第17話 お母様の命令
ただ、学校が多少楽しくなったところで、家での生活は一向に楽しくならなかった。休日になっても一緒に遊ぶ友達がいない。前の学校では友達が作れなかったし、小学生のときの友だちも、すべて切れてしまった。もともとお母様から「付き合う相手は考えなさい」と言われて育ったため、誰とも一定の距離を保っていたからだと思う。
家にいるメイドにも慣れなかった。
だからある日、無駄な家事をする彼女に私は苛立って声をかけた。
リビングでロボットが一通りやった後の無駄な掃除をしている彼女に対して言ってしまったのだ。
「ねぇ、あなたも私と同じ中学生なのでしょう? 学校にいかなくていいの?」
メイドはコロコロを一旦中断し、私に一度お辞儀をした。恐ろしく整った顔立ち。つやつやの髪。健康的なプロポーション。それは他の桃娘と同じだ。それが私は、少し妬ましく、妬ましさを感じた私自身にがっかりするのだ。
「私は学校に行くことよりも必要な使命がございますから」
「コロコロがそれ? 意味ないでしょ」
「いえいえ、隅々までお部屋を綺麗にするお掃除をしていると瞑想状態になって心も整いますし、身を粗末にして掃除をすることは修行の一環にもなりますので」
クラスメイトの桃娘みたいな綺麗事を固めて飴にしたようなセリフに私は身震いする。さらに少し照れたようにして、メイドは続けた。
「それに、私はお嬢様とお近づきになるという使命も、ツキ様より仰せつかっております。だからこうやってお話できて、とても嬉しいです」
ツキ様と、母の名前を恭しく呼ばれると私は居心地の悪さを感じる。
「勉強はしているの?」
「お嬢様が学校にいかれる際にお時間を頂いておりますので、その間に勉強をさせていただいております。ツキ様より、お嬢様が何か勉学で困った事があればお手伝いするよう仰せつかっておりますので、その点も何かありましたら――」
「ないし」
お母様がそういうのだから、さぞ頭がいいのだろう。しかし、それが腹立たしい。
「そんな、『私は性格いいです』『勉強もできます』って言われても仲良くできるわけ無いじゃん。人と仲良くなりたかったら自分の欠点とかも言った方が良いんじゃないの? それともあなたは、なんの欠点もない完璧超人なわけ?」
「……私は……」
メイドは何か困ったように首を傾いだ。しかし、言葉を探し出せたようだ。
「友達を持ったことがありません」
それは寂しいセリフなのに、彼女は柔らかな微笑みとともに言ったのだった。
「だから正直、ツキ様よりお嬢様と友だちになれと命じられたときには困ってしまいました。だって、人とそういった関係になるにはどうすればいいか、わからないじゃないですか」
「そんなのおかしいよ。桃娘はみんな仲良くしてくれるじゃん。ずっとこの地区に住んでいたんでしょ? それなのに友達ができないなんて、考えられない」
私はまくし立てるように言った。
さっきから私は否定ばかりで、どうしてこれほど性格が悪くなってしまったのだろう。しかし、そんな私に対しても相変わらず彼女の言葉は優しかった。
「だからこそ、それは普通なのです。仲良くするのが普通なのです。誰かと特別な関係に、私はなったことがございません」
なぜか衝撃を受けた。
なんでだかわからないけれど、私は少しだけ彼女のことが好きになった。
「ところで名前を聞いても良い?」
「
「ふうん。人形、ね。私はヒカリ」
「存じております。ヒカリお嬢様」
「お嬢様いらない」
「それは……できかねますが……」
「じゃあ特別な関係にはなれないな」
「それでは……ヒカリ」
その言い方が可愛かったから、まぁ彼女が友達でもいいかなと思った。
「じゃあ行くよ」
「……今ですか? どこへ?」
私たちは街へ繰り出した。いつも家で地味な服を着ている人形を思い、セレクトショップでいろいろな服を着せて笑いあった。その後カフェでパフェを食べて、その後本屋に行って、私の好きな漫画を紹介したりした。
人形は何を言っても肯定してくれて、笑ってくれて、こんなに素晴らしい人がいるんだなぁと私は錯覚しかけた。
「ねぇ、今日は楽しかった?」
帰り道で尋ねると、人形は嬉しそうに答えた。
「はい! ヒカリと仲良くなれて、本当に嬉しいです!」
「特に何が楽しかった?」
「え? ええと、全部! とっても楽しかったです! 私は毎日、ヒカリとの毎日がとっても楽しいです!」
私はその回答を聞いて、今日の全部は嘘だったのかなと急激に冷めていく感じがした。誰とでも平等に、まったく同じように仲良くできる人形。いつなんどきでも、まったく同じように楽しむことができる人形。人形は私と遊ぼうが、あるいは無視されようが、彼女にとってはとても楽しい一日なのだ。
私は桃娘とは仲良くなれない。
私は桃娘とは仲良くなれない。
私は桃娘とは仲良くなれない。
だから、次に命じられるお母様の言葉は、私にとってとても難しいものだった。
「やっぱり桃娘地区は素晴らしいわね。どこに行っても人は親切で……。それでいて街並みも素敵だし。やっぱり外は無機質過ぎて駄目だから。ヒカリさんもそう思うでしょう?」
「はい、お母様」
桃娘地区は、あえて設備に前時代的な面を作っているらしい。それこそ学校にわざわざ電車で通うこともそうだ。外であればそもそも通学という概念すらほとんどなくなっている中で、アナログなそれを尊ぶ人たちがデザインしている桃娘地区はその理想が体現されている。
私はそれが気に入らなかったし、桃娘だらけの教室に押し込まれるのも気持ち悪さを感じたけれど。でも、お母様の手前そんなことを言うわけにはいかない。
「でもね、ヒカリさん。この桃娘地区の素晴らしさがわからない、原始人のような人たちも外にはいっぱいいるの。それってとても残念で、もったいないことでしょう」
「はい、お母様」
「私たちは桃娘地区に住むっていう特権を頂いているのだから、それに報いなきゃいけません。だから、ヒカリさんにもお願いがあります」
「なんでしょうか」
「発信活動を少々」
「発信活動、ですか?」
「ええ」
お母様がどんなことをお考えになっているのかが私にはわからない。
「別に難しいことじゃないわ。ただたまに、学校での様子とか撮影しておいて貰えばいいだけだから。友達とおしゃべりしてるところとか、なんでもいいわ」
その提案に、私は頭が真っ白になる。私の学園生活はおそらくお母様が想像するものとはかけ離れている。私がまともに話せるクラスメイトなど……一瞬太郎の顔が浮かぶが、所詮は漫画を読ませてもらうだけの関係だ。
ただ、お母様の命令を断ることはできないので、私は曖昧にうなずいた。
「それから文章も書いてほしいわ。日記みたいなものでいいから、その日にあったいいことみたいなものを書いてみて! そういう一つ一つが桃娘地区の拡張につながるのよ」
お母様は国民に選ばれた政治家だ。その中で、現在臨時にできている幸福省の大臣で、他の様々な省庁に掛け合いながら桃娘の幸福活用についての政策を推し進めている。らしい。よく知らない。私には、桃娘の街をどんどん増やしていくことが、どう人々の幸せにつながるのかわからなかった。
「ヒカリさん、難しい顔をしているわね」
「……い、いえ、そんなことは」
まるで私の心の内を見透かすように、お母様は続けた。
「大丈夫よ! 動画の編集もこっちで行うし、文章だって添削させるから。本当に自由にやってもらっていいの。できるでしょう?」
私は首肯した。
いずれにせよ、お母様がやれといったのだからそうする他ないのだ。
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