人形ちゃんを不幸にしなきゃ可哀相

ぽぽぽぽぽんた

人形ちゃんを不幸にしなきゃ可哀想

悟りへの道程

第1話 人類は克服した

 武装集団がいた。

 彼らは老若男女で、猟銃を持って走り回る小学生もいれば日本刀を持った老婆もいた。


 ある者は楽しげな表情を浮かべ、またあるものは緊張の面持ちでその場所を徘徊していた。もっとも緊張と言っても、絶叫マシンに乗る前の緊張に近いそれだ。


 場所は学園だった。

 普段高校生の学び舎に使われるその敷地内で、その集団は散っており、もともとその場所を生活圏としている人々を探していた。


 この校舎はまさに僕がいつも勉強しているところで、要するに追われていた。小銃を担いでいる男から逃げるため、階段を何度も上り下りした足の動きは鈍っている。荒れた息を押し殺ろすことに胸の苦痛を覚える。敷地外に逃げれば良いわけではない。昇降口には見張りの人間が銃火器を持っているため、そこに向かうのは自傷行為だ。


 足は止まる寸前。

 なんとか校舎内を動き回り、ひとまず美術室に飛び込こみ隠れた。


 これは狩りだ。

 ただし僕は害獣役で、一方的にやられる側である。そして文句があっても伝える場所はない。


 美術室だ。

 一方的にやられるのも癪に触るし、近場になにか無いか探す。作業棚に彫刻刀が放り出されている。あまりにも短い刃渡り。人体を確実に破壊できるショットガン相手に無力な武器を数本手にし息を整えた。


 ヒトをハントするので『ヒトハン』と呼ばれるサバゲーは、狩る側にとってはストレス発散に違いない。僕はそちら側になれないことに怒りを覚える。


 それでも頭をクリアにしなければ。冷静になれ。クールに静まれ。しかし、その想いは一切叶わず、頭には怒りがふつふつと立ち込め、それに伴って心拍数が上がる。どくどくと、煩い。


 どうして僕たちがこんな目に。


 何が偉くてこんなことを。


「……殺してやる……」


 ドアの直ぐ側で身を潜めながら、自然につぶやきが漏れた。駄目だ、こんなことでは。もっと心を落ちつけなければ。


 どこかから破裂音と女子の甲高い悲鳴が聞こえた。そう遠くないところに、誰かいる。息を潜め、目を瞑り、無理やり聴覚に集中した。


 聞こえた。

 足音だ。履き物は上履きで、忍足であったとしても完全に気配は消し切れていない。段々と近づいてくる。手元の彫刻刀に力をこめる。もう少し、もう少し。

 もう少し。


 今だ。

 勢いよくドアを開け、握りしめた彫刻刀を突き出した。

 それは見事に足音の主を捉えた。錆びた彫刻刀は相手の耳を貫通し、横に凪いだら肉片が宙に舞った。相手は驚きの形相で僕を視線で捉え、後退りして膝をついた。耳から血が流れ、それは彼女のブラウスを真っ赤に染め始める。


 少女だ。

 手には何も持っていない、制服には僕と同じエンブレム。怯えた表情で「助け……」と掠れた声を漏らす。


「だめだよ。仲間割れは。俺の楽しみを奪うなよ」

 廊下の先から現れた男が言った。男はショットガンを握りしめ、顔には笑みが張り付いている。切り替えろ。じゃないと死ぬぞ。彫刻刀では距離がありすぎる。ただし、向こうも得意で戦っている訳ではなく、ただのレジャーのはずだ。


 僕は一度背を向けた。

「なんだ、逃げるのか」

 そして大きく腕を引き、彫刻刀を男に向かって投げつけた。

「うわっ!」

 彫刻刀は男の顔を掠めた。そんなことで動揺するのだ。所詮はその程度なのだ。一気に走って距離を詰めると、男は手を震わせながらショットガンを発砲した。それは肩を掠め、足を掠め、まともに扱えないことを露呈した。


 そしてもう一歩で手が届くというところで、胸に強い衝撃が貫いた。


 暖かい何かが喉を逆流し、同時に息ができなくなる。膝がガクンと崩れる。赤く染まった視界が、どす黒く濁ってゆく。

「ふん。煩わせやがって」

 呼吸がどんどん浅くなり、急激な寒さが全身を襲った。嫌だ。死にたくない。


 男は膝をつき、ショットガンの銃口を僕の首に押し付けた。

「結構面白かったぜ」

 意識が遠のき、最後は衝撃すら感じられない。僕は意識を失った。

 


 頭の中で高速に景色が流れていた。

 小さな頃から大人になるまでの、まぁ、おおむね幸せな生活。僕はただ漫画を描くことが趣味なだけの、どこにでもいる少年だ。それなのに、こうやって知らない男に襲いかかられたことも一度や二度ではない。


