第20話 インコ

 私は孤独を紛らわすように勉強に打ち込んだ。

 お母様に見せる用の動画はクラスメイトの誰に頼んでも快く手伝ってもらえたし、文書に関しては完全創作でも問題は起こらなかった。勉強に打ち込める環境はまぁ、学生だからそれも悪くないかな、なんて自分をごまかしながら私は高校入試用の問題集を解いた。


 そんなときに私に一通のメッセージが届いた。


『今度桃娘地区に行くんだけど、案内してくれない?』


 以前通っていた学校のクラスメイトで多少喋ったことのある程度、一緒にでかけたりはしない程度の間柄の知り合いが桃娘地区にやってくるという。別に答えなくても良かったが、桃娘地区での生活に孤独を感じていたこともあり会ってみることにした。そもそも私は別段桃娘地区に詳しくはないが。


 駅前のカフェで待ち合わせすると、そのカップルはやってきた。


 そう、カップルでやってきたのだ。聞いていなかった。誰かといくとは言っていたけれど。知り合いのニキビが目立つが愛嬌のある、小柄な女の子は椿インコ。反対にすごく長身だがボーッとした雰囲気のある男が大木サンだ。大木くんも同じクラスだったことがあるので喋ったことはあるとは思う。しかし、目立つタイプでもなく殆ど接点はない。


 カフェでラテを飲みながらやってきた二人を見た段階で、私は居心地の悪さを感じた。なにせ二人は腕を組んで入ってきたのだ。そんな私の思いとは対象的に、「やーヒカリー! 元気してた!?」インコのやたらめったらキンキンする声はアウェーな空気を感じさせない。


「まぁまぁ」

「何それ釣れないねー! 久々に会ったんだからさー、思い出話に花咲かせようや」


 そのノリについていけないが、一応そうだね、と返す。あと、聞いて欲しそうだから最初に済ませておこう。


「二人は付き合ってるの?」

「えへへー、そうなのー。実はその事も話したくてさ……」


 楽しそうに破顔するインコと、照れたように頬を掻く大木くん。やっぱり私の居心地は最悪だ。何でも二人は、たまたま席替えで隣の席になったときに喋るようになったところ、スプラッタ映画を見る趣味があって一緒に出かけることが多くなり、最終的に付き合うことになった。……と要約するとそのくらいのことをインコはたっぷり三十分使って喋った。


「だからさー、今日はウチの幸せのおすそ分けをヒカリにしにきたんだよ」


 なんだコイツムカつく。


「やだやだ怖い顔しないでよー冗談だよー」


 なんだコイツムカつく。と、そんな程度のことで気分が上下してしまう自分自身どうかと思う面もある。なにせ桃娘たちは何を言っても好意的な返事をしてくれる人たちだから。


 ただ、おすそ分けしてもらえるならばして欲しいものだととも思ったのも事実だ。大木くんは口数は多くないが、インコの話に楽しそうに相槌をうち、思い出話には時折頬を赤らめる様が初々しく、二人の仲睦まじさがきっちり伝わってきた。一方の自分はといえば、恋人はおろか話し相手さえままならない。不意に太郎の顔が頭に浮かんだが、彼はもちろん恋人でもなければ先日友達でもなくなってしまった。それを寂しく感じている自分も腹立たしい。


「あれ、どうして泣いてるの?」


 え? 泣いている?

 私はインコにそう言われて、初めて自分が泣いていることを自覚した。無性に恥ずかしくて、一度だけ拭ってとぼけようとした。気がついたら涙は止まらなくなっており、いっそ開き直って泣くしかなかった。女二人に男一人。はたから見ればさぞ痴情がもつれているように映るだろう。


 何でも話聞くよ、と言ってくれるインコも、余計なちゃちゃを入れない大木くんもすごく優しい人達だ。だからこそ、恋人として付き合っていくことができるのだろうか。


 私は一通り泣きつくし、理由を尋ねるインコに「新しい土地に戸惑ってるだけ」とどうとでも取れる言葉で乗り切った。私はすっきりしたこともあり、ケーキを三つ頼んで一人で食べた。ケーキは歯が溶けるほど甘かった。そうやって私が歯を溶かしているときに、インコは言った。


