第4話 襲撃

 インタビューの意味は最後までわからなかった。

 だからよほどぼんやりした表情を浮かべていたのだろう。帰り際の太郎にナニカは教えてくれた。


「実はナニカ、院生以外にも色々やっているんデス。例えば地区外のナチュラルに、桃娘地区及び桃娘が如何に不必要なものかわかってもらうための素材を作っていたりしマス」

 太郎はその言葉に首を傾げた。


「桃娘が不必要ですか?」

「ええ、少なくともワタシはそう思っているし、思いを共にした仲間もたくさんいマス」


「桃娘は素敵だと思いますが。えっと、ナニカさんは……」

「ナニカはナチュラルですが、桃娘は本当に良くないものかと」


 要するに正面から悪口を言われたわけで、太郎は困惑した。


「ムカつきまシタか?」

「いや、少しびっくりしただけです」


「そうデス。桃娘は嫌な思いを膨らませません。それだけではなく、正常な人間的反応も減退させられていマス」

「なんですか?」


「ナニカが突然裸になってみても、太郎さんはほとんど反応しませんでシタ。太郎さんは思春期で、ナニカは年上の女性のはずで、普通は欲望か嫌悪が見えるものかと」

 太郎は相変わらずナニカの言っていることがわからない。


「ごめんなサイ。自然な反応を知りたかったので隠れて撮影もしておりまシタ。こちらの方も公開することもよろしければご協力していただきたいのデスが。もちろん、モザイクはかけマス」


 それは太郎にだろうか、あるいはナニカにだろうか。

 いずれにせよ、それがナニカにとって必要なのであれば太郎が拒否するほどのことではない。太郎が首肯した。


「例えば異性の裸を見たとしても、互いの思いもなしに欲望を見せることはマナー違反だと、小学校で習いました」

「だからそれを完璧に実践できると?」


「おかしいですか?」

「そういった達観は、ナチュラルにとって恐怖を煽られるものデス」

 感覚の違い。足りないピース。


 それは結局、いくら話を聞いても埋まることはなさそうだ。



 ナニカの家から出て再び電車のホームに向かう。

 そして、電車に乗るとき駅員に誘導される形でそれは始まった。


 駅員は太郎の目を見開いて、端末で強烈な光を浴びせられた。目から入った刺激は脳を揺らし、一瞬射精に似た快感に包まれた。その後、先頭から三番目の車両に連れて行かれ、座席に座った。そのまま少しずつ待っていると、体の感覚が鋭くなっていくのがわかった。まるで世界と一体化したように、かすかな空気の揺れすらも知覚できるようだった。遠近感が鋭敏で、室内全体が3Dホログラムのように感じた。


 そして、自分が自分になり始めた。心のざわめきが恐怖だとわかり、様々なフラッシュバックが脳内を叩いていた。その中の一つは電車との衝突だった。衝撃や痛みはほぼ記憶がなかったはずなのに、骨の折れる感触や内臓が潰れる不快感が全身を駆け巡った。


 感覚の鈍化と、それによる無謀。

 それは確かに作られたもので、恐怖と後悔に包まれる今こそ本来の自分である気がした。


 僕は……。


 僕はふとあたりを見る。車両に十余名の客。それぞれが表情を歪めているように見えた。立ち上がり、一応ドアの前に移動した。そして乗降のドアを開こうとした。開くわけがなかった。


 そして車両連結部の扉が開かれ、小銃を持った男が数人乗り込んできた。元の乗客は悲鳴を上げ、一斉に逆の車両へ移動しようとした。自分もその人波に加わった。発砲音が聞こえて、後ろに悲鳴が上がった。


 不快感。


 吐き気。


 憎悪。


 憤怒。


 そしてなぜか沸き立つ性欲。


 理不尽だ。

 クリアで鋭い感覚の元、まるで世界がスローモーションになるかのような錯覚に陥り、頭の回転が高速になる。


 なぜこんなに理不尽なのか。


 わかっている。

 桃娘は感情がコントロールされているからだ。たとえ一時的にどんな目にあったとしても、その後処置をすれば全く元通りの生活を送ることができる。


 だから、ナチュラルが何をしたとしても許される。彼らは日々不快なことや、心を止むような出来事が起きながら、それをコントロールすることを選択しない。だからその発散が必要なのだ。その結果、桃娘市などの桃娘地区が虐殺ゲームの舞台に選ばれたとしても。その結果桃娘地区の人間に何かおこったとしても、それは後から修正すればいいのだ。


 でも、それって。


 理不尽では?


 人を狩るイベントーーヒトハンが行われる直前、桃娘たちには『幸福の靄』を解く処置が行われる。そうしなければ狩られることに鈍感になるため、小銃を持つハンターから逃げもしないかもしれない。ゲームにならない。


 だからこそ、理不尽なのでは?


