第18話 奪われた存在

 私はその日、どうすればいいかずっと考えていた。

 が、翌日それは杞憂だとすぐにわかった。確かにそれは簡単だ。クラスメイトに動画を撮りたいと提案すれば簡単に了承してくれるし、おしゃべりしている様子を撮らせてといえばそれも簡単に従ってくれた。私はあっさりと大量に、桃娘地区の楽しい動画を量産することができた。


 誰か映像の専門家がいるのだろう。お母様に送ると効果音やテロップが入り、より幸せそうな動画に仕上がり全世界に公開された。


 文章に関しては、本当にどうしていいか困った。あまりに困り果てたらそれは表情に出ていたらしい。


「無い頭で何考えてるんだよブス」


 と太郎に言われたため、本当にムカついて殴りかかってしまった。


「……な、ちょっと、ヒカリが悪口言えって言ったのにっ!」

「うるさい! 空気読んで言いなさいよ!」

「うう……ごめん。でも、本当に何かあったの? 深刻そうに見えるよ」


 私はイライラしていたから、太郎に話せば少しは楽になるかと思って思わず口をついてしまった。


「うちでうまくいってないことがあるの」


「どんな?」

「……お母様が、私に桃娘地区で楽しく暮らしていることがわかる日記を書けって」


「それで?」

「それだけだけど」


「書けばいいじゃん」

「書けない」


「ははーん、文章に自信がないんだね」


 見当違いなことを言われて気が抜けてしまう。


「それなら代わりに僕が書いてあげようか?」

「え? 無理でしょ。どうして私の気持ちをあんたが書くのよ?」


 真顔でそんなことをいうのだから本心なのだろうが、それがどう考えてもできないだろう。そもそも桃娘である太郎に、私の気持ちが一ミリでもわかるわけがない。


「てゆーか、気持ちを書くの?」


 太郎は不思議なことを私に尋ねた。


「そりゃそうでしょ。日記なんだから」

「なんだてっきり、思った通りに書いちゃいけないから困ってたのかと思った。あ、やっぱり図星って顔したねー!」


 それは、確かにそうかもしれない。


「どうしてそれが分かったの?」

「だってヒカリのお母さんは有名な政治家だよねぇ。そんな人が、娘に政治利用する文章を書かせようとしてるんだ。もう悪役だよ! すごい魔王」


「はぁ? 魔王? ムカつくんだけど」

「ごめんごめん。でも、そういうキャラじゃん?」


 太郎は何でも漫画だと思ってしまうため、そういった悪役にお母様を当てはめた。私はため息をついてしまう。


「お母様が魔王だとしたら、私は何なのよ」


 私は横目で太郎を見ながら尋ねる。太郎は当たり前だとでも言うように、間髪をいれず答えた。


「囚われのお姫様だよ! ヒカリさんは」

「おっ、おひめさまっ」


 急に変なことを言われてオウム返ししてしまった。


「いやいやいや、何言ってんのよお姫様ってっ! やめてよ、私そんなんじゃないし」

「いやいや、そのものズバリだよ。だって、ヒカリさんはご飯を食べるのもとても綺麗だし、いつも姿勢がシャンとしてる。制服も着崩さなくてきっちりしてて、本当に育ちが良いのがわかるよ。それに政治家の家系のご令嬢だなんて、日本だとお姫様のようなもんでしょ」


「でもガサツだし」

「ぜんぜんガサツじゃないよ。ガサツに見せたかったのであればごめんだけど」


 真っ直ぐな顔が冗談を言っていないとわかるから、私は何も返せなくなってしまう。もちろん太郎は、桃娘だから。だからこそポジティブなことを言ってくれているというのはわかってる。


 だからこれは寂しさの裏返しなんだけど、でも、なんだか嬉しいなって思ったことくらい、肯定したっていいじゃないか。


 なーんだ。ポジティブなこと、書けそう。

 私は太郎とのことを、試しに日記に書いてみた。その日起きたことを、太郎に褒められたことを、より一層ポジティブに。自分の気持ちを文章にしてみると、まるでそれがくっきり形を持ったみたいに、本当の気持ちみたいに感じられた。


