調査 SIDE先崎秀平⑤

「高槻先生といちゃついてたっていうもう一人の女子が気になるな」

 薬品庫の点検に行くという麻生と、セミナーハウス秘密の入り口前で別れてから、俺と銀の字は二人並んで、第一体育館の方へ歩いていた。俺はぽつぽつとそう話した。

「一人は松下さんで確定だからか」

 銀の字が俺に訊いてくる。

「お前が事件に首を突っ込むのも、松下さんをどうにかしたいからか」

「『どうにかしたい』だと何だか悪くも捉えられるな」

 俺は笑ったが、銀の字は笑わなかった。

「松下さんを助けたいのか」

 銀の字の真っ直ぐな言葉に、俺は一瞬黙ると「まぁ……な」と肯定した。俺は続けた。

「特に松下さんに何かしてもらったとかじゃねぇんだけどよぉ。女を守るのが男の仕事だろ?」

「戦後の世界からタイムワープしてきたのか」

「俺の美学馬鹿にすんなよ?」

 フ、と銀の字は笑った。俺はその笑顔に向かって続けた。

「いつの時代でもそうだろ。男は女の前でかっこつけたい。洞窟で裸で暮らしていた頃から変わらねぇこの世の理ってやつなのさ」

「とりあえず服着ろよ」

 銀の字がすっと手近にあった壁に背中をつける。

「松下さんの前でかっこつけたいってことか」

「原稿用紙一行で言うとそうだな」

「見込みはどうだ」

 その一言に俺は黙り込む。銀の字が続けてくる。

「アレチヌスビトハギ。あれに付いていた繊維はハイソックスの繊維なんじゃないかってさっきの女の子言ってたな」

「ああ」

「ってことは女子が容疑の範囲に入るな」

「ああ」

「松下さんは……」

「ついてねぇぞ?」

「確認したのか」

 ちっ。一本取られた。

「さて、乙女を守る騎士ナイトである先崎秀平にいいことを教えてやろう」

 銀島が背中を壁面から離す。

「保健室のくーみん先生こと遊佐公美子先生が、事件を受けて明らかに狼狽している」

 俺の中で何かが反応した。銀島がさらに続ける。

「くーみん先生と高槻先生は……」

「歳が近い」

 俺の言葉にまた銀島は笑った。

「何かあったのかもな」

 ったく。こいつのゴシップアンテナすげぇな。俺は改めて銀の字の新聞部としての手腕に感心する。

「保健室行ってみらぁ」

 俺が手を挙げてその場を去ると、銀の字もそのまま歩いてどこかへ消えた。いいね。無言で別れられるのはいい関係の証拠だ。


 銀の字と別れてから俺は真っ直ぐ本校舎の中へと入った。本校舎と体育館は専用通路で結ばれている。照明が少ない通路は少しひんやりしていて、隅の方に自販機がひとつ、ぽつんと置かれている。俺はその自販機の前に人影を確認した。目を細めて見つめてみる。スカート。ということは女子。