 今この瞬間感じる恐怖や、疲労と痛み。そしてこれからも標的であり続け、搾取され続ける絶望。それはゲームが終わったときに処置が行われ、すべてが元の日常に戻されさえすればすべて消え去るというのか。


 痛いのが嫌だ。だから僕は逃げ続ける。後ろでいくつも悲鳴が上がる。捕まったのだろう、少女の悲鳴が上がった。きっと男とは別の種類の暴力を受けている。


「やめて! やめてよ!」

 その悲鳴に、聞き覚えがあった。そしてなぜだか心をぎゅっと掴まれた。


 そうだ、この声は。


「……人形?」


 先日も一緒に被害を受け、その後に仲良くなった愛野あいの人形、彼女の声に聞こえた。別の車両に、彼女が乗っていたのか? 


 振り返った。もうすぐそばにハンターがいた。


「おお、何だ?」


 小銃を向けて来るハンターに無我夢中で飛びかかった。ひえっ、と慌てたような声を上げて、ハンターは発砲した。それは僕の右肩にあたった。強烈な衝撃が一瞬。しかし痛みは感じなかった。発砲の衝撃に耐えられなかった相手は尻もちをついていた。太郎は走り、彼の顔面を踏みつけて隣の車両へ移動した。


「人形!」


 人形は、坊主の男に羽交い締めにされ、もう一人の太った男に服を脱がされていた。頭の中が真っ赤になった。人形は一度、僕を見て「助けて」と言った。


 人形が助けてと言った。


 じゃあなんとかしなくちゃ。


 相手は油断していた。僕は太った男を思いっきり殴った。太った男は後ろによろめいて僕を見た。驚くべき事に男は恐れの表情を受けて走って逃げた。人形を押さえつけていた。坊主の男も。すぐさま、それに続いて。逃げた。反撃されることに慣れていない。


 人形はよろけるように。腰を落とした。僕はそれを支えた。


「大丈夫か、人形」

「……太郎くん」


 弱弱しい人形の声は、付け加えるようにこう言った。


「どうしてこんななんですかね」


 ああ、どうして。


 人形に服を着せた。彼女を見るのが辛かった。僕の首に人形の腕が回った。人形は力を込めて僕に抱きついた。そしてもう一度言った。


「どうしてこんななんですかね」


 この瞬間の僕たちは、人間でさえない。

 絶望と人形のぬくもり。それは相容れない。

 ただし、そんな時間は続かない。戻って来た男達に僕らはすぐに何発も打たれ、そこから先の記憶はこぼれ落ちてゆくのだ。



 医療パックから排水がおこり、プラスチックを破った僕の体は完璧に修復されている。頭の血管が怒張し、バクバクと痛い。

 なぜ、なぜこんなことに。


 こんなにも頭はおかしいのに、からだはこんなにもいつも通りだ。それを確認して駅員は言った。


「じゃあやりますね~」


 僕は左目をぐっとひらかされ、そこに器具から強い光を感じる。


 さっと晴れやか。スッキリ爽快!


「いい笑顔ですね~」

「はい。毎日毎日、楽しいことばかりです!」



 快晴の太陽はまるで太郎を祝福するようで。視界のすべてが風光明媚で世界はクラクラするようだ。

 るんるんとスキップでもする勢いの太郎が駅を出ると、そこでまたスキップでもするような少女を目にした。その少女も世界と同じで、授けられた美しさは天の恵みだ。


 愛野あいの人形が笑顔を向けた。


「太郎くん! 今日も散々でしたね」


 人形の笑顔を見ていると、太郎もうれしくなってくる。


「それにしても一緒の電車に乗っていたなんてびっくりだね。ほら、結構遅い時間だから」

「学校の図書室で勉強してたんですよ」


 そういえば試験も近いので、太郎も勉強しなきゃなぁと気を引き締めた。


「いつも学校で勉強してるの?」

「たまに、ですよっ! だから今日、太郎くんと帰りが一緒になってラッキーですねっ!」


 言った直後、彼女は少し違った種類の笑顔を見せた。

 ふふふ、という感じの、見せるものではなく漏れ出たという笑みだ。


「どうしたの?」

「いや、嬉しかったなーと思って、太郎くんが助けてくれて」

「い、いやいやいや。そんなぁ。へへへ」


 先程、人形が襲われていたことを思い出す。


「そりゃ、助けるよ。人形さんが襲われていたらさ」

「じゃあ、また助けてくださいね。何かあったら!」

「もちろん!」


 彼女の一挙手一投足が、スポーツドリンクのCMみたいな青春を感じさせる。彼女と一緒にいると、太郎はまるで自分が主人公になったみたいな感覚になる。だから、また彼女を助けたいなぁと、どうやって助けようかなぁと、そんなことで頭は埋め尽くされた。そして、そんな考えになったときに太郎はふと疑問に思った。


 助けたいってことは彼女に何らかの被害にあってほしいということだろうか。

 そうかもしれない。

 だってそうでなければ僕が彼女を助ける機会は訪れない。ときどき、太郎たちは狩りの標的にされる。


 それも悪くないんだなぁと太郎は思った。

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