六、推理
推理 SIDE麻生花純①
警察から呼び出しがあり、私たち事件関係者、つまりあの日合宿でセミナーハウスを使っていた化学部、生物部、園芸部の面々が集められたのは、事件から二日経った日のことだった。しかし私は驚かなかった。当たり前だ。私が……私たちが提案した招集だったからだ。
この日、私はいつもより丁寧に制服を着た。
シャツにアイロンも当てたし、リボンもピシッと、スカートのプリーツもひとつひとつ丁寧に織り込み、学校の標準服にふさわしいハイソックスを履いて、ピカピカに磨いたローファーで家を出た。出発の際、両親が玄関口まで来た。
「大事なことがあるのね」
母が私の格好を見て悟る。と、隣にいた父が口を開いた。
「お前このところ、頑張っていたもんな」
このところ、なんてたかが二日程度のことだ。それも事件に関して真面目に調べたのなんて昨日一日……でも父が私の努力に気づいていたのは嬉しかった。だから私は笑った。
「いってくるね」
ドアを開けて、手を振る。天気は晴れ。夏の眩しい一日だった。
電車に揺られて時宗院前駅に辿り着いた私は、テキパキ歩いて学校を目指した。そうして到着した学校の、セミナーハウスの中には警察の人が十数名、待ち構えていた。
「麻生花純さんですね」
身元を確認される。私は頷いて、警官に案内されるまま中へと進んだ。そうしてセミナーハウスの研修室の一室に連れていかれた。
みんなが来るまで、私はそわそわして待った。
次第に人が集まってきた。まずコトコトこと高松琴子。次に園芸部の松下美希さん。それから私のかわいい化学部の後輩たち。のんちゃん。園芸部のみんな。生物部のみんな。島田先生。くーみん先生に銀島くんも来た。
でもあいつが来なかった。私はイライラし始めた。
スマホを取り出し電話をかける。あの渡り廊下での邂逅の際、私は彼と連絡先を交換していたのだ。長々五回目のコールでようやくあいつは電話に出た。開口一番私は「遅い!」と怒鳴った。
〈あらあら〉
しかし電話の向こうは女の人の声。私はびっくりする。
〈秀平。女の子からよ〉
〈えっ、マジ? ……って何だよ。花純かよ。いいよいいよそいつ。どうせ俺が遅いって文句言うだけだろ〉
〈お前せっかく女の子から電話かかってきたんだぞ。ちゃんと出ろ〉
〈父さん、こいつ頭固いんだって。あ、もう着くじゃん〉
〈もうここで下りたら? 走って行った方が早そうよ〉
〈そうだな! おっし。行ってくるぜ父さん母さん。おい花純! 今から行くから待っとけよ! 場を温めておけ〉
続いて車のドアが閉まる音。私はムッとスマホを見る。
やがて研修室のドアが開いたかと思うとようやく秀平が顔を見せた。「いやー、わりぃわりぃ」なんて悪びれもせず。しかも遅刻した言い訳が「あさイチのゲストが朝ドラのヒロインだったから」なんてナメてるの? 私たちこれから大きな仕事するんだよ?
ごほん。
全員集まったところで、私は咳払いをする。
警官が数名、部屋の中に入ってくる。もちろん、全員がこの話を聞いていることを確認するためだ。
私は研修室のホワイトボードの前に立つ。秀平も続いてくる。
「さて」
私は話し始める。
「この度はお集まりいただきましてありがとうございます。炎天下の中足を運んでいただいたことにも感謝します。本日、私たちは先日起きた事件について……」
「犯人と殺害方法が分かったから告訴する。お前ら覚悟して聴け」
秀平が私の発言の全てを持っていった上に乱暴にぶん投げたので私は彼を睨む。しかし秀平は何故か私にサムズアップして嬉しそうだ。
ごほん。
再び咳払いをする。
「ではまず、事件の状況について簡単にまとめてみたいと思います。この度死亡した高槻先生は、私たち生徒が肝試しに行っている最中、誰もいないこのセミナーハウスの中で、そしてさらに誰もいないシャワー室の中の、さらに個室の中で息を引き取りました。この状況を一言でまとめるなら『多重密室』『三重密室』と言うことができると思います」
「だから警察もすぐさま事件だとは言えなかった」
秀平がいいタイミングで合いの手を入れてくる……けど、私の話すペースと合わないんだけど?
