調査 SIDE麻生花純⑥

 色んな部活で盗難事件。ジメチルスルホキシドだけじゃない。あちこちで部活に使う色々な物が……。

 銀島くんの話を聞きながら、私は思いを巡らせた。盗難事件。盗難事件。私の周りでも誰か何か盗まれなかったか。そう考えてひとつ、思い至った。ちょっと前に、のんちゃんが……。

「そういえば、のんちゃんが……生物部部長の加佐見典代さんが、モバイルバッテリー盗まれたって言ってました」

「ふむ」

 銀島くんが考えるような顔になった。

「実は新聞部でも盗難された物品についてはある種の統計的なものをとっているのだが……」

 と、銀島くんはスマホの画面を見せてきた。そこには表作成ソフトで作ったと思しき横棒グラフがいくつか並んでいた。

「一番多いのは『ペンケース』だ。中身ごと持っていかれる。次に『電子辞書』。次いで『ルーズリーフ』。『電子辞書』だけ高額で損害も大きいが、いずれも勉強に必要な道具というか、まぁ高校生らしいものが盗まれている。だが、ここに来て……」

「ハムスター、トウゴマ、DMSO」

 私の言葉に銀島くんが頷いた。

「そう。奇妙なものが盗まれるようになった。何に使うかも分からない」

 一応……と、銀島くんはグラフの下の方を見せる。

「『漫画』や『ワイヤレスイヤホン』なんて勉強に関係ないものも盗まれてはいる。さっき言ってくれた『モバイルバッテリー』も数件ある。しかし『ハムスター』『トウゴマ』『DMSO』は明らかに異質というか、おかしい」

 銀島くんはさらに続けた。

「まぁ、ハッキリ言って『ペンケース』だの『ルーズリーフ』だのを盗んだのは、時宗院高校にいる特定の誰か、というより、各人が出来心で手にしてしまったものが集積された結果だと思っている。『誰かが犯人』ではなく、『時宗院高校の中にいる複数の生徒がそれぞれの出来心で持ち主不明なものをついつい盗んでしまった』。つまり単純に学校内の治安が悪くなったというだけのことだな。なので新聞部としてもこれらを追いかける意味はないと思っている。だが先日の『ハムスター』の一件だけ特殊だと思って調べてみたら、次に『トウゴマ』、そして今、君から『DMSO』について教えてもらった。これは明らかに何かの意思を持った人間がやっていることが想像できる」

「なるほど……」

「そこに来てこの事件だ。高槻先生が死んだ」

 そっか。私は少し、俯く。

 私が日常を過ごしていたこの時宗院高校。どこにでもあるような県立高校のひとつなのに。

 裏では犯罪の影が動いていた。暗いものが蠢いていた。

 ぞっとする、というか。心臓が冷える、というか。

 成績も良くて、自由で、進学先もよくて、時宗院高校はこの世の楽園だと思っていた。楽しい高校生活が待っていると思っていた。まさかこんなところで、ひっくり返されるとは思っていなかった。

 私が少ししょんぼりしていると、銀島くんがスマホとメモとをしまって、微笑んだ。

「お話ありがとう」

 それから手を振ってくる。

「俺はこの後部室で記事をまとめる。麻生さんは気をつけて帰ってくれ」

「あ、はい」

「それじゃあ」

 颯爽と去っていく銀島くん。長髪がふわっと風に揺れて爽やかだった。だが私の心の中には暗雲が立ち込めていた。時宗院。その闇。

 家に帰ろうと思ったのだが、何だか気持ちがしょんぼりしてしまい、ダメだった。一旦気分を落ち着けようと、学校の図書室に向かうことにする。受験勉強をしている三年生のために、夏休み中も図書室は開けられているのだ。

 室内に入ると何とはなしに生物系の本が置かれているコーナーに向かって、それから適当に一冊手に取り、ページをめくった。海洋生物の図鑑で、パッと開いたページは奇遇にもフグのページ。テトロドトキシンについての記載もあった。

