第2話 太郎の漫画な毎日
太郎の朝はいつも六時に始まる。きっかり六時で、遅れることもそれより早くなることもない。コンプレッションシャツに着替えて軽くランニングから帰ってきて、父親の源太が用意してくれる食事を食べることも毎日のルーティンだ。
「太郎、今日も精が出るな」
「走ると頭が冴えるからねぇ。シャワー浴びてくるよ」
へばりついたシャツを脱ぎ捨て、お湯を浴びると生き返るようだ。タオルで頭をわしゃわしゃ拭いて、食卓にいくとトーストとサラダとコーヒー。
「いつも悪いねぇ、お父さん」
「ははは! 何言ってるんだ! 夢を叶えて父親になって、父親としての職務を全うする、これ以上の何があるんだ!」
源太はどんっとジャケットの胸についているエンブレムを叩いた。紺色のジャケットは国民制服で、それを着るのは憧れだ。
「僕も父さんのようになりたいな」
「期待してるぞ!」
父親たる父親である彼は、太郎にとっていつだって輝いて見える。優秀な成績で国立大学を卒業し、高校時代からの知り合いである母親と結婚した父は、太郎から見て理想的な人生を歩んでいた。太郎は小さな頃からのどの記憶を参照しても父は、笑顔で、親切で、そして太郎を育てることにフルコミットしていた。思い返せば常に清潔感の溢れた家と、源太の暖かい笑顔。
そんな父親に、自分もなりたい。
太郎はスマホで今日の天気を確認しながら、その思いを新たにした。
太郎は電車に揺られながら神奈河県立桃娘高校に向かう。朝の時間はどの車両も混むが、太郎のいる先頭車両は比較的マシだ。本日は快晴。勉強びよりだ。朝ごはんもしっかり食べてランニングして頭もスッキリ。
そろそろ桃娘駅につくなと思いなんとなく進行方向をみた。その瞬間ドンと音がして、かすかながら車体が揺れた。
ホームの入り口。飛び込みだ。
なにやら車掌が通信機で話しており、その後人身事故で少し止まる旨のアナウンスが流れた。早く学校にいって友達と会いたいのだけれど……。しかしこういった事故にはなれたものなのか、五分もかからず作業を終えたようですぐに電車は動き出す。そして、正しい位置で停車しドアが開いた。
ドアを出たところで声をかけられた。
「太郎じゃん」
振り向くとそこにいたのは空乃ヒカリだった。
ヒカリはまるでモデルのような少女だ。身長も男子の平均程度の僕よりやや低いくらいで、すらっと長い手足に小さな頭。それでいて、胸の肉付きは平均より大きく見えた。腰まで届くほどの銀髪は遺伝という話で、整った顔立ちは時折アンドロイドを思わせ、いつも少し怒ったような表情は高嶺の華への片道切符。親が偉い政治家の箱入り娘で、触れてはいけないと思わせる彼女にクラスの男子のほとんどは憧れている。
対する太郎はクラスで目立つ存在ではない。しかし彼は中学時代から知り合いであったため、彼女とは気安い間柄だ。
「ヒカリさん! 今日もブスだね!」
太郎はヒカリをブスだとは微塵も思っていないし、こんなことを言いたくはないが、二人の中ではそうすることが決め事になっている。ヒカリと出会った日からの、ヒカリの願いだ。ただしそのヒカリの願いに、彼女は怒りを持って答える。
「はぁ? ぶっ殺すわよ……って自殺見たばっかでいうことじゃないか……」
「……じさつ? なにそれ」
なんとも不思議な表現だ。太郎が首をかしげると、ヒカリは続けた。
「電車に飛び込んだ人は死のうとしたんだよ。そういうの、自殺っていうんだよ」
「死のうとした? そんなのおかしいよ。だって、電車でぶつかったくらいで死ぬわけ無いし」
太郎は想像した。もし電車にぶつかって衝撃を受け、その後車輪で引きちぎられたとする。それは痛いに違いないし、呼吸も止まるかもしれない。内臓の一つや二つ破裂することだってあるだろう。
でも、その程度では?
