第5話 カフェにて

「そういえば知ってますか、太郎くん。電車とかって桃娘地区しかないんですって」

「え、そうなの?」


「なんでも外は、もっと完成された世界でみんないっぺんに運ぶ電車のような乗り物は使われないって聞きましたよ。みんなパブリックドローンで目的地までドア・ツー・ドアみたいです」

「すごいなぁ、完成された世界かぁ」


 太郎は桃娘地区しか知らないので、空中ドローンが飛び回っているとすればそれはSFのように感じてしまう。それを漫画にしても面白そうだ。


「ただそもそも移動自体もあんまりしなくて、リモートで全部行うらしくて。だから学校もないんですって」

「桃娘地区とぜんぜん違うんだねぇ」


「そうみたいですねぇ。前時代的な生活様式が理想とされてるんですって」

「理想なら、外もそうすればいいのに」


「進みすぎちゃったものは戻せないみたいですよ? でも逆に、桃娘であれば何でも受け入れられるから、自由に生活をデザインできるから……」


 だから、自由な世界を作る。

 そんな世界に生まれた自分は幸運だなぁと太郎は思った。それに、人形と話がはずんで楽しい。この時間をもう少し続けたいなぁと思った。


「あ、そうだ! せっかくだから」

 太郎は人形をカフェに誘った。人形はいいですねぇとすんなり了承した。並木通りを一つはいったカフェは、おやつ時が過ぎてしまって人はまばらだ。


「チーズケーキが美味しいらしいですよ。なんでもとっても酸っぱいんですって!」

 人形はこのお店を元々知っていたようで、楽しそうにメニューを眺めている。

「へぇ。じゃあそれにしようかなぁ」


 ケーキは年々甘くなっている。それは再生医療が発達して歯が溶けても問題なくなってしまって以降、食の健康に関する意識が低下してきたからだ。そんな中、酸っぱいケーキとはどんなものだろうと太郎は気になった。


 運ばれてきたケーキは、ベイクドチーズケーキに赤いソースがかかっていた。太郎はそれをフォークで切って、赤いソースにつけて食べた。


「すっぱ! フルーティーだけど、梅干しより酸っぱいかも!」

「本当ですね! すごい!」


 歯が溶けるほど甘い生地に、これまた歯が溶けるほどすっぱいソースだ。穏やかな生活の中で、食の刺激は本当に素晴らしいものだと太郎は思った。人形の口にも合ったようで、大きな口でパクパクと刺激的なそれを頬張った。


「おいしー! えへへ。ずっと食べたかったんですよねーここのケーキ。でもくる機会がなくて、」


 太郎は見ているだけで幸せな気分になった。それはきっと、人形が幸せそうに食べてくれるからに違いない。そうだ、これから料理をもっと練習しよう。

 国立大学を卒業して国民制服を着ることができる立派な父親になれば料理を作ることも増えるだろう。そうすれば子供にそれを振る舞って、きっと笑顔を見ることができるに違いない。


「あ、おまえら」


 幸せで溶けるような太郎の妄想は、不意の声で途切れた。

 見ると、そこには太った男がいた。電車の中で人形に乱暴をしていた男のうちの一人だ。妙に和やかに片手をあげ、笑顔で近づいてきた。


「さっきはどうも! ええと……」

「田所だ」

「田所さんっ!」


 田所はおそらく太郎たちより少し年上で、二十歳を超えたくらいに見える。太っているということはおそらく節制不足。ナチュラルだろう。もっとも、それは電車でハンター側だったことでも想像のつくことではあるが。


「俺よくここくるんだよ。でもカフェで狩ったあとの獲物に会うのは初めてだけどな」


 ガハハと、田所は豪快に笑った。それは妙に人懐っこい姿でもあった。

 粗野な感じもするが、いい人そうだなぁと太郎は思った。人形も楽しそうに笑顔を浮かべている。


「えへへ、私もです! ハンターの人とおしゃべりだなんてっ!」

「君かわいいねぇ。というか桃娘はみんな可愛い子ばっかりだからよく来ちゃうんだよね。だから狩りも最高だ」


 桃娘市の人間は、市から出るには厳しい条件があり多くは市内で一生を終える。一方で、外部の人間はよく市内に訪れる。それにどんな審査があるのかは太郎は知らないが、たくさんきている以上、あまり厳しい審査ではないのだろう。


「特にこのおっぱいがさ……」


 言って、田所は人形の胸をまさぐった。

 人形は気にする様子もなく次のチーズケーキの一口を食べ始めた。太郎は少し不思議に思った。例えば女性の胸のようなプライベートゾーンは勝手に触ってはいけないという知識があるし、逆にこういった場所、あるいは指定外の状況で性欲が昂ぶるようなこともない。だから、どうしてそういうことをしているのかが単純にわからなかった。


