第15話 ヒカリのお屋敷

「ヒカリさんは少し噂になってたからね。空乃大臣の娘さんなんでしょ?」


 悪気なくズケズケと言われるセリフは確かに悪役らしくはあった。ただ、もともと想像したものよりもずっと小物だが。


「何あんた。お母様に取り入りたいわけ?」

「まさか! そんなつもりは! ただ、大臣の家に行く機会なんてなかなかないでしょ? それであれば、せっかくなので……」


「泥棒でもするわけ?」

「お望みならばするけど」


「しなくていいよ」

「よかった」


「じゃあ何が目的なの?」

「漫画を描く引き出しは増やしたいからね」


 太郎の頭はそればかりなのだろうか。


「でも突然大臣の家に来たいなんて言って、失礼だと思わない?」

「それは思うよ! だからみんな、本当はヒカリさんに興味津津だけど口に出せないんだ。でも僕はそれ以上に興味があったってだけ」


 何にせよ、そうやって自分の興味のまま行動が決められるというのは、このときの私にとってとても希望に思えた。善意にくるめられ何をするにも真意が見えない他のクラスメイトと比べるから太郎の存在は一層際立ったのだ。


「でも、電車通学だなんて意外だな。大臣の娘さんなら自動車でやってくるものかと」

「……知らないけど、電車通学も勉強なんだって。桃娘地区は治安もいいから」


 そうやって私たちは二駅移動し、最寄りを降りて一緒に歩いた。歩いて行くと段々と商店がなくなり完全な住宅街となる。


「すごい、クルドサックだ!」

「なにそれ?」

「住宅街にある、Uターンしないと出られない路地だよ! 防犯性が高まるんだって」


 太郎はずいぶんと変な言葉を知っているものだ。


「庭ひろっ! てゆーかあそこ、守衛室?」

「そんな、いちいち驚かないでよ」


 私は彼の手を引いてさっさと屋内へ彼を招いた。



 リビングへ通し、彼をソファーに座らせる。


「家に来たって別に普通だよ。ちょっと待ってて、ケーキでも持ってくるから」

「ケーキが常備されてるんだ……」


 そんなに驚くことだろうか? 私がキッチンで冷蔵庫の中のケーキを取り出し、紅茶と一緒に持っていく。


「てゆーかヒカリさんが準備してくれるのは意外だな。なんとなく、お手伝いさんみたいな人がいるものかと。あるいは、配膳ロボが」

「ああ、まだ引っ越してきたばかりだから手配中なんだって。なんでも、せっかくだから地元の桃娘を雇いたいらしいよ。イメージ戦略として」

「へー」


 お母様は幸福省の大臣だ。

 彼女は如何に日本の福祉にとって桃娘が重要で、かつ必要であるかということを訴え、現状ある規制緩和やあるいは別途の規制を作り、桃娘を世の中に浸透させていこうとしている。桃娘を世間へ知らせるためにわざわざ桃娘地区に引っ越し、広告塔の役割を与党から期待されている面もある。


「うわ、うまっ。なにこれ」


 大豆ケーキは口にあったらしく、太郎は次々口に運んでいた。不思議なもので、いつも食べているケーキも他人が美味しそうに食べているとより美味しそうに見える。私も口にすると、なんだかいつもより美味しい気がした。


「太郎はケーキとか食べないの?」

「まぁ、お菓子類は食べないなぁ。三食栄養があるものを食べられればそれで」


 なんとも無機質な食事に聞こえる。でもそれが桃娘らしさというものなのだろうか。


「つまんなそう」

「そう? そんなことないよ? 今だって、こんな広いお屋敷に招かれて最高の気分!」


 なんだか少し焦点のズレた回答だ。


「招いてないけどね」


 別にこの家だって、何も面白くはないだろう。ただ広いだけで、まだ必要最低限の家具があるだけのつまらない場所だ。


「それにしても広いよな~! ここに何人で住んでるの?」

「お母様と私の二人だよ。ああでも、守衛さんの泊まるところもあるし、これから迎え入れるつもりの使用人さんの部屋も用意してるから確かに広いかもね」


「いや、それにしても……何部屋あるんだろう。さっき下に向かう階段もあったけど、地下室もあるの?」

「派閥の勉強会とかでよく泊まりに来る人もいるから、部屋はたくさんないといけないでしょ。機密情報を喋ることもあるから、防音の面でも地下があった方がいいんだって。前のお家もそうだったよ」

「別世界だ……」


「ねぇ、せっかくだから他の部屋も見ていい?」

「無理だよ? 殆どの部屋に鍵付いてるし」

「うわぁ……」


 今日、お母様は仕事で、誰も帰ってこないと思っていた。だからこそ、私はリビングで二人でケーキを食べていたわけだが、しかしどんな予定にも変更はあるもので、そしてそれはあまりいいタイミングではなかった。

 部屋にベルが鳴り響く。


「なに? 来客?」


 太郎の疑問とともに私が廊下に出ると、玄関から入ってきたのはお母様だった。傍らには私設秘書の佐々木さんがいた。彼は三十代で背の高い男性でとても優秀な人だと聞いており、私もたまに勉強を教わることがある。


「あら、ヒカリさん。知らない靴があるようだけれど、お友達かしら?」

「あ、ええ。自宅が近くだそうなので、呼びました」


 実際には太郎が来たいと言ったわけだが、それを言うのはなんとなく憚られた。


「それはそれは、ご挨拶をしてもよろしいかしら」


 お母様は有無を言わさず私の横を通り過ぎ、リビングに入っていった。


「あなたは中学校のお友達かしら?」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。僕は今生こんじょう太郎と申します。ヒカリさんとは同じクラスで勉強させていただいています」


「これはこれはご丁寧に。でも、もう時間も遅いから、そろそろ帰ったほうがいいんじゃないかしら?」


 まだ四時半で、中学生を心配する時間には程遠い。

 私がお母様の後ろでどうしていいかわからなくなっていると、後ろから佐々木さんが私に耳打ちをした。


「ツキ先生は会合で少し揉めちゃってね、今はちょっと気が立ってるんだよ」


 私から見れば、お母様はそもそもいつも少し気が立っている。

 太郎は時計を見て、そして言った。


「そうですね。それではこのくらいでお暇いたします。ツキ先生にお会いできて光栄でした」


 言うと、太郎はお辞儀をして素直にリビングから出ていった。

 もう私と目を合わせようともしないので、私が何か悪いことをしている気分になった。太郎が出ていくと、佐々木さんが言った。


「桃娘地区に引っ越すのは心配でしたが、ヒカリお嬢さんに早速お友達ができて安心ですね」

「……そうねぇ」


 にこやかな佐々木さんを受け流し、お母様は私の方を見た。


「ヒカリさん。友達を作るのは構わないけれど、しっかり選ぶことよ」

「ええ、もちろんです」


「いきなり人の家に上がり込むだなんて、ずいぶん面の皮が厚い子だこと。まぁいいわ、ヒカリさん。お友達の準備はこっちでも進めていますから」


 お母様はにっこりと笑った。

 それはともかく、お友達の準備ってなんだろう。

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