「実はさ、ウチらも毎日泣いてるんよね。正直、もうドロップアウト寸前の劣等生二人組だから」


 確かに、二人の成績は私の知っている限りでも高いものではない。さまざまな事柄がAIやロボットが行ってしまう時代において、一等地を抜く人間でなければ人類に貢献することはできない。遊んでいれば機械が生きるためのすべてを整えてくれる。

 それはその通りなのだが、しかし人間を無限に増やせるだけの資源は地球上に存在しておらず、人数が決まっておりそれ以上人類が増えるのが確定しているのであれば、何らかの方法で淘汰していかなければならない。


 厳格に、決まっているのだ。どの程度の成績があれば、人類に貢献できるのか。どれだけの芸術作品を生み出せれば価値のある人間なのか。どの程度のタイムで走り抜けることができれば寿命まで生きられるのか。


「勉強もできないしさ、他に特技もないしさ、もう毎日毎日つらくてね。それで今日桃娘地区にきたわけ。趣味も兼ねてね。そうだ、ヒカリもくる?」


 インコはそのイベントのホームページを見せてくれた。『ヒトハン』という名前のイベントらしく、そこかしこに『爽快っ』とか『ストレス発散!』とかいう文字が踊っていた。細かな内容はそこには出ていなかったが、『※※鮮血注意※※』という赤い字が私はなんだか怖かった。


「なにこれ?」

「何でも新しく始まるイベントらしいんだけどね。とっても刺激的なんだって。とにかく行ってみよう。あ、場所はここなんだけど――」


 そう言われて行ったのは美術館だった。古典芸術展をやっており、ピカソが特集されているらしい。ピカソは作品数の多い画家として知られており、三百数十点のアートがこの美術館に展示されているとのことだ。もっとも、私に美術の価値はよくわからないのだけれど。


 ゲートでインコがスマホを提示すると、私たちはスタッフルームのような場所へ連れて行かれた。


 入ってギョッとした。そこには様々な武器のようなものが置かれていた。ここは美術館だからそういうものも展示されることがあるのだろうか。日本刀や西洋の大剣みたいな刃物から、拳銃やマシンガンのような火薬武器もある。私たちは黄色と赤の派手なビブスを着るよう言われた後、武器を選ぶよう促された。


「みなさん、お一つ好きなものを手に取ってください。使い方がわからないものはレクチャー致しますので、お気軽にお申し付けくださいね」


 私はここに至ってもまだ良くわかっていなかった。おかしな表情を浮かべていたからだろう、やっとインコが話してくれる。


「好きな武器で、暴れまわって良いんだって」

「……ここ、美術館だけど?」


「だからこそだよね。普段暴れちゃいけないところでめちゃくちゃできるのってテンション上がるでしょ?」


 インコと大木くんはストレスが溜まったからここにきたと言っていた。それであればうってつけのアトラクションではある気がするが、しかし、


「ピカソの作品が展示されてるのに?」

「テンション上がるっしょ?」


「そうかなぁ」

「人生何周しても買えないような美術品を、好きなだけぐちゃぐちゃにできるんだぜ」


 神様がいれば罰でも与えられそうなことをインコは平然と言った。


「もう修復技術でいくらでもなんとかできちゃうからねぇ。何を壊しても大丈夫だからこそ、本物が使えるってわけ」

「……なんだか可哀想。一生懸命描いた絵画がこんな風に使われちゃうなんて」


 太郎がいつも描いている漫画が頭に浮かんだ。時間を惜しんで必死に作り上げたものを、そんな風に使うことに私は抵抗を覚えるけれど、二人はそうでもないみたいで、同じナチュラルなのにどこか宇宙人みたいに感じる。


「一生懸命作られたものこそっしょ!」


 インコはマシンガンを手にとって、的に向かって連射した。サイレンサーがすごいのか、音は予想よりもずいぶん静かだった。大木くんはチェーンソーを選んだようだ。長身の彼がそんなものを持っていると怪物のように見える。