 でも、不思議と幸せな生活。様々な社会的不遇も受けている気がするし、贅沢をできた覚えもない。生まれた土地から離れたことだって一度もない。

 だから、その幸せはきっと錯覚に違いない。

 人生は、理不尽だ。どうして自分はこんな目に遭うのだろう。



 走馬灯は唐突に終わった。

 僕は意識を取り戻した。

 溶液で満たされたプラスチックバッグは排水を開始したようで、その中にいただろう僕は強く重力を感じた。少し咳き込んで、そして視界が開けた。


 揮発性の液体はみるみる僕の体温を奪い、いそいで体を拭いた後すぐそばに置かれていた私服に袖を通す。場所はトイレのように狭い個室で、両手を二度ほど握りしめ、感覚にまったく問題ないことを確認する。


 唐突に、彫刻刀の感触が思い出される。少女の耳を貫いた感触だ。その後の、恨みがましい少女の目。僕は吐き気を催し、その場でうずくまった。ときおり誰かに殺されそうになり、反対に誰かを殺そうとしている。

 なぜ。

 なぜ。

 なぜ。

 そんなこと、したくないのに。


 ガチャリ、と個室のドアが開き、看護服を着た女性が現れた。

「ああ、だいじょうぶですか~? こんなに吐いちゃって。今処置しちゃいますね~」

 言うと、左目をぐっとひらかされ、そこに器具を当てられた。

 次の瞬間強い光を感じると、吐き気はみるみる治り、晴れやかな気分が広がった。


 器具を外されると、笑顔の女は言った。

「どうですか~?」

「はいっ! 最高ですっ!」


 スッキリ爽快。


 先ほどまでの胸のムカつきは嘘のように吹き飛んで、輝かしい未来で目が眩みそうになる。

「ああ~、すごく素敵な表情になりましたね~」

「毎日刺激的で素敵なことばかりっ! 今日も素敵な一日になるといいですねっ!」


 今生こんじょう太郎は一定の『処置』を終え、学園を後にした。校門を出るとすぐに声をかけられた。

「君って、今生こんじょうくんですよね?」


 振り返ると、そこには知った少女の顔がある。知った顔、といっても先ほど知ったばかりではあるが。

「えと、さっきの」

「桃娘高校で、隣のクラスの愛野あいの人形です。一組の今生こんじょう太郎くん、合同授業のとき見た気がしたけど、違いました?」


 太郎に見覚えはなかったが、しかし確かに彼女は太郎と同じ高校の制服を着ていた。

「ごめんごめん。あんまり人の名前を覚えるのは得意じゃなくてさ。愛野あいの……人形さん? 変わった名前だね」

「そうです? 太郎くんの方が変わってると思うけど」


 太郎と人形は笑いあった。

「さっきはごめんね。敵だと思って」

 彫刻刀を突き出し、彼女を傷つけた嫌な感触。

「いーですいーです!」人形は太陽のように破顔した。「別になんともないし、はっきりいってその後の方が凄かったんですからっ!」


「その後?」

「うん。太郎くんはすぐ殺されちゃったからわからないですよね。ほら、あたしこう見えて女子じゃないですか~?」

「どう見ても女子だけど」


「太郎くんので痛くて動転しちゃって動けなかったんですよね。だからその後すぐ服脱がされて、そうしたら他のハンターもわらわら集まってきて、変わるがわるに乗っかられちゃって……」

「……それは災難だったねぇ」

「でも大体そんななんですよ。もうっ! 次こそ絶対一人ぐらいやってやるんだからっ」

 ブンブン、と、なにかを振るマネをしながら人形は言った。


「そういうのって、嫌な気分にならないの?」

「『叡智の完成は無執着』ですよ、太郎君!」

「なにそれ」

「自分がどう、とか、そういうことを考えるから、何が嫌とか何が欲しいとかっていのうが生まれるんですよーって考えですっ!」


「人形さんは変わってるなぁ」

 はははーと、二人は笑い合った。

 人形は言った。

「じゃあこれからは知り合いってことで、明日学校であったらよろしくお願いしますっ!」

「うん! こちらこそ!」


 太郎は少し胸が高鳴った。

 愛野あいの人形。とても可愛い少女だった。明日学校であったらどんなふうに声をかけようかな、と太郎はニヤニヤするのだった。


 半世紀前より、人類は怪我や病気を克服した。

 再生医療の速度は次第に秒単位に近づき、人体がバラバラになってさえ文字通り数秒で元通り。人の命が潰えることがなくなったどころか、障害さえも過去のものとなった。


 半世紀前より、人類はメンタルヘルスの問題を克服した。さまざまな信号を脳に直接送ることにより、人類の感情は思い通りにコントロールできることが解明された。これにより、躁鬱症からアンガーコントロールまでありとあらゆるものが解決可能になった。眼球は脳と直結している。現在ではそこに特定の光を送ることで、誰でも手軽に心の内を制御できる。


 だから、あらゆる身体損傷、精神障害はほんのいっときのものとなり、それ自体のマイナスの価値を失った。結果として人類は、望めばいつまでも不安のない世界で幸せを感じながら生きることもできるのだ。

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