 うーん。テトロドトキシンかぁ。

 その流れで何となく『毒の科学』という本を手に取る。似たようなタイトルの本がうちにもあるが別物だ。ぺらぺらとページをめくる。

〈天然毒毒性ランキング〉

 何だか面白そう。ページを読み込む。

〈以下に掲載する毒物は、いずれも耳かき一杯分以下(耳かき一杯を20mgとする)で人を殺害できる毒物である〉

〈第一位:ボツリヌストキシン。土中に棲息するボツリヌス菌が生成する。半数致死量0.0000011g。フグ毒に比較して9100倍の毒性がある〉

〈第二位:テタノスパスミン。破傷風菌が傷口から体内に入って作る毒素。半数致死量0.000002g〉

〈第三位:マイトトキシン。サザナミハギという魚から見つかった毒素。海洋毒素では圧倒的一位〉

〈第四位:パリトキシン。ハワイのマウイ島に棲息するマウイイワスナギンチャクなどが持つ毒。このイソギンチャクを食す魚も毒化する〉

〈第五位:ベロ毒素。集団食中毒の原因となるO-157菌が生成する毒素。熱に弱い。75℃以上で一分間加熱すると死滅する〉

〈第六位:バトラコトキシン。南米に棲息するヤドクガエルが持つ毒素。同カエルは餌であるダニやアリからこの毒素を得る〉

〈第七位:サキシトキシン。貝毒の代表例で、アサリなどから見つかることもある。半数致死量0.00263g〉

〈第八位:テトロドトキシン。フグ毒。フグの他にもヒョウモンダコやスベスベマンジュウガニなどもこの毒を持つ。半数致死量0.01g〉

〈第九位:コノトキシン。イモガイが作り出す毒素。魚などを麻痺させるために使われる。人間も刺されると死亡する〉

〈第十位:リシン。トウダイグサ科のトウゴマの種子に含まれる毒。経口での場合、毒性が現れるまでに十時間ほどかかるが、吸引や経皮の場合はその限りではない〉

「ねぇ、花純」

 急に声をかけられびっくりして振り返ると、そこにはのんちゃんこと加佐見典代と、それから私と同じ部活の高松琴子とがいた。のんちゃんが微笑みかけてくる。

「何読んでるの?」

「え、いや、こういうの好きで」

 一応言っておくと、科捜研に入りたい話はまだ誰にもしていない……あのナンパ不良男を除けば。だからこの場面は、理系の私が単なる勉強的な好奇心から本を読んでいるだけに見える、はず。

「花純も警察に話聞かれたの?」

 琴子がぼそっとつぶやいたので、私は「ううん」と答えると、二人に向き直った。

 のんちゃんはお気に入りのビニールバッグを持っていた。琴子はいつものスクールバッグ。のんちゃんは制服をきっちり着る方だけど、琴子は割と着崩す。時宗院高校の女子はリボンだろうがネクタイだろうが首に何か巻いていればOKなのだけれど、この日の琴子はネクタイ。それも緩めてだらしなく結んでいる。

「ちょっとしゃべろーよ」

 のんちゃんの言葉に琴子が被せる。

「ここで? 怒られない?」

「じゃあ、どこか教室行く?」

 私の提案にのんちゃんが「いいね」と続く。琴子は仕方ないなぁという風に首を傾げた。

 そういうわけで三人、図書室から出ると適当な空き教室を探しに歩いた。私はのんちゃんと琴子に訊いた。

「二人は何で知り合いなの?」

 すると琴子が答えた。

「同じクラス」

「えっ、そうだったんだ!」

「知らなかったの?」

 のんちゃんがいたずらっぽく笑う。

「化学部での花純の活躍、コトコトから聞いてたよ」

 コトコト。多分琴子のあだ名。いいな。かわいい。

 鍵がかかっている教室が多い中で、やがて私たちは一年生の教室に空いている部屋を見つけると、そこに入って適当に机を並べおしゃべりタイムに入った。まずは琴子が口を開いた。

「最悪。私、私物が事件に絡んでた」

「私物って何?」

 私が訊くと琴子はひとつため息をついた。

「私アトピー持ちじゃん? 体洗う時特別な固形石鹸使ってんの。それを包んでたラップが見つからないなー、と思ってたら、昨日のシャワールームで排水口詰まらせてた」

「マジ?」

 のんちゃんが驚く。

「疑われなかった?」

「疑われた」

 琴子がむっとして唸る。

「今日警察に呼び出されてあれこれ訊かれた。まぁ、私としては後ろ暗いところ何もないから、素直に答えてたら終わったけどね。それとこの件、現場のこともあってやっぱり事故説が有力らしい」

「現場のことって?」

 のんちゃんが「何それ」と首を傾げる。

「三重密室でしょ」

 私はつぶやく。

「セミナーハウス、シャワー室、シャワーの個室。それぞれ全てに鍵がかかっていた」

「えー、何それ」

 またも驚くのんちゃん。

「そっか。それだけ状況が限定的だと事故ってことになるのか……」

「まぁ、事故だよね。事故」

 琴子が投げやりな雰囲気で話す。

「ったく何で私が疑われなきゃならねーんだっつーの」

 と、彼女の手にNECTARがあることに気づいた。私は訊ねる。

「琴子甘いの平気だっけ?」

 私の記憶にある琴子は餡子も嫌うような辛口少女だ。すると琴子が照れたようにそっぽを向く。

「まぁ、なんつーの。もらったっていうか」

 そっか。警察の聴取に協力したからもらったのかな。

「あー、爪剥げちゃってる」

 琴子が自分の爪を見る。

「プルタブ開く時にやっちゃったかなー」

 確かに、琴子が綺麗に塗ったピンクのジェルネイルがぽろりと取れていた。やっぱりみんな、このくらいの歳になるとおしゃれになるよね。私、何か置いてかれてるな……。

 と、琴子が持っているNECTARのプルタブを見ていて思った。

 開けるためには、プルタブに指を引っ掛けないといけない。

 指を引っ掛ける。

 あれ。何か引っ掛かるな。

 指……。私は考える。

 やがて、そう。私がだんまりしているのを見かねてのんちゃんと琴子が互いにおしゃべりし出したタイミングになって、私は気づいた。

 それは天啓的なひらめきだった。


 私の目的は、私が持てる限りの科学的知識を動員して、死んでしまった高槻先生の声を聴くこと。

 先生に教えてもらうこと。あなたはどうやって死んでしまったのか。

 でも先生はもう、あの世にいる。

 あの世とこの世。結ぶのは科学の線。

 そして、今、声が届く。

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