 そしてその正体を知った時、俺は少し嬉しくなってついニヤついてしまった。こっそりと俺は近づく。

「高松さーん」

 俺の声に自販機の前にいた高松さんがぎょっとして振り返った。

「誰あんた」

 そう訊かれたので俺は返す。

「ほら、昨日の肝試しでさ。君、斑鳩くんのことかばってたろ?」

 すると彼女はようやく合点がいったようだった。

「あ、あのナンパやろー! 斑鳩くんのこといじめなかったでしょうね?」

「いじめてないいじめてない。むしろ仲良くなったって。今度イカくんに訊いてみ」

「イカくん?」

「親しみを込めてそう呼んでいる」

 はぁ……と、高松さんはため息をついた。それから俺は訊いた。

「俺たち今朝早くの電車で帰されたのに、何でこんなところに?」

「それはあんたもでしょ」

 と、そっぽを向いてから彼女はつぶやく。

「事件のことで呼ばれたから、慌ててとんぼ返りしたのよ」

「事件のこと?」

 お、これは何か収穫か? 俺は少しワクワクしながら話を聞く。

「どんなこと?」

 琴子ちゃんはじろっと俺を睨むと、すぐにまたそっぽを向いた。

「あんたに話したって仕方ないでしょ!」

「そう言うなよ」

「本当に関係ないんだから」

「どんな話でも聴いてみてぇんだよ」

 すると琴子ちゃんは少しの間俺を見つめると、やがて堰を切ったように……本当に唐突に、泣きだした。

 オイオイオイオイ……! 俺は慌てて彼女の背に手をやる。

「お、おい、大丈夫……?」

「うえ、ぐすっ」

 あーあ。これじゃ何もしゃべれないだろうなぁ。俺は彼女の背をよしよしと擦る。

 ひとしきり泣いて、やがて落ち着いてきた彼女は、恥ずかしそうな目を俺に向けると、一言告げた。

「ごめん。ありがと」

 その目がやたらとセクシーで、俺はもう天にも昇る気分だった。

「人が死んだところに遭遇するの初めてで。しかも、その、私、高槻先生のファンクラブだったの」

 マジか。ここで遭遇。高槻ファンクラブ。

「憧れていた人が死んじゃって、本当に悲しいし、しかも事件に巻き込まれるし、私もう何が何だか……」

「ああ、そりゃ災難だよな……」

「しかも排水口のこととか訊かれるし」

「排水口のこと?」

 俺が訊き返すと、琴子ちゃんはぐずりと鼻を鳴らした。

「そ。事件の時、排水口詰まってたでしょ? 水が床いっぱいに溜まってた」

 ああ。あれ、排水口が詰まってたからか。まぁ、想像すりゃそうか。

「何でもラップが一枚、排水口を塞いでたんだって。石鹸カスの成分が付着していたから誰かが持ってきたものじゃないかって話になったみたいで」

 琴子ちゃんはぽつぽつと語りだす。

「私、軽いアトピーだから、体洗うのに専用の固形石鹸使ってたの。確かに合宿中、私の石鹸をくるんでたラップがなくなった。けど、それは私がうっかり捨てちゃったんだと思ってて……」

「待て待て。現場で見つかったラップって……?」

「私のラップだった。石鹸カスの成分が一致した」

 マジか。

「警察の人はだからどうとは言ってこなかったけどさ。でももしかして先生、私のラップが排水口覆ったせいで何かあって、死んじゃったのかなって。いや、そんなことないのは分かってるけど、私物が人の死に関与するなんてこと、なかなかないから、びっくりしちゃって」

 まぁ、そりゃそうだよなぁ。俺はまた琴子ちゃんの背中を擦る。

「大丈夫。たまたまさ。たまたまそこにあった。それだけ」

「そうかな……」

 不安そうな琴子ちゃんに向かって、俺は微笑みかける。

「大丈夫。この事件、俺が何とかするからさ」

 すると琴子ちゃんは片眉を上げて笑った。

「何それ」

「まぁ見てろって」

 俺は琴子ちゃんの肩をポンポンと叩いた。それから、ポケットから小銭を取り出し自販機に放り込むと、NECTARを一本買った。琴子ちゃんに手渡す。

「冷たいぜ! 飲んで落ち着いたら家に帰れよ!」

 俺は手を振ってその場を離れた。本命はまだ、他にいる。


 本校舎、一階。校長室のある通りから少し入ったところ。

 保健室。人気ひとけはなかった。くーみんちゃん留守か? と思ってドアを開けたが、いた。窓際のデスクで、ぼうっと魂が抜けたみたいな顔をしている。ほっそりした手は机上にあって、手元にはべっ甲柄のペンがひとつ、置かれていた。手とペンの、触れそうで触れない感じが何だか寂しかった。

 先生は俺の来訪に気づくとちょっとびっくりしたような顔になって目元を隠した。まぁ、遅かったけど、俺は見てみぬふりをした。それから俺は、事件のせいで少しメンタルがやばいなんて適当な嘘をついて、先生と話す機会を作ろうとした。

「少し、話そうか」

 ラッキー。とりあえず、これで先生と話せる。

「先崎くんだよね。園芸部」

 さすがくーみん先生。俺たちのことよく覚えてる。

「合宿であの事件に遭遇した?」

「はい。そんなとこッス」

「ごめんね。学校も対応が遅れて、今日部活や夏期講習がある子は騒動の中の学校に来ることになっちゃって」

「みたいッスね」

 本当はそんなこと何も知らない。俺はただ、興味の赴くままに学校に来ただけだ。

「いやー、実際に目の前で人が死ぬとなんつーかこう、胸の中にぽっかり穴が開くっていうか、その、怖くて」

 六割くらい本当。残りの二割はでっちあげ、残二割はその場のノリ。

「先崎くんは第一発見者の一人……?」

「ええ」

 と、この時だった。

 急に、くーみん先生の目の色が変わった。

「どんな様子だった……?」

 どんな様子だった? そんなこと聞いてどうする。っつーか生徒にその場面思い出させる気か? 