太郎の反応が芳しくなかったのか、ヒカリはため息をつき続けた。
「でも古典小説を読んでると結構そんな方法で死のうとするし、死んでる」
「今は現代だよ」
「じゃあ、太郎はどうして電車に飛び込んだと思うわけ?」
それにしても、ヒカリは変なところが気になるのだなぁと太郎は思った。ヒカリはもともと太郎とは別の地区に住んでおり、二年前に越してきた。それが原因で、太郎や幼なじみたちとは物事の感じ方が明確に違う。
太郎たち、この地区の多くの住民は桃娘と呼ばれる、精神疾患を克服した人々だ。生まれて間もなく
一方、外の地区の多くはそうでなく、処置を受けていない人々はナチュラルと呼ばれる。ヒカリと喋っているとどうしても理解できないことがあり、そのたびに桃娘とナチュラルには壁があるなあと太郎は思っていた。桃娘の自分からすれば、他人が電車に飛び込むと多少ダイヤが乱れるかもしれないが、自分たちに関わる影響で言えばその程度のことだ。
「ヒカリさんは、変わってるよねぇ」
太郎の思ったことが口をつく。
「いいから考えて。太郎は彼が、どうして飛び込んだと思う?」
「ううん……。なんだろうな」
「じゃあさ、それは……」少し首をかしげたヒカリは、急に笑顔を浮かべた。「課題ね! 面白いの創ってよ。ちゃんと登場人物になりきるんだよ」
いつも怒ったようなヒカリだけれど、そうやって唐突に楽しそうにする。太郎はその表情がたまらなく好きだった。
だから、ヒカリがそう求めるならば、太郎はこう言うしかない。
「わかった。待ってて」
三十人ほどのクラスで授業を受けながら、太郎はタブレットに落書きをした。電車の正面と、そこに飛び込む少年の絵だ。四等身で必要以上に目の大きい、デフォルメの利いた少年。少年漫画のタッチである。
太郎は電車からわずかに見えた人影を頭に浮かべる。しかし表情は思い出せない。そもそも、少年であったかどうかもわからないのですべて創作だ。なぜ飛び込んだかわからないので、飛び込んだ後に何が起こるかを考えてみる。
まずは、痛みを感じるだろう。
その後、意識を失うのではないか。
ただしすぐに駅員に救出され、医療パック――溶液の詰まったビニールに、怪我人を入れると数分で回復する医療機器――に詰め込まれてすぐに元通りだ。
太郎は頭を捻るが、ここに意味があるとは考えづらかった。
では逆に、ぶつかった電車側はどうだろう。彼が線路に飛び降りたことで、現に五分程度の遅れ、車内での乗客閉じ込めが発生した。
こちらに意味があったと考えたらどうだろう。
例えば、この電車に、海外に留学のため空港に向かう女性がいたとする。飛び降りた彼はその女性に好意を抱いたが、それを伝えることができていないまま今日まで来てしまった。意を決して直接思いを伝えたいものの、すでに彼女は電車に乗り込んでしまい、このままだとその時間が作れない。
少年は飛んだ。
彼女を搭乗時間に間に合わせないために!
これでいこう。
太郎は頭の中でストーリーを構築し、ざっくりとしたあらすじを作る。そうしたらタブレットのお絵かきアプリに線を引いて、コマを割っていく。
太郎は漫画を描く癖があった。描く理由は思い当たらないし、なんのためにやっているのかもよくわからない。今回の場合はヒカリに頼まれたのもあるが、ヒカリと知り合う前から手癖のようにいつも漫画を描いていた。
確かにペン先がタブレットを引っ掻いて徐々に頭の中のイメージが形作られていくのは快感ではある。でも別に快感を得ようと思うのであればスマホを少し眺めれば済む話で、肩こりをかけてまでこんなことをする必要はなかった。たくさんの人に伝えたい何かがあるわけではない。だからもっとも、ヒカリに漫画を描いてあげる必要さえないにはない。だから、太郎はこれが癖なんだと認識している。
と、興が乗ったところで体にどぉんと衝撃が走った。椅子から転げ落ち、太郎は体を床に打った。
「楽しそうだねぇ
数学の教師に蹴り飛ばされたらしい。
「あ、はい。すみません」
いうと、クラス中からクスクスと笑いが漏れた。太郎は今までも注意されたことはあったが、それでも授業中の創作はやめられない。だからこその癖だ。もっともこの授業中はやめておこうとは思ったが。
「はいお絵かきアプリを閉じて~、授業に集中っ!」
座り直し、言われた通りタブレットを仕舞う。蹴られたところがじんじんするように痛い。太郎は椅子に座り直した。
教師が戻るのを確認してから、こっそりスマホで天気を見た。なんだかそうしていると、痛みなどどうでも良くなっていく気がするのだ。
それでも太郎は別の授業中にネームを描き上げた。
時刻は昼休み。場所は学食に移動している。桃娘高校は学食で食べる生徒と教室で食べる生徒は半々ぐらいだが、太郎はいつも学食で食べている。そして毎回ヒカリと一緒だ。
正面にいるヒカリはカレーを口に運びながら太郎のタブレットを見ている。チラチラ彼女を見ると眉間は寄っており、あまり芳しい反応ではなさそうだった。
ヒカリは不機嫌そうに言った。
「主人公さぁ、電話しろよ」
電車を遅らせるために飛び込んだ主人公。その行動原理にどうやら不満があるらしい。
「いや、それができないから電車を止めたわけで」
「非現実的過ぎ!って、描いていて思わなかった?」
「現実よりもエンタメ性が、やっぱり物語には必要ですから」
「それでエンタメ性が感じられなかったことに関する言い訳は何かある?」
「……ううむ、どうすべきか」
手癖で描いているとはいえ、太郎は漫画を面白いものにしたい気持ちはあったので、ヒカリにそのような反応をされたのは本意でない。学食の甘すぎるカレーを食べながら太郎は考えるが、しかしすでに散々悩んで作ったあとにそうそういいアイディアが出てくるわけでもない。
ヒカリはため息をつき、言った。
「電車をどうこうしようとして突っ込んだんじゃないと思う。普通は。電車に突っ込むとすればさ、自分をどうにかしようとしたんだよ」
「そうかなぁ?」
しかしヒカリがそう言うということは、ヒカリにとってはそうなのだろう。
「じゃあ、もう一旦考えてみる」
といってもすぐにアイディアが降ってくるわけでもないので、太郎は一旦残りのカレーを大口でかっこんだ。
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