「ほら、ヒカリも選びなよ」


 促されて私はピンク色の拳銃を手に取った。武器とは思えないほど可愛らしいものだ。一応試し撃ちしてみようと的めがけて銃を構える。


「両手で持ってくださいね。反動が強いので気をつけて。ブローバックなので肘を張ってください」


 インストラクターに言われた通り構えて引き金を引いた。肘を張っていたつもりだったが、腕が後ろに曲がってしまい顔にぶつけそうになった。結果弾道が上がり、的を外れて後ろの壁に銃痕を残す。


「あははー下手じゃん」


 笑うインコに腹が立って、二度三度と弾丸を放つ。今度は的をかすめる程度に精度が上がった。悔しい。更にもう一発。


「当たったっ!」


 それは確かに快感で、「めっちゃ似合うよ」とインコに言われたのも満更ではなかった。


「それでは、時間が来たのでこちらからご入場ください」


 私はインコたちについていく形で会場に足を踏み入れた。最初はピカソは関係ないのだろうか、様々な陶器や骨董品が置かれていた。


「……もう良いんだよね?」


 別の部屋からは、サイレンサーで隠された小さな破裂音が聞こえる。インコは最初はおっかなびっくり引き金を引くと、だだだだだと発泡された弾丸が派手な音を立てて陶器を粉々にした。


「すっご。見てこれ。ここに値段書いてある」


 覗き込むと、確かにそこには公務員の年収三年分くらいの金額が描かれていた。


「なんだか下品な美術館だね」

「あぁでも書いてくれないとわかんないからね。ヒカリはわかる系?」


「わかんないけど」


 なんて喋っている横では、大木くんが斧を振り回して次々と皿を割っていた。私もぼうっとしているだけなのもどうかと思い、一枚の皿を狙って拳銃を撃った。それは見事に命中し、思わず「やった」と声が出た。


 なんとも言えない快感は確かにあった。本当は高価なものを、普段手に取ることのできない武器で、壊しても何も言われない。非現実的で、私はおそらく没頭していた。頭の中からすべての考えが抜け落ち、陶然としながら次々に高価な美術品を壊していた。そして一通り終わった段階で、次の部屋に向かった。


 その部屋でも端から美術品を壊していくと、美術品を載せる台の下でなにか動いた気がした。私はかかっていた布をめくると、そこには人が二人いた。少女だった。小学生かもしれない。


「た……助け……」


 一人が声にならない声を上げたところで、それはすぐさま声を上げられなくなった。次々に弾丸が彼女たちを襲い、すぐに人というより真っ赤な肉塊となった。


 振り向く。

 そこにはマシンガンを構えたインコが立っていた。彼女は息を切らし、目は充血させている。


「何してんの?」

「何って、破壊だよ?」


 破壊? なにそれ。人間を、殺したのに?


「どうして?」

「どうしてって、そういうイベントだから。びっくりしちゃった? でもほら、大丈夫だから。後で全部元に戻るし」


「元に戻るって……人間じゃん」


 さっきまで無心でたくさんのものを壊していたのに、今は私の心が鉄のように重くなってしまうのを感じた。


 私は不快感と混乱で徐々に過呼吸になる中で、インコは言った。


「違うよ? 桃娘」


 それは明確な差別。


「今死ぬ思いをしたって、終わったら元通りで全部忘れちゃうんだから」


 私は桃娘地区にやってきて、確かにそんな桃娘を見た。嫌な事があっても気にすることなく、誰とでも気軽に接し、全てがポジティブなムードで包まれている。嫌なことなんて感じず、すべてを良い方に解釈する彼ら。それは確かに気持ち悪くて、人間らしさなんてものが何かは知らないけれど、それとはかけ離れている気がする。


 でも。


「桃娘は人間っていうより、ゲームのCPUとかそっちじゃん? ものと同じっていう」


 その言葉に、私は震えてしまう。

 眼の前の赤い肉塊は少女の形をしている。よく見ると恐怖にひきつる表情を浮かべている。とても健康的で、こうなる前は健やかに生きていたのだろうと感じる。


 それが今は、本当にただの真っ赤な塊。


 なんで?


 なんでこんなことに?


 私は耐えきれなくなって、銃を構える職員の脇にある非常通路から外に出た。あまりにも我慢できず、側溝に胃の中のものを吐き出してしまう。本当に気持ち悪かった。いったいインコたちはなぜそんなことができるのだろう。

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