第3話 わからなければ飛び込め

 午後の授業も頭を悩ませ続けたが、太郎はくるくると同じような模様をタブレットに描き散らかしただけだった。ヒカリはさも当たり前のように言うが、前提としているものが違い太郎には雲を掴むような話だ。


 なぜ雲をつかむような話か。それは材料が少ないからだ。そして材料が少ない場合における最善手は材料を増やすことで、それはすぐにできそうな気がした。


 要するに、太郎は実際に飛び降りてみることにした。

 桃娘駅のホームには帰途の学生がたくさんいたが、太郎の立つ端の場所には彼しかいなかった。時折、人身事故は発生する。それが太郎には理解できない。


 一体何のために。どうしてそんな無駄なことを。

 電車のヘッドライトが見えた。太郎はヒカリが何を考えているのだろうなと思い浮かべながら、一歩足を踏み出した。吸い込まれるように、太郎は電車と衝突した。ペットボトルが潰されるように太郎の体は変形し、ついで線路に転がった。その体が簡単に電車の下敷きになり、太郎の体は真っ二つになった。


 ただし、残念ながら太郎は何かを感じるよりも先に意識を失ってしまった。



 気が付いたら医療パックから排水されているところだった。事務室で修復された太郎は、処置してくれた女性にお礼を言って駅を出た。

 こういった処置はどこでも受けることができた。あるいは、医療従事や公共交通機関の運転、建物、電気水道等の整備など、生活に関わる多くのことは『インフラ』と呼ばれる職務の人々が全うした。インフラは国家資格を持つエリート桃娘だ。彼らは桃娘地区の各地に点在し、何かが起こるとメッセージが届き、その内容に応じた仕事をする手筈になっている。

 だから、同じインフラでも毎日することは違う。


 今回で言えば、電車に飛び込み太郎が怪我をしたので、近くにいたインフラに太郎を医療パックに入れるようメッセージが届き、それを実行したということだった。桃娘地区はこういうインフラによって維持されているので、太郎は彼らに頭が上がらない。


 そして、太郎に関して言えばただ処置をされただけだ。特にペナルティーもなく帰ることが許される。轢かれたときは痛かったとも思うが、その苦痛も遠い昔。なんの変化もなく、それこそ漫画で描いたように数分ダイヤを乱しただけだ。


 結局問題解決には程遠く、太郎はもやもやしたまま改めて帰途についた。そんなときだった。


「あなたは自殺に興味があるんデスか?」


 後ろから声をかけられ振り向くと、そこにいたのは派手な女性だった。真紫のスタジャンにオレンジのブーツを履いた、サブカル系の痩身。髪はピンクと水色のツートンボブで、瞳もカラコンを入れているように見える。


 小学生が自由に色を乗せたような色使いのなかで、素肌だけは輝く白いキャンバスだ。ごちゃごちゃしているのに、すべてがまじりあって一つの偶像のように彼女は纏まっていた。


 彼女は確実に、太郎に話しかけていた。

 それがわかったときに、太郎はついに発見したのだ。


「なるほど――出会いがあるんですね!」


 太郎は稲妻に頭を撃ち抜かれた。確かに、電車にぶつかりに行くというのは奇異な行動に違いなく、それはある他人から見れば興味を引くこと請け合いなのだ。いつもと同じように生き、いつもと同じように行動をする。それは確かに安定こそ手に入るが、違う何かを手に入れるには違う行動を起こさねばならない。その点、電車に飛び出るこの行為は手軽に思えた。しかし、太郎の納得は声をかけてきた女性には少し唐突だったらしい。


「出会い? ……なんデスか?」

「いや、すいません。こちらの話です。僕になにか用ですか?」

「少しアンケートをしたいんデスが、よろしいデスか? うちで紅茶でも飲みながら」


 女性はまったく表情の浮かばない顔で、抑揚のない声でそう言った。

 改めて見ると、その派手な女性の顔は信じられないほど整っていた。美人だ。まさかこんな人生の変化が、たかが飛び込み程度で起こるとは。



 坂の上に上がれば上がるほど家の敷地面積が大きくなるのがわかる。

 そこにある高級マンションの一室が、小衣こいるいナニカの『研究室』だった。コンクリート打ちっぱなしに家具がボンボンとおいてある無機質な部屋は、基盤むき出しのコンピューターがいくつも置かれており本人の雑な性格がうかがえた。それでもなぜかおしゃれに見えるのは、彼女のセンスなのだろうか。