「セミナーハウスには、私たちが肝試しに行く際、高槻先生自身が玄関に鍵をかけています。この鍵を開けることができたのは、肝試しに同行した島田先生だけ。そして島田先生は実際に、セミナーハウスに帰る私たちの前でその鍵を開けてみせました。この時点で、セミナーハウス玄関に鍵がかかっていたのは確認できます」
「んで次。シャワールーム。鍵がかかってたよな。俺たちが何度か高槻先生の名前を呼びながら叩いてもうんともすんとも言わなかった。続いてシャワールーム内の個室。ここも鍵がかかってた。まぁこっちは、密室と言うには少し風通しがいいけどな。天井付近と床付近には隙間があるし」
私は秀平が言い終わるのを待って続ける。
「高槻先生の死因について、私たちは知らないまま事件を調べました。ですが警察の皆さんが調べる限り、高槻先生は……?」
すると室内にいた警官の一人が答えた。
「中毒死であることが昨日夕方特定されました。しかし毒物は不明。その毒物も、あなたたちは分かっているとのことですが……」
私は微笑む。
「昨日の夕方の時点で事件性ありとみなされていたんですね。その判断は正しいと思います。だってこの事件は……殺人事件ですから」
聴衆がごくりと喉を鳴らしたのが聞こえた。私は一呼吸置いた。
「私たちは調べました」
私は秀平と私を示す。
「私は殺害方法について、秀平は犯人について調べてくれました」
沈黙。自分で作ったそれを私は破る。
「今から殺害方法について話します。その前に、私たち化学部が夏合宿で行おうと思っていた実験について共有させてください」
私は後ろにあったホワイトボードに記す。
「『細胞培養実験』の基礎的なものです。細胞が分裂する様子を確認するための実験で、分裂前の細胞に着色し、分裂後の着色済み細胞を数えてそれが増えていることを確認するという簡単な実験。大学の初期に教わる実験だそうです。使用するのは細胞片と、アゾ染料、シャーレ、顕微鏡、培養液、そして……ジメチルスルホキシド。通称DMSO」
メインとなる単語が出てきた。私は覚悟を決める。
「ジメチルスルホキシド、DMSOだけ聞き馴染みがないと思うので説明します。この薬品は細胞への透過性が非常に高い薬品で、DMSOに薬品を混ぜて細胞を浸けると細胞内に薬品が入り込みます。私たちの実験では、アゾ染料をDMSOに溶かすことで着色成分を細胞内に運び込み、それによって細胞片を着色することが目的でした」
一息、つく。
「実は本件の少し前、事件当日の夕方、このDMSOが2mg弱盗まれていることが確認されました。量にして、五百円玉片面にしっかり塗れるくらいです」
最初は誤差かと思いました……。私はそう繋げてから、話し続ける。
「でもこれで十分だった。人を殺すのには、たった少しのDMSOだけで十分だった。一応言っておきますと、DMSO単体で人を殺そうと思ったら1kg近く必要です。なのでDMSO単体では殺せない。厳密には『DMSOに何かを混ぜた』」
ここまで言えば、勘のいい人はもう、分かっただろう。
「『DMSOは細胞への透過性が高い』『DMSOには何かを混ぜることができる』この二つから導き出される仮説は以下です」
私はホワイトボードに文字を記す。
〈DMSOに毒物を混ぜて、高槻先生の肌に塗ったのではないか?〉
「DMSOに混ぜられた毒物……ここでは仮に毒物Xとしましょう。『DMSO+X』薬は経皮で体内に侵入し、毒性症状を起こせます。何故ならDMSOは皮膚含め細胞壁を透過して細胞内に入ることができる薬品だからであり、これに溶かされた毒物も同様にDMSOと一緒に体内に入るからです……アゾ染料で細胞片を着色できたように」
聴衆がぐっと押し黙る。
「高槻先生の事件当日の動きを追ってみます。彼は夕方、食堂で夕食をとった後体調不良を訴え保健室へ。その後セミナーハウスの教員宿泊室に閉じこもり、夜八時、私たちが肝試しに行く時少しだけ顔を覗かせると、そのまま同じく教員宿泊室に閉じこもり、一時間後の男子の入浴時間、夜九時になったところで一足早くシャワーを浴びた」
