよう日々調整を行っているのだと。


「私は……初めて聞きました」

「まぁ、そういったイベントは桃娘地区内で喧伝する必要はないでしょう。桃娘にはその場で伝えても言われた通りの働きを見せてくれわけなのですからね」


 美術館の机の下に隠れていた桃娘の少女。少なくとも私には、彼女たちが本当に怯えていたように見えた。


「桃娘に逃げ惑うように演技させているんですか?」

「いいえ? 違うわ。その時だけ感覚を元に戻してあげてるの。そうしないと、臨場感がでないでしょう」


 じゃあ、あの恐怖の表情は本物だっていうの? それが、必要なことだって言うの?

 ヒトハンを行うことは、ナチュラルと桃娘が共存する上で必要なこと。お母様は滔々と、それが如何に人類にとって幸運であるかを教えてくれた。


 それは近づくことを拒否するアイディアで、私は口をパクパクさせて言葉を発するお母様がもはや滑稽にさえ見えた。


 途中から、まったく頭にはいってこなくなってしまった。

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