第11話 すき焼きにて

 源太は鼻歌交じりに帰ってきた。

「豚肉が安く買えたんだ。今日はすき焼きにしよう」

 そう行ってパック詰めの肉を見せてくるのを、なぜか恨みがましく感じた。


「どうかしたのか、元気ないぞ」

「なんでもないよ」

「そうか? じゃあ先に風呂に入ってしまいなさい」


 言われ、風呂に入った。

 様々な思いが頭の中をくるくると周り、ただそこにいるだけで酔ってしまいそうだった。とりあえず、あれ以来スマホの保護フィルムは貼らずに保っていられている。

 本当は剥がしてスマホ画面を覗き込みたくてしょうがない。しかし、それをなんとかこらえている。風呂に浸かっているにもかかわらずずっと気が立っている。


 イライラが消え去らないまま風呂から出てダイニングに向かうと、そこにはすでにすき焼きの準備がされていた。ぐつぐつと沸き立つ鍋から砂糖醤油に豚脂が溶けた匂いが漂う。しかし残念ながら、その匂いすら不快だ。


「ご飯どんくらい食べる?」


 源太がしゃもじを片手に言った。


「父さんは、毎日そんなことをしていて退屈じゃないの?」

「なんだ太郎! 退屈なわけないだろう。お父さんはいつだって太郎の成長の横にいたいからな! 食事の準備だって太郎が美味しそうに食べることを考えると、いつだって楽しくてしょうがない」


 桃娘として、当たり前の感覚。

 それを今は、素直に受け取ることができない。


「確かに、僕の子育てを一人で頑張ってくれてるのはそうだよね。お父さん一人だから家事分担しようがないし、他の家よりも大変だ」

「大変なんてことはないけどな。はっはっは」


 あれ……?

 急激な違和感に苛まれた。どうしてうちは。


「お母さんはどうしたの? 僕が小学生の頃にはいた気がする。でもいつの間にかいなくなってた。僕はそれをあまり気に留めなかったけれど……どうしてうちにお母さんはいないの」

「まぁ死んだんだよ」


 そんなことは、あり得ない。


「その時太郎は小学四年生だったから濁したけど、太郎は別に気にしなかったからなぁ」


 気にしなかったことは僕の落ち度で、だからこそ自分自身が憎らしい。

 そして源太もそれを悲しそうでもなく、平然と言うのだった。

 でも、それは自分の知っている『知識』とかけ離れている。


「おかしいんじゃないか? 最近の人間が簡単に死ねるわけがない。どうやって死んだっていうのさ」


 電車に轢かれてばらばらになってもしなない現代人は、どうすれば死ぬことができるのか。


「確かにそれはそうだが、実際死んだんだからしょうがないだろう」


「死因は?」

「それは警察の人に聞かなかったなぁ」


 死因を、聞かない?


「お母さんがいなくなって悲しくないの?」

「まぁお母さんがいなくなったのは、おれと太郎の二人で生きていけという神様の思し召しさ。なるようにしかならないだろう」


 源太は深く気に留めることもなくそんなことを言う。意味がわからない。

 しかし、もし僕がスマホに保護フィルムを貼らず、数日前の状態であったとすれば源太と同じような認識であったに違いない。


 なぜか急激な怒りに満たされた。


 グツグツと煮え立つすき焼きを、僕はひっくり返して源太にぶつけた。高温に熱したすき焼きの汁を頭から浴びて、源太は壊れた操り人形のようなおかしな動きをした。あつ、とも、いた、とも付かない声を上げながら、源太はスマホを探し当て、必死で画面を覗いていた。いずれ心が落ち着けば、医療パックで火傷はどうとでもなるだろう。


「太郎! びっくりするじゃないか」

「いや、びっくりしたんだよ。僕が」


 玄関に逃げるように向かい、靴を履いた。我ながら子供っぽいことをした。しかし僕は、今この瞬間この父親とこの場にいたくなかったのだ。

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