 視線が良くなかったのか、田所は言ってきた。


「なに? 何か文句が?」


 少し不機嫌そうにしている理由も、太郎にはわからない。田所は、太郎にはわからないことをたくさん持っていて、それはもしかしたら貴重なのかもしれないと、急にひらめいた。


「いえ、質問があります。駅のホームで電車に飛び込む男がいるとします。彼はなんのために飛び込んだのでしょうか」


 田所はどこか怪訝そうな顔で首をひねる。


「なんだよ急に」

「以前そんな現場を駅で見たんですが……恥ずかしながら僕には理由がわからなかったんです。田所さんならわかるかもと」


「そんなの、絶望したからだろ。この世に」

「この世に?」


「この世から消えてなくなりたいんだよ」

「死にたいってことですか?」


 でも、そんなことは無理なはずだ。


 なぜなら電車に轢かれた程度のことで人間は修正できない状態にはならない。現に太郎もピンピンしている。そしてそれ以上に、太郎は死にたいという感情を抱いたことがない。もっと言えば、絶望のことも辞書上の意味しかわからないし、肌感覚を持つことができない。


 なぜ人は死にたいのか。


 そんな人間は存在し得るのか、太郎にはわからなかった。しかし、田所はまったく悩む様子もなく続ける。


「俺も飛び込みたいぜ、勇気があれば。まぁいまはそれどころじゃないけどな」


 そう言ってあらためてだらしない顔をして人形の胸をもんでいた。人形は「食べにくいじゃないですかー」というが、相変わらず美味しそうにチーズケーキを食べていた。


 田所は太郎にとって、分からないことだらけだ。



 駅前の人々はほぼ全員が楽しそうに、少しだけ頬を緩ませている。

 駅前ばかりではない。どこで出会う人も一様にそうだと思う。二人と別れたあと、太郎は植え込みの縁に座って通行人を眺めていた。一様に、といったが中ではそうでもない人もいる。彼らは少しファッションも派手なことが多く、髪を染めていたり化粧も濃いことが多い。彼らは地区外の人だ。田所と同じ。あるいは、小衣こいるいナニカもそうなのだろう。


 地区外の人はほとんどナチュラルだ。だから考えていることも全く違うし、だからこそ彼らは絶望を持っている。それはたどり着く必要のない感情だと聞く。


 絶望で、死にたくなって、電車に飛び込むのだとする。おそらく、その程度では死ねないだろう。電車に轢かれた程度で修復できないはずがない。死ねないことに思いが至らないほど余裕がなくなっているということだろうか。だとすれば、絶望とは思考を奪うものに違いない。絶望とは何も考えられずに死を選ぶ状態のことをいうのだ。


 太郎はカバンからタブレットを取り出して、漫画を構想する。思考が奪われる程の出来事とは一体なんだろう。そんなことが起こり得るのだろうか。それは一体どんなものだろう。考えれば考えるほど、それが何なのかわからない。


 あるいは、これか?


 太郎は電車に飛び込むことがどんな感情かわからないという疑問で頭がいっぱいになっている。それがわかるために実際に飛び込んで見ることさえした。それはひょっとすると、夢中ということなのでは。だとすれば、それこそが面白さの本質なのではないか。


 無意識に漫画のストーリーを考えてしまう。太郎は主人公になりきる。主人公はある日、たまたま電車のホームから落ちた人を見た。それは事故だった。

 しかし主人公には自殺に見えてしまった。それは不思議な光景であり、主人公はなぜ彼が電車に飛び込んだかで頭がいっぱいになってしまった。主人公は何度も電車に飛び込むが、その意味を知ることはできない。


 だから、やり方を変えてみる。自分ではわからないのだから、一人ひとり突き落としてみればいいのだ。主人公は目についた、様々なタイプの人間を電車へ突き落とした。あるときは中年のおじさんで、あるときは幼い少女だった。


 彼らは一度意識を失うも、駅員に修復されたら元通りになるのだった。そして元通りになった彼らに主人公は「電車に轢かれたことでどんな感情が芽生えましたか?」と質問していく。そして回答は大きく二種類あるのだろう。市内の多くの人間はあまり感情を抱かず、不可解なことを少し驚く程度で済むだろう。


 一方で市外の人間は恐怖と痛みを主人公に訴え、ある人は泣きわめきある人は怒り散らすのだ。


 様々な反応を示す市外の人間を不憫に思う一方で、負の感情を募らせる彼らを見てそれがどうしてか羨ましいと思うのだった。


 そんなネームを作りながら太郎は首をかしげた。


 羨ましい?


 なぜ主人公は、不幸に陥った彼らを羨ましいと思ったのだろう。おそらくこの話は、主人公の疑問を探すための序章なのだ。一旦はこれでいいだろう。

 これを明日、ヒカリに見せてみよう。

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