 用意された紅茶は妙に酸っぱくて太郎の口には合わなかったが、同時に出された甘いシフォンケーキと合わせると確かに悪くないかもしれない。そんな太郎の見えるところで、ナニカは上着をベッドに脱ぎ捨てた。それどころかシャツも脱ぎ捨て下着も脱ぎ捨て、みるみるうちに裸になった。肉付きのない痩身は、しかし恥ずかしがることなく太郎の方を向いている。


「お口に会いマスか?」

「ええ、まぁ」


 彼女はそばにたたまれていたダボッとしたスウェットを着て、そしてベッドに腰掛けて言った。

「ナニカは桃娘大学の大学院で人体工学について学んでいる学生デス。本日はお付き合いくださりありがとうございマス」


 桃娘大学は近所の大学だ。学生の大半は桃娘で非常に偏差値が高く、目の前の不思議な容姿をした彼女は非常に高学歴らしかった。


 太郎が黙っていると、ナニカは続けた。


「改めてになりマスけど、これから電車に飛び降りたことについてインタビューを行いマス。ここで話したことは録音させていただきマス。内容は論文に引用することや、場合によっては別途ブログや出版物に掲載することもありマス。ここまで大丈夫デスか?」


 太郎が飛び降りをしたのは飛び降りる気持ちを確かめたかったからだ。しかし、それがわからない状態で確かめられることになってしまった。


「あまり参考にはならないと思いますが」

「まさかそんなことは。こうやって接触できるだけで幸運なことデスから。それではまずあなたの名前を聞いてもよろしいデスか?」

今生こんじょう太郎です」


「年齢は?」

「十六歳です」


「高校生?」

「桃娘高校に通っています」


「今日の天気は?」

「晴天かと」


「ぶつかった車両の色は?」

「グレー地に青のラインが入った電車でした」


「ぶつかった時の衝撃はどのくらいだった?」

「ほとんど痛みは感じなかったです。それよりも先に意識がなくなったっていうか」


「ホームの端に立ったときの心境は?」

「知りたいって思ってました」


「何を?」

「飛び込む人の心境を」

 言うと、彼女は首を傾げた。


「何かおかしいですか?」

「それ、ナニカと同じデスね」

 その言葉を聞いて、太郎は笑った。


「それで気持ちはわかりマシたか?」

「全然わからなかったです」


「どうして飛び込む人の気持ちを知りたいと思ったのデスか?」

「友達に漫画を描くように、頼まれたからです。電車に飛び込むキャラクターが出てくる漫画を。僕には漫画を描く癖があるので」


「癖? 趣味じゃなくて?」

「趣味ってよくわからないんですよね。ただ気づいたら描いているので癖です」


「よくわからないのに描いているのデスか?」

「駄目ですか?」


「いえいえ、ただそれは興味深いことなのデス」

 ナニカは何を思ったのか、ノートを取り出してそこにサラサラと絵を描いた。なかなか器用だ。それはシンプルな線の女の子の絵で、ただしどういうわけか左目だけが書き込まれていない。


 ナニカはそれとペンを太郎に渡した。

 太郎は首をかしげたが、すぐに絵の描き足しを行った。黙々と描いている間、ナニカは黙ってそれを見ていた。そして完成をナニカに返すと、彼女は言った。


「人間は、書き途中の絵を渡されるとその続きを描きマス。このように、目を描かれていない人の絵を渡された場合、未就学の子供でもその場所に目を描きマス。一方で、チンパンジーは違いマス。すでに描かれている部分に、重ねるようにペンを乗せマス。そこが、人間と他の霊長類との違いであり、人間の特筆すべき点になりマス。つまり人間とは、与えらた情報から空白を想像する生き物なのデス」