 桃娘は、ナチュラルとは違う。私は太郎のことがわからないけれど、でも太郎は私のことを見てくれてるんだなとは、思っても良いかもしれないな。



 ただ、結論から言えば私の書いた文章はお母様のお気に召さなかった。


「ヒカリさん、桃娘とナチュラルは違うものなの」


 とても残念そうなお母様の表情が、私には意外に思える。


「ええ、わかっております」

「いいえ、わかっていないわ。桃娘っていうのは他人に気に入られるためなら平気であることないこと言うんだから。こんなことは言いたくないけれど、その男の子だって心にもないことを言っているだけよ。あなたとは立場の違いもわからない身の程知らずよ。あなたにはいずれ、ナチュラルの優秀な男性を見繕います」


 私の中の何かがボロボロと崩れていくようだった。


「桃娘とナチュラルは、互いに手を取っていく存在ではないのでしょうか?」

『桃娘と創る。新しい時代を創る』。それがお母様のホームページに書いてあるキャッチコピーだ。


「お母様は言っていたじゃないですか! 桃娘は、メンタル的な安定を得ていること意外は普通の人とまったく同じだと。だから桃娘になることは素晴らしく、誰にとっても素敵なことだから進めていく必要があると」

「ええ、もちろん。素敵なことよ」


「それなのに、お母様の今のお話は、まるで桃娘とナチュラルはまったく別のもので……というか、桃娘は下の存在って言っているようで……」


 私はどこかで、その言葉を否定されると思っていたのだ。なぜそう思ったかと言えば、それは私が幼かったからと思う他ない。


「それはそうでしょう。感覚が奪われているんだから……」

「……え?」


 言われたと思ったら、急に頬に強い痛みが走った。

 頬がじんじんしだしてから、私はひっぱたかれたのだと気がついた。

 意味がわからず、私はお母様を見つめた。


「痛いでしょう」

「はい」


「怖いでしょう」

「はい」


「それを感じるから、ヒカリさんはヒカリさんなの。それを感じられるというのは、特別なことなのよ」

「じゃあなんでお母様は」


「でもね、恐怖や不安っていうのは不幸に繋がります。だから、もしこの世界に生まれて幸せになれないことが決まっている人には、最初からそんなもの、取り除いて上げた方がいいでしょう?」

「最初から幸せになれないことが決まっている人がいるのですか?」


「いるわ」


 お母様は断言した。そんなことって、断言できるものなのだろうか。私はパニックになって何も喋れなくなった。


「そもそも日本は人口が増えすぎているし、生きるための競争も激化してる。仕事を得るのも、性愛を得るのも、全員が叶うわけじゃないことくらいわかるわよね。だからといって、競争のない趣味にみんなが没頭できるほど諦観はできない。人類っていうのは、みんなで進化しているの。駄目な個体を未来に残さないことで、淘汰で進化しているのよ」


 お母様の言葉はかなしいかな、まったく理解できないわけではない。私だって、外の学校に通っていたときは勉学の厳しさを痛感していた。確かに成績でクラスメイトに遅れを取ることは、イライラするし恐怖もある。それを態度に表すクラスメイトもいた。


 でもそれとこれと、太郎は関係ない。太郎が幸せになれないかどうかを、お母様が断言することはできないはずだ。その後もお母様は如何に桃娘とナチュラルは違うか、桃娘によって階級差を作ることが社会の安定のためにどれだけ有用なのかということを語った。


「だからこそ、もし本当に桃娘地区で本当に優秀な、人類に貢献できるような桃娘が生まれたのであれば、外に出てナチュラルとして戸籍変更できる制度もあるの。だから、もし本当に幸せになれる人であればそのまま桃娘地区で埋もれることもないから、安心なさい」


 何を安心しろというのだろうか。

 ただ、私はそれを口に出すほどの勇気は持ち合わせていなかった。


「わかりました、お母様」

「では明日から桃娘の男と仲良くしないように。わかりましたね」


 私は胸にモヤモヤを抱えたまま、その言葉にうなずいた。

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