 そんな微かな疑問はあったが、俺は適当に「苦しんではなさそうでしたよ」なんて答える。くーみん先生は頷く。

「そっか。先崎くんはどうして気がついたの?」

 やっぱりだ。先生、この一件に何か思うところがある。

「肝試しから帰ったら、床に水が溢れてまして……」

 と、俺は警察相手に何度しゃべったか分からない経緯をぺらぺら話す。慣れたもので、起承転結にまとめることもできた。不謹慎だがオチまでつけられそうだ。

「そっか……そっか」

 ぐすっと、先生が鼻を鳴らす。

 その瞬間だった。全てが決壊したのは。

「ごめん……ごめん先崎くん。先生、ちょっと……」

 泣き始める。あーあ、何だこりゃあ。今日はこういうの多いな……と、俺は思う。

「先生、もしかして高槻先生のこと?」

 猿でも分かるふっかけに、くーみん先生は応じた。内緒だよ、と彼女は断りを入れた。

「ついこの間から付き合うことになって。今月でちょうど三カ月だった……」

 マジか。できたてほやほやカップル。っつーか今月で三カ月目ってことは、こいつら新学期始まって早々できてやがったな? 

「ごめんなさい。先生もちょっと状況が飲み込めなくて」

 涙が零れそうなのか、すっと目線を持ち上げる先生。

「朝、びっくりした」

 でしょうね。

 俺は先生のことをよく見る。意外とグラマーだよなぁ、なんて下卑た考えは一旦頭の端に追いやって、それから高槻先生ってこのおっぱいを好き放題に、なんて下種な考えも端に追いやって、大人ってどんなエッチするのかなぁ、なんて健全な好奇心も端に追いやって、それから、俺は訊ねる。

「でも高槻先生って女子と仲良かったんでしょ?」

 この一撃がくーみん先生を傷つけることは、よーく知っている。

 ただ、俺は思うんだ。記憶の中で美化されていたら、その傷は一生消えない。逆に言えば、どんなに美しい思い出も、少し傷がつけばどうでもいい記憶になる。心に傷が残るか、記憶に傷が残るか。しかし幸いにも、心は消えないが記憶は消える。

「慕われている先生だったからね」

 くーみん先生は悲しそうに笑った。俺はその笑顔、何だか見ていられなかったが、でも、真っ直ぐ見ることにした。目を逸らしたら、先生が壊れてしまいそうな気がしたからな。

 がらりと背後で音がしたのはその時だった。俺は慌てて振り返った。他の客? 

 俺の目線の先。そこには半開きになったドアと、その向こうに佇む加佐見典代ちゃんとがあった。生物部部長にしてショートカット美少女。俺は一瞬鼻の下を伸ばしそうになったが、そういや今俺の後ろには涙を流す巨乳がいるのだと我に返る。あれ。何だこれ。俺が泣かしたみたいになってるのか。

「先生」

 加佐見ちゃんがすっと表情を暗くさせる。

「どうしたの? 何かあった?」

 加佐見ちゃんは俺のことを無視して先生の傍に寄る。それから、背中を撫でながら先生の顔を覗き込んだ。俺は二人の女が熱く見つめ合う様を……じゃなくて二人の様子を見ていた。加佐見ちゃんが口を開いた。

「何かあった? 先生」

 するとくーみん先生が首を横に振る。

「ううん。ううん。大丈夫。大丈夫だから……」

 それより加佐見さんはどうしたの? と先生はようやく職務を果たす。加佐見ちゃんは答えた。

「警察の聴取で疲れちゃって。ベッド借りようと思ったの」

 そっか。昨日聴き切れなかった奴らは今日も呼ばれて聴取されてるのか。ずっと椅子に座らせられてちゃあ、腰やら背中やらが痛くなるよな。ベッドで一休みともいきたくなる。見た感じスクールバッグをぶら下げているわけじゃなさそうだし、手荷物は軽そうだが……と、見ていて気づく。

 この子、スクールバッグじゃなくて透明なビニールバッグを使っていやがる。中身スケスケ。念願の中身丸見えグッズ……なんて喜んでいる場合じゃなかった。彼女の所持品はハンカチ、リップやらパフやら化粧品らしき小物が入った化粧ポーチ。それからどうせ生理用品とかが入っているのだろう謎ポーチ、そしてバッグ同様ビニールでできた透明のペンケースだった。変わった子で、ペンケースの中にはシャーペンや消しゴムやカラーペンなどに交じってカラメル色の太いペンが入っていた。キャップ付きのペンっぽいが、何だあれ。サインペンにしちゃでかいしな……。

「あなたはどうしたの?」

 と、加佐見ちゃんが俺に訊いてくる。俺は彼女のカバンから目を逸らして答えた。

「いや、体調悪くて先生に話を聞いてもらおうと思ったら、泣きだして」

 事実だ。事実しか言っていないが加佐見ちゃんは信じられないという風に軽く俺を睨んだ。まぁ、こういう場にいた男は睨まれるものだと相場は決まっている。

「席を外すぜ」

 俺は素早く逃げ支度をする。

「くーみん先生悪かったな」

 三十六計逃げるに如かず。俺はさっさと退散した。


 さぁ。さて。

 俺は廊下を歩きながら思案する。

 女子を守りたい。女を守るのが男の仕事。

 ひとつため息をつく。

 その仕事は、完遂できそうにない。

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