 太郎は改めて自分の描いたものを見る。

 太郎は、目を描き足しはしなかった。それが途上とは思わなかったのだ。

 ナニカは少女の目の空白の部分を触る。


 そして、その外に指を滑らせる。そこにはたくさんの描写がある。太郎は与えられたノートの余白を区切り、マスを作り、ナニカの描いた隻眼の少女から物語を仕立て上げた。太郎は漫画を描いたのだ。


「太郎さんは、少女の目を描き残しだとは思わなかった。そういうキャラクターだと思った。一方で、背景や、物語こそが空白だと思ったのデスか?」

「……そうですね。言語化するのであれば」


「きっと太郎さんは、目で見たものを素直に捉え、そして時間と空間に空白を見る人なのデスね。だから、そこを太郎さんのストーリーで埋めたくなるのデス。それが癖の原因なのかもしれません」

 彼女の言っている言葉はスッキリ入ってこないが、しかしナニカは勝手に納得したように続けた。


「友達はどうして、そのキャラクターの漫画を描くよう頼んだのデスか?」

「前々から漫画を書くよう頼まれることがありました。珍しいことではありません。朝ちょうど、僕と友達の乗っていた電車に飛び込む人がいたので。それで僕に書かせる事を思いついたんだと思います」


「頼まれて君はどう思いマシたか?」

「じゃあ描こうかな、と」


「逆に、お友達はどうして君に漫画を描いてと頼んだのデスか?」

「題材があったら頼まれることが常なので。特別な理由はないんじゃないですかね」


「どんなものが題材に選ばれマスか?」

「金属バットで学校の窓を叩き割る先生とか、大声を上げながら道路で走り回るおじいちゃんとか、クラスメイトに告白して振られる男子とか」


「題材に共通点は?」

「うーん。何かありますか?」


「何かしら探してみてくだサイ」

「まあ。人間っていうのは共通しているかもしれないですね」

 太郎にはこのインタビューに何の意味があるのかわからなかった。ナニカはほとんど表情を変えず、簡単と太郎にインタビューを続けた。


「知らない人の部屋に連れてこられるのは怖くなかったデスか?」

「なぜ怖いんですか?」


「例えば暴力を振るわれるかもしれないデスし、犯罪に巻き込まれるかもしれないデしょう」

「仮にそうなったとしても修正されて終わりじゃないですか?」

 太郎が言うと、ナニカは小さく頷いた。たとえ怪我を負ったとしても、医療パックで治るだろう。ショックな出来事があったとしても、それは光で取り払われるに違いない。


「さっきナニカが突然着替えた時、どう思いマシたか?」

「珍しい人だなと」


「それだけデス?」

「……まあ、大体は」


「私の裸は見マシた?」

「ええ」


「感想は?」

「細身でとても綺麗だと思いました」

「それはどうも」

 ナニカは一切表情を変えない。太郎は彼女が何を考えているのかわからない。


「ところで、あなたは何のために生きていマス?」

「何のため? そうですね。父のような立派な父親になることが目的ですかね」


「それは面白いデスか?」

「……面白さって必要ですか?」


「いえ、別に。でも面白い方がいいデしょう?」

「よくわかりませんが」

「でもそれでは漫画をどうやって描けばいいのかわからなくないデス?」

 それは一理ある気がした。確かに太郎はエンタメ性を追って漫画を描いているし、それは言い換えれば面白さを探しているのだろう。もっともそれが見つからず、いつも困っているのだが。


「返す言葉もありません」

「じゃあ宿題デス。もし面白さが何かわかったらナニカに教えてくだサイ」


 その後もいくつか質問をもらったが、あまり太郎の頭には入ってこなかった。

 面白さとは何なのかということに、太郎の頭は囚われてしまったのだ。どこかに面白さはあるはずだし、それを追いながら漫画を描いているはずではあった。しかしそれを言葉で言い表すことが、太郎にはできなかった。

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