私の言葉に一同が沈黙で肯定する。
「どこで毒を盛ったか? 食堂? あり得そうですね。でも毒性症状が発現するまで時間があり過ぎる。保健室? これはあり得ません。容疑者がくーみん先生こと遊佐公美子先生だけになってしまいます。自分にしか容疑がかからないところで犯行をするのはニアリイコール自首です。セミナーハウス教員宿泊室? ここも保健室同様あり得ませんね。この部屋で高槻先生に接触できるのは島田先生だけ。島田先生にもくーみん先生と同じロジックを当てはめることが可能です」
名前を出された島田先生が少しびっくりしたような顔をした。だが私は続ける。
「毒を盛った時点が明確じゃない。これはかなり頭を悩ませました。おそらく警察の方もここで悩んでいるはずです。でもさっきのことを思い出してください。『DMSOを使えば経皮で毒を盛れる』のです」
私は唇を舐めた。
「高槻先生に毒を塗るのが難しいなら、高槻先生が自らに毒を塗るように仕向けたらどうでしょう? 例えば、高槻先生が確実に触る場所に『DMSO+X』薬を塗ることができたらどうでしょう? 肌に接触さえさせればよいのなら、直接塗るよりどこかに塗っておいて触らせた方が楽です。これはもしかしたら、考慮の余地があることかもしれません」
私の言葉に、みんなが聞き入った。
「では高槻先生が確実に触る場所はどこか? 考えてみてください。『皆さん自身が確実に触る場所』です。例えば、そう。トイレに入った時はどうでしょうか?」
私はコトコトこと琴子に訊く。
「琴子。トイレに入ってまず触る場所は?」
「ドア?」
彼女の答えに私は返す。
「入る前にも触る場所だね」
「入ってから確実に触る場所?」
「そう」
「鍵」
「正解」
私は聴衆を見渡した。
「鍵に毒を塗ったらどうでしょう? 厳密には鍵を内側から閉める、いわゆるサムターンという部位です。ここに毒を……いえ、『DMSO+X』薬を塗ったら?」
沈黙する聴衆に私はさらに続ける。
「シャワー室の鍵に『DMSO+X』薬を塗ったらどうなるか? 入浴時間は女子の次に男子でした。女子が入る前に毒を塗ったら被害者は最初にシャワーを浴びた女子。そして男子が入る前に毒を塗ったら……?」
「最初にシャワーを浴びる男子」
琴子が引き継ぐ。
「そんな、まさか、じゃあ、これって……」
動揺する琴子に、私はさらに続ける。
「犯人は女子から男子に切り替わる時間を狙ってこの毒をシャワー室のサムターンに塗った」
聴衆ががやがやし始める。だが私は続ける。
「犯人は高槻先生が最初にシャワーを浴びることを想定して毒を仕掛けた」
「誰がそんなこと分かる?」
島田先生の問いに私は答えた。
「誰でも推定はできます。つまり『生徒たちは八時頃から一時間程度肝試しに行く』そして『高槻先生は体調が悪くて早く休みたがっている』、『男子の入浴時間は九時から』。肝試しの終盤に男子の入浴時間になった高槻先生が、他の男子生徒よりも早くシャワーを浴びることは想定できる。そしてシャワーを浴びる時、利用者の数にかかわらずシャワー室の鍵は閉めることになっている」
事件の夜、シャワーを浴びた後の私が琴子に「鍵を閉めて」とお願いしたあれだ。ちょっと面倒くさいが防犯上やむを得ないあのシステムがここで使われる。そう、つまり高槻先生がシャワールームに入れば鍵がかかることは必然だった。
「高槻先生は私たちが肝試しに行く際、セミナーハウスの玄関に鍵をかけました。これが第一層。そしてシャワーを浴びる時にあの決まりを守った。シャワー室に入ってすぐ自分の手で鍵をかけた。これが第二層。そしてシャワーを浴びるために個室に入り、当たり前のように鍵をかけた。これが第三層。高槻先生は自分で自分を包む密室を作っていった。この、密室を作っていってくれる時に一緒に死んでくれたらどうでしょう? 先生自身が謎を作ってくれたらどうでしょう? 鍵に『DMSO+X』薬を塗ってそれに触らせれば実現できます。となれば、犯人はどこに毒を塗ったでしょう? ここで考えてみると、密室最下層である第三層に毒を仕掛けるのは失敗に繋がります」
そう、私は続けた。
「何故なら先生がどのブースを使うか分からないからです。先生が確実に触れて鍵をかけてくれるのは第二層のシャワー室入り口の鍵だけ。ここに仕込むのが正解」
「肝心の毒物は?」
警官が訊いてくる。よく見てみれば、一昨日私に聴取をしてくれたあの女性警官だ。私は彼女の目を見て告げた。
「リシンです」
また、みんな黙った。
「このところ時宗院高校では盗難が相次いでいました。盗まれるものはペンケースや電子辞書やルーズリーフ。でも最近盗まれたものは少し毛色が違った。『ハムスター』と『トウゴマの種』と『DMSO』。これが何を意味するのか」
私の言葉をみんなが待つ。
「おそらくハムスターは『実験』に使われました。『DMSO+X』薬がきちんと作用するかどうかの確認です。そしてこの『X』薬の正体がトウゴマ、それから採取されるリシンです。トウゴマの種は毒を生成するために使われました。図書室の『毒の科学』という本で読んだのですが、猛毒リシンはトウゴマの種から採取されます。トウゴマ自体は園芸種も存在するので園芸部が育てるために入手していた。犯人はそれを盗んだ。DMSOは先述の通り、殺害に使います」
「ひとつ、気になります」
手を挙げたのは斑鳩真二くんだった。まるまるとした彼の手が、天井に向かって伸びている。
「仮にシャワー室の鍵に毒を塗ったとして、その後はどうするのでしょう? 鍵に、サムターンに証拠が残ることになりますよね? 今からでもそれを調べたら毒が……」
「見つかりません」
私は断言した。
「君も化学部なら実験の時の説明聴いていたよね。DMSOは水溶性。水によく溶けるんです。ここで犯人が現場に水を張った理由が明らかになります」
私はホワイトボードに〈DMSO:水溶性〉と記した。
「私たちが事件に気づいたきっかけ。シャワー室からの漏水でしたね。床は水浸しで、シャワー室内では足首まで深さがあった。原因は排水口にラップが詰まっていたことですが、これは偶然ではありません。犯人が意図したことです……何のため? 証拠隠滅のためです」
私は一呼吸おくと、丁寧に思考を話した。
「シャワー室の内鍵に『DMSO+X』薬が塗ってあって、しかもその部屋が密室になるとする。密室の中の人間に危機が迫っているとなれば、必然的に強制してでもドアを開ける」
私はため息をついた。
「あんな密室、開けなければよかったんです。どうせ死んだことが確定しているなら、開けずに他の方法で中に入ってサムターンの毒を証拠として押さえればよかった。犯罪捜査の基本は現場の保全なのに! 密室という状況はまず確実に現場の保全が破られます。だってドアを壊すのだから! そしてこのドアが壊れた時に……このドアの近くに証拠を置いていたとしたらどうなるでしょう」
「まさか……」
と、島田先生が驚く。
「ドアに塗られた『DMSO+X』薬は、ドアが破られ床に張られた水に倒れた瞬間、水に溶けてなくなります。このトリックは『密室の生成+殺害』、そして『殺害+証拠の隠滅』がワンセットになっている方法だった。最初から証拠の隠滅も込みで考えられていた。ドアを破らせるつもりでドアに仕掛けをしておいた。上手いものです。殺害と同時に密室を作り、密室の解除と同時に証拠を破壊する。そして、そう、これが意味するところは……」
「俺が語るぜ」
秀平がいきなり、私の言葉をかっさらう。もう、そういう強引なところ、何とかしてよね。
「おめーら俺のありがたいお言葉、しっかり聞いてろよ……」
秀平が一歩前に出た。私はその背中を見ていた。
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